フォーグ教

 ジェネール公爵家のサロンでは、糸をピンと張りつめたような緊張に包まれていた。

 部屋の中にいるのは、ジオフロント・コンラート、レンブランド・ジェネール、そしてユーグラシル・サイフォスの三人だ。


 本日レンブランドとユーグラシルに時間を取らせたのはジオフロントであり、それならばこちらも話が聞くと場所を提供したのがレンブランドなのであるが、メイドがティーセットを用意して立ち去ったあとも、三人が三人ともまるで相手の出方を窺っているかのように口を開こうとはしない。


(……相変わらず斜に構えていてムカつくやつだ)


 ティーカップを傾けながら、ジオフロントは心の中で毒づいた。

 バーランドと一つ違いのジェネール家の長子――ジオフロントから見れば一つ年下のこの男とジオフロントは、昔から仲が悪い。理由は単純だ。レンブランドが可愛げがなさすぎるからである。


 父親譲りのきつめの金髪に、バーランドと同じエメラルド色の瞳。顔立ちはバーランドよりはキャロラインに似ているだろうか。しかし中身がちっとも二人の弟妹とは似ていない。合理主義の権化というか、冷淡というか、とにかく家族であろうと平然と利用するその性格が、ジオフロントはいけ好かない。

 それでも今回レンブランドに声をかけるしかなかったのは、バーランドがアイリーンと一緒にグーデルベルグ国に出かけてしまったからだ。バーランドに頼んで借りたジェネール家の諜報員が調べたことについての話なので、バーランドがいないならばレンブランドもしくはジェネール家の家長である公爵に報告する義務がある。


「話があると言ったのはそちらでしょう。さっさと話したらどうですか?」


 優雅にティーカップをおいて、レンブランドが静かに言った。ジェネール家のお前が何も言わないから切り出しにくいんだろうが、と喉元まで出かかった言葉を寸前で飲みこみ、ジオフロントはにこりとよそ行きの笑顔を顔に張り付けて答える。


「そうだな」


 ジオフロントは先ほどから黙っている教皇ユーグラシルに視線をやった。

 よくこの場に、護衛を連れてこなかったと思う。ここに来るまでには護衛がついていたようだが、サロンに入る際に護衛の聖騎士の入室を断ったところを見ると、ある程度何の話をされるのかわかっているような雰囲気だ。

 相変わらず読めない教皇だ――、とジオフロントは思う。この教皇相手に前置きは必要ないだろう。単刀直入に訊ねることにする。


「リアース教の巫女たちについて調べさせてもらいました」

「らしいな」


 もっと驚くかと思ったのに、ユーグラシルは淡々と頷いた。


(やっぱり気がついていたか……)


 つまりは、気がついていて泳がせていたのだ。

 ジオフロントが軽く睨むと、ユーグラシルが口元に薄い微笑を浮かべる。


「ジェネール家の諜報員が動いていることは知っていた。だが、バーランドであるはずがない。そうなればレンブランド・ジェネールか、もしくは諜報員を借りられる立場の人間だ。レンブランドが動かしたとは考えにくいので、聖女近辺に過敏になっている、君だろうと推測はできた。別に君にならば知られたところで問題ないし、下手に隠せば君のことだ、あの手この手で私の近辺を騒がしくするだろうことも見えていたので、放っておいただけだよ」


 ユーグラシルの回答に、レンブランドが軽く目を見張ったのがわかった。そのあとでエメラルド色の瞳をすっと細める。大方、普段関わることの少ないユーグラシルを見定めるつもりでいるのだろうが、ユーグラシルは腹の底は絶対に見せない。探ろうとするだけ無駄だ。


「では、単刀直入に訊きます。今、どういう状況ですか?」

「どういう、とは?」

「誤魔化さないでください。リアースの巫女たちがただのお飾りであることは調査済みです。リアースの巫女は神のお告げなど聞けやしない。聞いているのは教皇であるあなただ。だが、どういうわけか歴代の教皇は自分で神の啓示を発信するのではなく、巫女の不可解な予言として表に出している。推測するに、神の啓示を受けるか受けないかが教皇が教皇であるゆえんで、同時にそれは隠しておかなければならないことだろうと思うけれど、正直、そんなことはどうでもいい。俺が知りたいのはアイリーンが何に巻き込まれていて、どういう状況下に置かれているのかということです。メイナード殿下が体調不良で政務に支障が出ているからとオルフェウスも城から帰ってきません。すべて関りがあるのではないですか?」


 アイリーンやオルフェウスが何かを隠していることは知っていた。ジオフロントよりもメイナードの近くにいる彼らが何を隠していようと、それについてジオフロントは聞き出そうとは思わなかった。隠しているのならば言えないことなのだろう。弟や妹のことは信頼している。根掘り葉掘り聞きだして彼らの自主性を否定するようなことはしない。

 けれど、今回ばかりは嫌な予感がする。弟や妹の身に何か危険が迫るようであれば、指をくわえて傍観することなどできない。


(アイリーンがグーデルベルグ国へ出立する前に、猊下とコンタクトを取ったことは知っている。……グーデルベルグ行きがアイリーンの意思にせよ、猊下の意思にせよ、リアース教が絡んでいることは間違いない)


 アイリーンがグーデルベルグ国に行くと言ったのは突然すぎた。そして、本来ならば何か月もかけて準備するはずの旅支度を僅か一週間足らずで終えて、まるで何かに急き立てられるように出発したのである。反対した父アルフォンスを説得したのがユーグラシルと聞けば、リアース教――ひいては、教皇がうけると言う神の啓示が絡んでいると考えるのが普通だ。

 すでに諜報員から報告を受けているレンブランドは驚きはしなかった。レンブランドも馬鹿ではない。諜報員が持ち帰った情報と、ジオフロントがユーグラシルを呼び出したことを鑑みると、ある程度の推測は立てていたはずだ。


「知ってどうする」


 ユーグラシルが空になったティーカップをもてあそびながら訊ねる。普段泰然としているユーグラシルが手遊びをはじめたときは、彼が頭の中で高速に何かを考えているときだと知っているジオフロントは、早々に退路を塞ぎにかかった。


「知る義務があります。もしここで教えていただけないのであれば、いかなる手を使ってでも面会謝絶を取られているメイナード殿下に直接訊きに行きます」

「……弟を吐かせる方が早いだろうに」

「オルフェは俺よりも頭が切れるんです。本気で隠しにかかれば、口を割らせるのは容易ではないので」


 ジオフロントよりも甘い性格をしているオルフェウスは、情に訴えかければ折れることもあるが、弟はあれで王子の側近である立場を強く理解している。今回はメイナード本人に何か起こったと考えるのが普通だ。側近であるオルフェウスが主の秘密をべらべらと喋るはずがないのである。

 ユーグラシルはちらりとレンブランドを見やった。


「君にならば話すのはかまわない。……だが、この話をするのならば、どうしてここにレンブランドがいるのだろうか」


 レンブランドには話したくないと言われて、レンブランドは片眉をピクリと跳ね上げる。しかしすぐに笑顔で表情を消すと、さも当然のように返した。


「お忘れですか? アイリーンと一緒にキャロラインもグーデルベルグへ出かけたのですよ。王に姫がおらず、三大貴族でも年頃の姫はキャロラインだけ。この意味がわからないわけではないでしょう? キャロラインに何かあれば困ります。妹は国のために必要な存在ですから、何かあれば許可を出した猊下に責任を取っていただくことになりますが?」


 つまりは、政治利用だ。国のためと言いながら、ジェネール家の地盤を固めるためにキャロラインを利用するつもり満々である。だからレンブランドはいけ好かないのだ。妹を何だと思っている。

 しかし、ユーグラシルはにこりと笑ってその挑発をいなした。


「ならばキャロラインが行くと言ったときに止めればよかっただろう。私は別に、聖女の旅にキャロラインの同行を求めた覚えはない」


 ジオフロントは吹き出しそうになった。ユーグラシルの言う通り、キャロラインを止められなかったのはレンブランドと家長の公爵だ。ユーグラシルは一切の援護射撃をしなかった。つまりは責任の所在はユーグラシルではなくジェネール家の当主と次期当主というわけである。

 レンブランドは苦虫をかみしめたような顔で押し黙り、それから絞り出すように言う。


「……聞く権利はあるはずです」


 確かに、ジオフロントが借りた諜報員はジェネール家のものだ。それを傘に聞く権利があると言われればジオフロントには断れない。だからこの場に同席させたのだ。

 ユーグラシルは悩むように顎に手を当てて、それから仕方が無さそうに頷いた。


「いいだろう。……頭の固い君にとっては、いささか荒唐無稽な話になるかもしれないがね」



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