「いいですか。俺とあなたは新婚夫婦ですよ。わかっていますか?」


 馬車の中で、聞き分けのない子供に言い聞かせるようにダニーが言う。

 キャロラインは平然とこちらに注意してくるダニーを忌々しく思いながらも、ばくばくと大きく高鳴っている心臓をなんとか落ち着けようと深呼吸をくり返した。


「わ、わかっているわよ! バニーとわたしは夫婦なんでしょ!」

「ダニーです。夫の名前を間違える妻なんていません。しっかりしてください」

「わ、わかってるってば!」


 この無神経男は、乙女心がちっともわからないらしい。

 キャロラインはじろりと対面座席に座るダニーを睨みつけるが、彼は飄々としたもので、これからの計画をくり返す。


「いいですか? 俺とあなたはこの近くに引っ越してきた新婚夫婦です。マイアール商会の会長の縁者。ここで商売をはじめるので、今後贔屓にしてもらうため挨拶に来たと言う設定です。話は基本俺がしますので、あなたは黙って隣で微笑んでいるのが仕事です。いいですか?」

「も、もちろんよ」


 キャロラインは大きく頷いたが、ダニーは反対に不安そうに大きなため息を落とす。


「……はあ。俺と夫婦の設定が嫌なのはわかりますが、そこまで動揺されると怪しまれるので、もう少し落ち着いてください」

「べ、べつに嫌だなんて……」

「ほら、あと十分もすれば到着しますよ」


 ダニーが馬車の窓の外を見ながら言う。


(……別に、嫌だなんて言っていないじゃないのよ)


 キャロラインはムッとしたが、かといって、ダニーと夫婦設定にドキドキして挙動不審なのだと馬鹿正直に言えるはずもなく、口をへの字に曲げて黙り込む。

 キャロラインのその様子を見て、ダニーの隣に座っていたファーマンが小さく笑った。


「……ダニー。あなたも、ジェネール公爵令嬢の夫の設定だと言うのならば、もっと新婚夫婦らしく、優しくして差し上げる必要があるのでは?」


 ダニーは窓外からファーマンへ視線を移し、考えるような仕草をする。


「……と言うと?」

「私から言わせれば、あなたも新婚夫婦の夫らしくないと言うことです。あなたのご両親が別れる前……仲のよかったころのことを想像してはいかがです」


 ダニーは途端に酸っぱいものを食べたような顔になって、首を横に振った。


「無理です。あの人たちは少々頭がおかしかったので。それこそ四六時中べったりだったんですよ」

「新婚夫婦なんてそんなものではないですか?」

「………………善処します」

「そうしてください」


 ファーマンがにこやかに頷きながら、そっとキャロラインに目配せをする。どうやらこちらにもキャロラインの片思いは筒抜けだったらしいと、キャロラインは真っ赤になった。

 ダニーはそんなキャロラインをじーっと見つめて、何を思ったのか、その額に手を伸ばした。


「顔が熱いです。熱があるんですか? 無理はしないでくださいね」

「へ⁉」

「……優しくとはこんな感じでしょうか」


 急にダニーに優しくされて驚いたキャロラインだったが、すぐに彼が隣のファーマンに確認を求めたので、一人でドキドキしているのが急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。


(……こいつはこういう男よね)


 新婚夫婦のふりをしたところで、ダニーがキャロラインを意識するはずはないのである。


(やってらんないわ)


 この男はどうしてこうなのだろう。ダニーが忌々しいほどにいつものダニーのままなので、キャロラインの心臓が徐々に平常運転に戻っていく。おかげで、挙動不審にならずに演技をやりとげられそうだ。

 雪道なのでゆっくりと進む馬車の前方に、白壁の大きな建物が見えてきた。あれが王家の離宮だろう。雪の中に埋もれるように建っているからか、どこか物淋しく感じてしまう。


 離宮の前で馬車が停まると、馬車の中で再度設定を確認したのち、キャロラインたちは馬車を降りた。

 ダニーがすっと腕を差し出してきたので、キャロラインは彼の腕に手を添えると、仲の良い新婚夫婦を装いながら玄関まで歩いて行く。

 ファーマンは護衛らしく、数歩うしろを無言でついてきた。聖騎士の彼はもともとユーグラシルの護衛としての任務が多かったようだから、こういうことには慣れているのだろう。


(……あのアイリーンが一時とはいえ心奪われたのもわかるわね)


 肩越しにちらりと振り返って、キャロラインは一人納得する。

 ファーマンは決して口数が多い方ではないが、気配りができて、穏やかで――なんというか、大人でいい男だ。キャロラインの周りに出没する出世欲の塊のような上っ面だけの貴族令息たちとは全然違う。傷心のアイリーンがコロッといったのも頷ける。


「すごく静かですね」


 玄関前に立ったダニーが、不思議そうな顔をしながら呼び鈴に手を伸ばした。

 離宮に王族がいなくとも管理を任されて入り執事やメイドたちはいるはずなのに、物音や話し声一つ聞こえてこない。

 玄関前には雪が多く降り積もっていて、しばらく雪かきはされていないようだ。玄関のドアノブの真鍮もくすんでいる。


「……きちんと管理していないのかしら?」

「それか、誰もいないかのどちらかでしょうか」


 何度か呼び鈴を鳴らしてみるが、中からの反応はない。ダニーの言う通り、ここには誰もいないのかもしれない。王家の離宮に管理人の一人もいないと言うのは妙だったが、グーデルベルグ国は国中に疫病が蔓延している非常時である。離宮に人員を割いている暇はないのかもしれない。


「鍵がかかっていますね」


 ダニーがドアノブを回して言った。


「裏に回ってみましょう。何か手掛かりがあるかもしれませんし、うまくすれば鍵の開いた窓があるかもしれません」

「ちょっと、勝手に入る気?」

「入れるならば。行きますよ」


 こういう時、ダニーは一切迷わない。つくづく、目的のためには手段は択ばない男だ。キャロラインは仕方なくダニーとともに離宮の裏手に回ることにした。玄関に一人置いてきぼりを食らうのはいやだったからだ。

 ダニーが手の届く範囲の窓という窓を調べながら進んで行く。だが、鍵が開いている窓は存在しなさそうだった。


「……壊したら器物損害で訴えられますかね?」

「不法侵入も充分罪になるんじゃないかしら?」

「なるほど、証拠を残さないようにしなければいけませんね」

「…………」


 キャロラインは嘆息した。何が何でも中に入るつもりのようだ。よほどこの離宮――ここにいたニコラスのことが気になっているのだろう。


(病弱だった第一王子が静養に来て完治しただけでしょうに。そのニコラス王子が元気になったころがそんなに不可解なのかしら)


 三代前の聖女のおかげで、薬学や医療が発展しているランバース国では、病気が癒えることはさほど不思議なことではない。癒し手もいる。もちろん、寿命を延ばすことはできないけれど、病や怪我なら癒すことができる環境で育ったキャロラインは、それまで治すことができないと言われていた病が癒えたと聞くと、まずは新しい治療法が見つかったのかと考える。だがダニーは違うらしい。

 キャロラインがそんなことを考えながら歩いていると、ダニーがふと立ち止まった。


「どうかし――」


 何か見つけたのかと顔をあげたキャロラインは、思わず両手で口元を覆った。


「……なにこれ」


 そこには、数えきれないほどの墓が並んでいた。

 離宮の裏庭一帯すべて墓と言っても過言でないほどの数だ。

 墓石の一つ一つはとても簡素だが、そのすべてに一輪ずつの花が供えられていて、それはまだ枯れていない。


「……『リアースの祟り』の集団感染でしょうか」


 ファーマンが近くの墓を確かめながら言った。


「どうでしょう。ドーランの町では『リアースの祟り』は広がっていないようでした。それなのに、その町とほど近い離宮だけに病が蔓延するとは思えません」


 ダニーが近くの墓から供えられていた花を取り上げて確認する。


「まだ切り口が新しい。つい先ほど供えられたと考えていいのかもしれません」

「じゃあ、誰かがここに来ていたのね。入れ違いになったのかしら」

「そうかもしれませんね」


 ダニーは花を墓に戻すと、ふと何かに気がついたように空を見上げた。キャロラインも同じように空を仰ぐと、白いものが舞い落ちてきているのが見えた。止んでいた雪が再び降りはじめたのだろう。


「残念ですが、いったん帰りましょうか。このあたりの雪がどのくらい降り続くのかはわかりませんが、帰れなくなるのは困ります」

「そうね。……それに、さすがにこれは異常だわ。お兄様たちにも報告した方がよさそうだわ」

「ええ。それに離宮でこれほどの死者が出たのならば、ドーランの町の人たちが何か知っているかもしれません」

「……そう言えば、宿のジュールが一年前の件がどうとか言っていたわね。関係あるのかしら?」

「どうでしょう」


 ダニーが墓石に降り積もった雪を払いのけて、刻んである没年を確認した。そして、眉を寄せる。


「ちょうど一年前の日付が刻まれています。……案外、予想があたっているかもしれませんね。帰ってジュールさんに確認してみましょう」


 キャロラインは頷いて、ダニーとファーマンとともに、止めてある馬車までの道を急いだ。雪が本降りになるまでに帰りたい。それに、思わぬところで墓地を見たからか、雪で冷えたのとは違う寒気を感じていた。


(……離宮の裏庭にお墓が作られていたってことは、あの人たちは離宮に関係する人たちよね)


 ダニーが気になると言ったニコラスの件。よくわからないけれど、キャロラインは何か不吉なことが起こっているような気がして、思わず両腕で自分自身を抱きしめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る