9
グーデルベルグ国境付近――トルマール国の東の町で、アイリーンたちは、入国許可が下りるまで待機となった。
バーランドの部下の兵士を一人、グーデルベルグとトルマールの国境の検問に遣いをやったが、ランバース国の、それも聖女や三大公爵家の令息と令嬢の入国許可となるので、おそらく王の元まで連絡がいくだろう。数日から、下手をすれば数週間の足止めは覚悟しておかなくてはならない。
ここで入国拒否となったら、また違う方法を模索しなくてはならなくなるが、できれば正攻法で入国したい。
エッデバルト国王夫妻が言っていた、おそらく『リアースの祟り』であろう妙な病に警戒していたが、アイリーンたちが選んだこの町では被害が出ていないのか、それらしいものは見当たらない。エッデバルト国を出てトルマール国を移動中もそれらしいものを見なかったので、病人はどこかに隔離されているのか、それかまだ感染者が非常に少数なのかどちらかであろうと思う。どちらにせよ、かつて大陸の大半に広がり、猛威を振るった病だ。感染が拡大する前に、早く闇の力をどうにかする必要があった。
(……サーニャ様の棺、か)
ランバース出国前、アイリーンはユーグラシルとともに、亡き聖女サーニャの夫で前王弟のハリソンと面会した。
ユーグラシルによると、闇の力が漏れ出している原因は、封印していたエディローズのルビーの首飾りが、それをおさめていた千年前のグーデルベルグで処刑された聖女の棺から出されたことが原因だろうとのことだった。封印は二重なのだそうだ。ルビーの封印が解かれない限り、もともとフォレスリードが持っていた闇の力が解き放たれることはないそうだが、それでも、わずかに漏れ出る力ですら、人を蝕むほどの影響を及ぼすという。
それを封じ込めていたのが千年前の聖女の棺だったそうだが、何かの理由でその棺が暴かれたと考えるのが自然だそうで、それを再び封印するには、同じように聖女の棺を使うのが最良の策だそうだ。
だがそれには、サーニャの棺を使うよりほかはない。アイリーンはまだ生きているからだ。そのために、事情を説明するべくハリソンの元へ向かったのである。
本当は、ダニーたちがグーデルベルグの現状とルビーの首飾りのありかを調べて、そのあとでハリソンには連絡を入れるつもりだったが、メイナードの状態を見てもことは一刻を争うほどで、持って帰ったあとに悠長に交渉などしている暇はないだろうというのがユーグラシルの考えだ。事前に許可をもぎ取っていた方が、すぐに封印に取り掛かれるだろう、と。
ユーグラシルがアイリーンを伴ってハリソンの元へ訪れると、説明を受けた彼は当然難色を示した。愛する妻の棺が暴かれると聞いて、心中穏やかでいられるはずがない。
ユーグラシルが、棺をあけて死者を冒涜するのではなく、サーニャの棺を棺ごともう一回り大きな棺に入れて封印を施すと言っても、ハリソンは首を縦に振らなかった。
ほかに方法はないのかと問われて、ユーグラシルがないと答えても、考えさせてほしいの、平行線。結局最後までハリソンの許可は下りずに、交渉は引き続きユーグラシルが行うとのことでアイリーンは先に出立することになったのだ。
ユーグラシルより事情を聞かされた国王は、ハリソンも為政者の一人であるから、最終的には許可を出すはずだと言っていたが、例えそうであっても、気分のいいものではないはずだ。
「あまり思いつめすぎるのもよくありませんよ。……まあ、考えるなと言われても無理かもしれませんが」
宿の窓際の椅子に座って、ぼんやりと窓外を見ていたら、控えめに声がかけられる。振り返れば、護衛についてくれているファーマンがいた。キャロラインはバーランドとともに一階の食堂で朝食を取っている。アイリーンはあまり食欲がなかったために辞退した。
部屋の中にいる護衛はファーマンだけだ。宿の中で仰々しい護衛を敷くのはあまりに目立つため、部屋の扉の前の護衛はいない。
護衛といっても男性と二人きりになるのはあまりよろしくないのだろうが、キャロラインたちが食事に行っているから、少しの間ならば問題ないだろうとバーランドが判断した。バーランドはファーマンのことをまだ警戒しているようだが、彼が言うには、ファーマンの腕は確からしい。ユーグラシルの推薦ということもあり、また、聖騎士と所属が違うために、バーランドが偉そうに指図できる立場でもない。
ファーマンは自分の眉間を指して笑った。
「眉間に皺が寄ってます。表情も強張っていますよ」
「あ……」
アイリーンは思わず眉のあたりを押さえて、それから大きく息を吐きだした。
「あなたは笑っているほうが似合います。暗いのはあなたらしくない」
「ファーマン……」
「殿下もきっと大丈夫です。あの方はあきれるくらいにあなたが好きですから、あなたのそばから離れていくはずがありません」
「……うん」
ファーマンにこうして慰められているのが少し不思議だった。だが、彼の言葉に素直に耳を傾けられるようになったということは、アイリーンの中でファーマンとの過去が消化されたということだろうか。
アイリーンは小さく笑うと、立ち上がった。
「ちょっとお腹すいて来たわ。キャロラインたちはまだ食堂にいるかしら?」
☆
アイリーンたちのものと、グーデルベルグへの入国許可が下りたという知らせが戻ったのは一週間後のことだった。
アイリーンは無事に許可が下りたことにホッと息をついて、準備を整えるとグーデルベルグへ向けて出立した。
グーデルベルグの国境は、馬車で半日程度。そこから、王都を目指すことになるが、バーランドが地図で確認する限り、王都まではさらに馬車で五日はかかるだろうとのことだった。
アイリーンたちは国境を越えて一つ目の町で宿をとることにした。
グーデルベルグは広い国だ。『リアースの祟り』の影響がどこまで広がっているのかはわからないが、ここからは警戒しておいた方がよさそうだった。
(リアースの祟りに、癒しの力はどこまで通用するのかしら?)
ユーグラシルの分析では、『リアースの祟り』は漏れ出た闇の力による影響のため、多少なりとも聖女の力は通用するはずだとのことだった。しかし、感染した人々すべてをアイリーン一人で救うには到底無理な話で、下手にアイリーンの力が疫病に通用すると知られると大変なことになるため、不用意に力は使うなと言われている。
目の前で苦しんでいる人の前を素通りするのは非常に心が痛むが、今は一刻も早く闇の力が封印されているルビーの首飾りを見つけ出すことが先決で、それが人々を救うことにもなるのだから、不用意な行動をとって足止めされるのは避けるべきなのだ。
優先するべきは何かを見誤るなと、ユーグラシルは言った。聖女と呼ばれても、世界の人間すべてを救えるはずはないのだから。
「アイリーン、もうすぐね」
隣のベッドに横になっているキャロラインが、小さい声で言う。
護衛が楽だという点で、アイリーンとキャロラインは基本的に同室だ。
首を巡らせてキャロラインを向けば、彼女は暗闇の中で天井をじっと見つめていた。まるで祈るようだと、アイリーンは思う。きっと、ダニーのことを考えているのだろう。彼が無事でいるのか、心配で仕方がないのだ。
アイリーンは黙って目を閉じる。瞼の裏には、メイナードがいた。アイリーン、と優しく微笑む彼が。
(……もうすぐ)
ダニーたちは、ルビーについて何らかの情報を得られただろうか。グーデルベルグは広い。闇雲に探し回っても見つけられるものではないだろう。
(急いで探さなくちゃ。急がないと、メイナードが)
フォレスリードの記憶に支配されたメイナードの冷たい目を思い出す。あの顔を思い出すたびに、メイナードを返してと叫びたくなる自分がいた。
(メイナード……)
会いたい。
メイナードがそばにいないと落ち着かない。
アイリーン、と優しく呼ぶ声がないと、泣きそうになる。
(待っててメイナード、急いで見つけて、戻るから)
だからお願い、もう一度。
――優しく微笑んで、好きだと言って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます