41 過去の武勇伝と彼女の記憶

 二足歩行するかのように天井へ向けて背を伸ばし、くるりと羽を体に巻き付けたシーモスが、みるみるうちに巨大化していく。

 目だけを白く光らせた黒い物体は、俺の背をゆうに超えるまでに成長し、「キキキ」と笑うように声を上げた。


 カーボといい、この世界ではモンスターの巨大化が流行っているのだろうか。

 さっき食べた肉は美味かったし、マスターが言うように刺身は絶品だろう。


 俺はチェリーの横へ一歩出て、おかっぱ男の背中に期待を込めた。

 目の前で彼は剣を手にシーモスと対峙たいじしている。

 彼に運命をゆだねて他の客と一緒に歓声を送る役に徹するのが一番楽な選択だと思うのに、そううまくいく状況でないことは彼の横顔を見たところではっきりした。


 さっきまで自信満々だったおかっぱ男が、明らかにシーモスに対して畏縮いしゅくしている。


「ちょっと……僕に一人で戦えって言うの? 君も剣師なんだろ?」


 シーモスに向けた剣の切っ先をブルブルと震わせて、あろうことか俺に声を掛けてきた。


「さっき、初心者は剣を持つなって言ってたじゃないですか」

「そりゃ言ったけどさ。けど――」


 彼の構える剣には小さい宝石が幾つも埋め込まれている。初心者向けの大量生産されたような感じはなく、キラキラしすぎてむしろ宝飾品に近い感じだ。


「貴方は剣師じゃないんですか?」

「け、剣師だよっ!」


 シーモスを睨みつけて、おかっぱ男は声を荒げた。


「ぼ、僕は魔王親衛隊のゼストとだって戦ったことがあるんだ」

「ゼストと?」


 その詳細は不明だが、それって期待しても良いって事だろうか。


「そりゃあいいや。兄ちゃん、頼んだぜ」


 ギャラリーがワァと沸いた。

 額を汗でびっしょりと濡らしたおかっぱの彼は、剣を握り直してヤル気ゲージを少しだけ上げたように見えたが、足は同じ位置に貼り付いたままだ。


「ほら、やらねぇのか?」


 ギャラリーの客たちは、シーモスのイベント目当てで来ている奴らが殆どだ。

 背後からのヤジに、おかっぱ男は肩をすくめる。


「貴方、大丈夫なの?」

「任せてよ。僕は剣師だからね」


 それが強がりでないことを祈る。

 おかっぱ男はチェリーに肩越しで答えて深呼吸すると、覚悟を決めたのか「離れてね」と空の手を伸ばしてギャラリーに指示を送った。


 もしかすると彼はそんなに強くないのかもしれないが、戦おうとしてくれる意気込みには敬意を払いたい。

 けれど、彼のヤル気が浮上したところで、マスターが俺の横でうなった。


「ねぇ、剣師さん。そいつ、ジーマじゃないだろうね?」

「うぇえええっ?」


 男は驚愕と恐怖の入り混じった顔で彼女を振り向き、素っ頓狂な声を上げる。同時に「キィ」と鳴いたシーモスの声に、慌てて視線を返した。


 マスターが呟いたその名前の意味を、異世界人の俺は知る由もなかった。

 チェリーも首を傾げて見せる。


 「ジーマだと?」とギャラリーが騒めき出した。

 目の前に立つ黒いモンスターは、もはや鳥類と呼ぶには大きすぎる。

 片方ずつ身体から剥がれた羽の中から現れたのは、最初に見たシーモスとは別物だ。

 広がった両羽は長く、店の半分の幅を締める。


「やっぱり、ジーマだ!」


 誰かが叫んだ声に店内の男たちが一斉に慌てふためき、悲鳴がとどろく。

 ついっきまで、おかっぱ男とシーモスの対峙を観戦していた男たちが、血相を変えて店の外へ流れ出ていった。


「ちょっと何?」


 俺とチェリーとマスター。それにおかっぱと数人の客を残して、店内はがらんどうとしてしまったのだ。


「ジーマって。何でだよ……」


 声を震わせながら、それでもおかっぱの彼は巨大な『ジーマ』に剣を向けている。

 「頼んだよ」とマスターは戦闘をおかっぱ男に託して、ジーマを見据えた。


「ヤツはシーモスに擬態ぎたいしてたんだよ。まだこの辺に居ただなんて。チャーチ香の匂いに引き寄せられてきたか?」

「チャーチ香?」

「甘い匂いがするだろ? モンスターが好む香りでね」

「そんな危険なもの炊いてたんですか!!」

「だって、この辺はシーモスがたまに出るくらいだったんだよ」


 カフェみたいな甘い香りに引き寄せられるのが、女子じゃなくてモンスターだとは。


「ジーマは黒いシーモスに変身するって本当だったんだな。がははは」


 店の入口で酒瓶片手に説明するのは、このモンスターを店内に引き入れた酔っぱらいのオヤジだ。酔いのせいか危機感ゼロで、パチリパチリと手を叩く。


「笑い事じゃないよ、おじさん!」


 おかっぱは声を上げて、ジーマに少しずつ足をり寄せていく。


「ジーマってのは獰猛どうもうで、先代の魔王がこの国を亡ぼすために率いたっていう、有名な話があるじゃないか」

「先代?」


 メルが――?

 その言葉に動揺してしまう。彼女が何をしたというのか。

 俺がグルグルと喉を鳴らすジーマから視線を外してチェリーと顔を見合わせたその時、


「伏せろぉ!」


 おかっぱが叫んで、同時に俺はチェリーに床へと叩き付けられたのだ。


 何が起きたのか分からない。

 チェリーの香水がうっすらと鼻を突いて、彼の身体がずしりと俺を硬い床に押し付ける。

 舐めるような風に全身を煽られて、バタバタと羽音が響いた。


 俺の頭を覆ったチェリーの腕の隙間から、おかっぱとジーマの戦う姿が見えた。剣を振り回すおかっぱの動きは、素人のようにさえ見えたがどうにか持ちこたえている。

 決定打こそ決められないが、必死に敵に食らいつく姿を俺はカッコいいなと思った。


「移動するわよ」


 耳元で囁くチェリーの声に従って、俺は戦闘する二人が距離を置いた隙に、地面をうようにカウンターの向こうへと移動した。


「あの男、凄いわね。ゼストに勝てたとは思えないけど」


 厨房に入り込んでカウンターに背を預けた俺たちが、ほっと息をつけるのも一瞬だ。

 カウンターの上からソロリと覗くと、明らかにおかっぱが劣勢だった。

 ジーマはその大きな体躯たいくと羽からは想像もできない程に素早い動きを見せている。

 一瞬で男がやられてしまうことも想定できるし、そうなったら俺も絶体絶命だ。


「チェリー、先生かメルを呼べないか?」

「そう思って」


 チェリーは自分の懐に手を入れて、白くて小さな紙を取り出した。そこにびっしりと書かれた文字は、俺には読むことが出来ない。この世界のものだ。


「やってみるけど、すぐに来れるかどうかは分からないわよ?」


 それでもこの状況を抜け出すには試さずにはいられない。店から逃げ出した客たちが助けを呼んでくれるかどうかも分からないのだ。


 チェリーは火釜の奥でふつふつとくすぶっている火に、その紙を近付けた。すぐに引火した紙を持ち上げると、それはあっという間に黒くすすとなって散り散りに舞った。


「これで通じる筈よ。貴方が崖下で倒れていた時も、こうやって彼を呼んだの」

「そうか」

「あの時は、到着まで30分かかったけどね。まぁ、アイツが要らぬこと考えて、来るのを迷ってたらしいけど」

「お願いだ、来てくれ」


 俺はゼストの到着を祈るしかなかった。


「届いて、ゼスト」


 俺たちがそう手を合わせた瞬間だった。


「うわぁぁあああ!」


 バサリという羽音と共に、おかっぱ男の悲鳴が響き渡った。


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