翌朝、アイリーンたちは二台の馬車を使って離宮へ向かった。

 昨日降った雪は夜明けとともに止み、宿を出る際、ジュールは空を仰ぎながら今日は雪は降らないだろうと言った。雪深い地に住む人間の勘だそうだが、これが結構な確率で当たると言う。


「でも、人が悪いわよね。いたならいたで出て来てくれたらよかったのに。何度呼び鈴を鳴らしたと思っているのかしら」


 昨日に引き続き今日も離宮に行くことになったキャロラインがぶつぶつと文句を言う。

 話し合いの末、今日はダニーとキャロラインは夫婦のふりをせず、全員で離宮へ向かうことにした。いるのは老執事一人だろうと言うし、ドーランの町の町長の親族なら、マイアール商会の名前が有効に働くだろうとダニーが判断したからだ。アイリーンたちの身分は明かせないが、マイアール商会の関係者だと言えばさほど怪しまれないはずだとダニーが言う。なぜなら、ドーランの町長の弟が、マイアール商会でそれなりの要職についているからだ。


 手広く商いをしているマイアール商会は、グーデルベルグ国内のいたるところに顔が利くのである。まったく心強い。これも全部、マイアール商会と関係のあるナタージャ侯爵家の執事レイシースのおかげだ。


「居留守を使ったのならばそれなりに理由があるはずです。とにかく、その執事を捕まえて話を聞かないことにははじまりませんね」


 ダニーが難しい顔で言った。


「ダニーは離宮の使用人が死んだことと、聖女の墓地からルビーが持ち出されていたことに関連があると思っているのか?」


 バーランドが御者台側にある窓を開けて、前を走っている馬車との距離を確かめながら訊ねる。前を走る馬車にはファーマンとフィリップ、マディアスが乗っている。雪道なので、万が一滑ってしまったときのことを考えて、車間を開けておかなければならないらしい。御者は心得ているはずだが、バーランドは気になるようで、絶えず窓外を確認している。


「確信があるわけではありませんが、まったく関係がないとは考えられません。明らかに不可解すぎる。まあ、もし無関係でも、墓地にあった死体の着衣の王家の紋章くらいは、離宮を調べれば手掛かりがあるはずです」

「あの死体の正体がわかれば、ルビーの手掛かりが得られる……か」

「ええ。ただの物取りであれば追跡も容易でしたが、ほかの宝石類が残されていたことを考えると物取りの線は薄そうです。そうなれば、何らかの目的があってルビーだけが回収された可能性が一番高い。ルビー本来の意味を知っているとは考えにくいですが、ないとも言い切れない。ならば誰が何のためにルビーを持ち去ったのか……その、誰が、の部分だけでもわかれば多少なりとも絞り込めるかもしれません」

「……僕もそれなりに教育を受けてきた人間だが、お前を見ていると自分がいかに平凡な人間なのかと思い知らされる気がするよ」


 バーランドは肩をすくめた。頭を使うことはまかせると言えば、ダニーが苦笑する。

 頭のいいバーランドがそう判ずるくらいだ、やはりダニーは非凡なのだろう。いつもやる気がなさそうに見えるダニーが、急に格好よく見えてきた。ちょっとだけ、キャロラインがダニーを好きになった理由がわかった気がする。

 馬車が離宮の前に到着すると、アイリーンは小虎を抱きかかえて馬車を降りた。

 ダニーが離宮の玄関の呼び鈴を鳴らしてみるも、反応がない。


「今日も鍵がかかっていますね。……フィル、開けられますか?」


 玄関扉に鍵がかかっていることを確認したダニーがフィリップを振り返れば、彼は細い針金のようなものを二本取り出した。


「やってみないとわからないが、おそらくは」

「え?」

「フィルってば、リアース教関連の禁書がおさめられている部屋に入るために、鍵開けを覚えたのよ。まるでコソ泥みたいよネェ」


 あっさり頷いたフィリップにアイリーンが驚いていると、マディアスが笑って教えてくれる。


「うるさいぞ」


 フィリップは気分を害したようにマディアスを睨んで、鍵穴に針金を入れる。アイリーンには針金を鍵穴に入れて何をしているのかさっぱりわからなかったが、ややして、フィリップは顔をあげた。


「あいたぞ」

「……すごいな」


 バーランドが感心したように頷く。

 そーっと扉を開けると、マディアスが先導して中に入った。アイリーンとキャロラインは念のためファーマンと一緒に玄関で待機しているように言われる。


「誰かいませんかー? モーリスさんー?」


 町長から聞き出した老執事の名前を呼びながらダニーたちが奥へ進んで行く。

 大きな吹き抜けの玄関ホールの奥には大階段があって、ダニーとバーランドが二階へあがった。ダニーたちが二階、フィリップたちが一階を捜索することにしたようだ。


「人が住んでいるのは本当のようね」


 キャロラインが玄関ホールに飾られている花を見て言う。真新しい白い薔薇だった。離宮には温室があるのだろうか。

 アイリーンたちが飾られている薔薇に気を取られたとそのときだった。


「下がってください!」


 ファーマンがアイリーンたちを背中にかばって、玄関の外に視線を投げた。

 ハッとしたアイリーンが小虎を抱きしめ、キャロラインがポケットから何かを取り出す。キャロラインが取り出したのは、ダニーにもらった小型爆弾だった。持ち歩いているらしい。


「キャロライン……さすがにそれは」

「わかっているわよ。念のためよ」


 ファーマンがアイリーンたちにそこから動くなと告げて、玄関の外を窺う。小さな足音がする。誰かがこちらへ向かってきているのだろう。

 ファーマンが腰の剣に手を添えるのと、「誰じゃ」としわがれた声がするのはほとんど同時だった。

 姿を現したのは、七十半ばだろうと思われるひょりりとした老人だった。白髪で、灰色の中にわずかに茶色を落としたような色の目をしている。老人は怪訝そうに眉を寄せた。


「……何用かの」


 ファーマンが腰の剣から手を離し、それでもまだ警戒した様子で老人に返した。


「人を探しているんです。ここに住んでいるモーリスという方なのですが……、あなたでしょうか?」


 しかし老人はぎゅっと眉に皺を寄せて、左耳をこちらへ向ける仕草をした。


「なんじゃって?」


 その仕草で、この老人は耳が悪いのだとわかった。これほど近くで話しても聞き取れないほどに聴力が落ちているのだ。

 ファーマンも気がついたようで、大きく息を吸い込むと、大声で、一音一音を区切るようにして同じことをくり返した。その大声に、ダニーたちが何事かと玄関に降りてきて、老人の姿を見て目を丸くする。

 どうやら今度は聞き取れたらしい老人が、大きく頷いた。


「わしがモーリスじゃよ。ここにマルク以外が来るのは久しぶりじゃの。ここは寒い。中に入りなさい」


 マルクというのはドーラン町の町長の名前だった。

 耳は遠いが足腰はしっかりしているようで、モーリスはすたすたと離宮の中に入っていく。

 アイリーンとキャロラインは顔を見合わせた。


「……もしかして、昨日呼び鈴を鳴らしたのに出てこなかったのは、聞こえなかっただけなのかしら?」

「かもしれないわね」


 老人のあとを追ってダイニングに向かうと、老人は手慣れた様子で紅茶を入れている途中だった。

 ダイニングの暖炉には赤々とした火がともっていて、とても暖かい。


「あの、おかまいなく」


 アイリーンが言うも、聞こえなかったようで、モーリスは人数分のティーカップに丁寧に紅茶を注いでいく。


「アイリーン、あんたの力で、耳を治すことはできないの?」

「できるかもしれないけど……」


 ちらりとバーランドを見ると、首を横に振られた。下手に力を使ってランバース国の聖女だと知られると非常にまずいのだ。

 紅茶を入れ終わったモーリスがダイニングテーブルに着いたので、アイリーンたちも外套を脱いで椅子に座ると、モーリスが訊ねた。


「それで、わしに用事じゃって?」

「はい、あの……」


 ダニーを見ると、ひとつ頷いた彼が口を開く。


「いくつか聞きたいことがあってきました。まず、一年ほど前にここで起きたことについて訊ねてもよろしいでしょうか?」


 大声でダニーが言うと、モーリスは難しい顔で顎に手を当てる。


「一年前……、すまんがのぅ、そのころのことは覚えておらんのじゃ」

「どういうことですか?」

「一緒に働いておったもんたちが全員息を引き取ったことはぼんやりと覚えておるんじゃが……どういうわけか、それ以外は何も思い出せないんじゃよ」

「では、一年と少し前にここにニコラス殿下が来たことも?」

「ニコラス殿下……? ニコラス……そうじゃ! そうじゃ、アドルフ! アドルフがおらんのじゃ! アドルフはどこに行ったか、お前さんたちは知らんかの? 急にいなくなって、戻ってこんのじゃ!」


 急にモーリスが慌てたように頭をかきむしりはじめて、アイリーンたちは驚愕した。

 まるで何かに疲れたように「アドルフ、アドルフ」と繰り返す。


「アドルフって?」


 キャロラインがダニーに訊ねるがダニーが知っているはずもない。

 アドルフという名前をくり返し続けるモーリスに途方に暮れていると、アイリーンの膝に乗っていた小虎が床に飛び降りて子供の姿になった。


「アイリーン、癒しの力を使った方がいい。闇の術がかかってるよ」


 小虎が赤い目でじっとモーリスを睨む。


「闇の術?」

「記憶を操る術。無理に思い出そうとしたら、あの人死んじゃう。急いだほうがいい」

「え⁉」

「アイリーンなら光の力で相殺できるよ」

「……相殺?」


 何のことだかわからないが、ここは小虎の言う通りにした方がよさそうだ。アイリーンの正体に気づかれると困るのであまり力は使わない方がいいのだが、モーリスが無理に思い出そうとすると死ぬというのだから助けないわけにはいかない。

 バーランドに視線だけで確認すれば、彼も頷いた。このまま見殺しにはできないからだ。

 アイリーンが急いでモーリスのそばに駆け寄り、頭をかきむしり続ける彼の背中に触れる。癒しの力を注ぐと、モーリスがその場に崩れ落ちた。間に合わなかったのかとアイリーンは慌てたが、気を失っているだけのようでホッとする。

 ダニーがモーリスの脈を確かめて、しばらく寝かせておこうと判断した。

ファーマンがモールスを抱えて、一階の部屋のベッドに寝かせる。


「それにしても……いったい何が起こっているんだ?」


 バーランドがこの中で唯一、まともな答えを持っていそうな小虎に視線を向けるも、彼は言うことを言い終わったら元の小さな虎の姿に戻ってしまっていた。


「……仕方ない。モーリスが目を覚ますのを待つか」

「そうですね」


 アイリーンはモースルの顔を覗き込んで、穏やかな寝顔であることを確認して安心すると、みんなとともにダイニングに戻った。

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