5章 ちょっと変わった酒場での、彼との出会い。

39 普乳がいいと言った彼のトラウマ

 店には甘い香りが漂っている。酒場というよりは、カフェを思わせるような女子の好みそうな匂いだ。女マスターの趣味だろうか。


 埋まったテーブルの間を縫うように進み、俺とチェリーは一番奥の二人掛けに落ち着くことが出来た。


「大分混んでるわね」


 チェリー的にはもう少しカウンターから離れたかったようだが、席に着けただけでも有難いほどの盛況ぶりで、「まぁいいわ」と男装とはちぐはぐな言葉遣いのまま手を上げてマスターを呼んだ。


「ラケロと、この子にはジュースを。後は何か適当に持ってきて。お腹空いてるの」


 こんな異世界でならお酒を飲んでもいいのかなという俺の淡い期待を一瞬で砕いて、チェリーは先に運ばれてきた豆をつまんだ。


「ところで、チェ……桜さんは、お金持ってるんですか? 俺はないですよ?」

「貴方は気にしなくていいのよ。私がちゃんと貰ってるから」

「へぇ。クラウにですか?」

「そうね。城からって言った方が正しいかしら」


 美緒がこの世界に来た理由をクラウやマーテルさんは『自分の意思もある』と言っていたが、俺は少なからず『拉致された』と思っていた節があった。けれど、同じ境遇でこっちに来たチェリーは、大分自由に過ごせているようだ。


「城の外に家もあるなんて、桜さんのこっちの生活は楽しそうですね」

「まぁね。けど、あの部屋は特別なのよ。国が所有している物件の一つで、わがまま言って借りてるの。明日の夜は城に戻るわ」


 やはりクラウが言ったように、巨乳ハーレムに選ばれた女子+チェリーは、俺の心配なんて無用の好待遇を受けているようだ。美緒が楽しそうにしていると語ったクラウの言葉は、あらかた嘘ではないらしい。


 俺はピーナツに似た味の豆をボリボリとかじり、モヤモヤした気持ちにプウと頬を膨らませた。


不貞腐ふてくされてるの? 私が城に行くって言って寂しくなった?」

「え? いや……いや、はい」


 半分からかわれているんだろうな、とは思っている。チェリーはこういうキャラなのだと割り切って、俺は苦笑しつつ頷いた。


「お兄さんたち、見ない顔だね」


 ジョッキを運んできた女マスターにそんなことを言われる。

 俺が思わず下を向くと、チェリーは「遠い町から来たからね」と、若干男らしく答えた。


「あぁ、だから目が黒いのか。魔王様もそうだけど、南の人は黒目が多いから」


 どうやら納得してくれたらしいが、向かいでチェリーが胸に手を当て「ホッとした」のジェスチャーを見せているので、まぐれ当たりのようだ。


 テーブルの中央に置かれた大皿には、ローストビーフのように薄く切り揃えられた肉が並んでいた。甘ダレの良い匂いをいっぱいに吸い込むと、空腹が掻き立てられる。

 けれど、肉を見ると毎回疑問に思うわけで。


「これは何の肉ですか?」


 怖いもの見たさの精神で聞いてみる。この世界に来て何度か食べたカーボとは少し違う気がした。


「シーモスかな」

 

 チェリーが先に答えると、マスターは「そうだよ」と笑顔になり、人差し指と親指で丸を作って見せた。

 シーモスと聞いて、俺は『モス』繋がりでマンモスを想像したが、


「最近、この辺で良く出るんだよね。美味しいから構わないけど」


 マスターが突然物騒なことを言いだして、俺は不安に眉をしかめた。


「南の暑い地域にシーモスは出ないらしいから、知らなくても仕方ないよ」

「ま、まぁ」


 とりあえず苦笑して、俺は「いただきます」と自分のジョッキを持ち上げた。


「お兄さん達、何も知らないでこの店に来たのかい?」


 マスターの視線が俺の腰にある剣を捕らえて、ニヤリと笑った。

 俺はチェリーと顔を見合わせるが、彼にもその意味は分からないらしい。


「え、それってどういう――」

「ま、ゆっくりしていってね」


 その答えを言わぬまま、マスターは別の席の客に呼ばれて行ってしまった。


「何だったんですかね?」

「うん――まぁいいわ。他にお客さんも居るし、飲みましょう。乾杯!」


 俺は何だか腑に落ちないまま、チェリーとジョッキを鳴らした。

 俺のジュースは、柑橘系の匂いがしたので警戒もしなかったが、予想を裏切らないグレープフルーツとパイナップルを合わせたような味だった。

 対して、琥珀色の透き通った『ラケロ』を少しずつ含んでいくチェリー。


「酒ですか?」

「そう。ウイスキーの水割りにちょっと香料を足したような。飲みやすいのよ。こっちの主流は『アジラ』ってやつらしいけど、私の口には合わなかったわ」


 不味そうに顔をしかめて、チェリーはこの世界の酒について語った。

 小さいテーブルを挟むように座っているが、店内に響く声が大きく、必然と前屈みになって声を拾う形になってしまう。至近距離にある男顔のチェリーは、同性の俺が見ても女装の時と同様に綺麗だなと思った。

 恐らくこの状態だと、元の世界の女子にモテるだろう。それをわざわざ化けるのは勿体ないと嫉妬心さえ込み上げてくる。


「こっちでゼストに何回か連れてってもらったから、お酒はそれで覚えたの」

「先生とほんと仲がいいんですね」

「あの人は、ユースケより前に私で鼻血吹いた人だからね」

「へぇ」


 その話を聞いて、俺の記憶が数日前に巻き戻る。

 美緒が居なくなった日だ。そういえば、教室で普乳普及協会がどうのと話をしたとき、彼は巨乳についても語っていた。


 これは単なる俺の想像だけれど。

 ゼストの巨乳に対するトラウマにはチェリーが関わっているような気がして、俺は思わずジュースを吹き出してしまったのだ。

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