18
リカルドさんって何者なのかしらね。
わたしはオルゴールに癒しの力を注いだのち、まあ、予想通り倒れちゃって、目を覚ますと心配そうに眠るわたしの手を握り締めていたメイナードがそばにいた。
メイナードによると、わたしが癒しの力を注いだオルゴールたちは、わたしが力を使い果たして気を失うとほぼ同時に粉々に砕け散ったらしい。そして、眠りから目覚めなかぅた人たちが次々と目を覚ましたのだそうだ。
リカルドさんはどうしてオルゴールが原因だと気がついたのかしらね。
メイナードが訊ねたところ、リカルドさんは心底意外そうに「我からすれば気づかぬそなたたちのほうが不思議で仕方がない」と言ったそうだ。
……ちなみにメイナードはこの一言にすっかり腹を立ててしまって、そのあと詳しく理由を訊く気も起きなかったらしい。まあ、訊いたところで、異次元と交信しているようなリカルドさんだもの、わたしたちに理解できるような答えが返ってくるとも思えないわ。
あのユーグラシル様をも翻弄するくらいだもの、わたしたちが太刀打ちできるはずはないわね。
眠っていた人たちが全員目を覚ました町はすっかりお祭り騒ぎみたい。密輸の件で気が気でない町長やエリオット様はそれどころではなさそうだけれど、何も知らされていない人々を止めることはできない。
エリオット様と彼を心配しているセルマのことを思えば、わたしは浮かれてなんていられないんだけど、すっかり「聖女」の力に盛り上がってしまっている町の人たちに呼ばれて、わたしは少しだけそのお祭りに顔を出すことにした。
メイナードはいろいろ事後処理に追われているみたいで、リカルドさんは相変わらず団毒行動をとるから、わたしは護衛の騎士たちと一緒に町に下りる。小虎はわたしが目を覚ましたときには、いつもの小さな白いもふもふ小虎に戻っていて、わたしは小虎を抱っこして宵闇に包まれている町の中を歩いた。
広場には炎が炊かれて、陽気な音楽にあわせて若い男女がダンスを踊っている。
少し離れたところでその様子を眺めていたとき、ふいに背後から話しかけられてどきりとした。
「体調はもう、よろしいのですか?」
懐かしい声。振り返らなくてもわかる。彼はリカルドさんの護衛についていたはずだけど、リカルドさんのことだからきっとまたふらりといなくなってしまったんでしょうね。
わたしの心臓はどくりと大きく音を立てて、早く大きな鼓動に周りの音が聞こえなくなる。
「……うん」
我ながら情けないけど、これを言うだけで精一杯だった。
背後にいた人はそっとわたしの隣まで移動して、炎が照らすその人の影に包まれたわたしは顔を上げることができない。
「お久しぶりです」
「……うん」
「お元気でしたか?」
「……うん」
とっくに過去のことになったと思っていたのに、心ってなかなか区切りがつかないものなのね。
小虎をぎゅうっと抱きしめて、勇気を振り絞って顔を上げれば、穏やかにこちらを見下ろしている彼――ファーマンの顔があった。
あの頃と変わらない精悍で優しそうな表情。それはそうよね。あの頃からそれほど時間がたったわけじゃない。
わたしは彼を見上げたまま大きく深呼吸をして、それから何か言わなきゃと思ったけれど、頭が真っ白で何も思いつかなかった。
「あの時は、置き手紙をおいて、逃げるような形となり、申し訳ございませんでした」
「……手紙、ちゃんと燃やして捨てたわよ……?」
絞り出すような声で返せば、小さく笑われた。彼の笑う声が振動させる空気がつたわってくるようで、わたしの心臓がぎゅうっとなる。
あの時みたいに、馬鹿みたいにきゃーきゃー盛り上がるような気持ちは、もちろん起きない。ファーマンのことは大好きだったけれど、あの時、彼の手紙を読んだ瞬間に、それは終わってしまったことだって、理解しているもの。
それに――
もしも、もう一度ファーマンから好きだと言われて、今度のそれが何の裏もない真実だったとしても、わたしはあの時のように舞い上がれない。
ファーマンのことが嫌いになったわけじゃない。
ただ、わたしの中に、あのとき恨んで忘れようとしたメイナードが、再び穏やかで優しい笑顔をもって存在しているってだけ。
メイナードの手を取るのは怖いけれど、彼が心の中にいるのは事実なのよ。
まあ、ファーマンもとっくにわたしのことなんて過去になっているんでしょうから、今更好きだなんて言ってくれるはずもないけどね。そう思うと安心すると同時にちょっと寂しくも思ってしまうのだから、わたしも大概、馬鹿な女だと思うわ。昔好きだった人に、今でも好きでいてほしいなんて――、ちょっと都合がよすぎるってものよ。
「殿下とは仲良くされていますか?」
そんなこと、ファーマンに訊かれたくない。
こんなことでむっとしてしまうのは、わたしがまだファーマンを引きずっている証拠なのかしら。
音楽にあわせて楽しそうに踊る男女を見やる。
もしここにメイナードがいたら一緒に踊るのになと思った瞬間、わたしは決心した。
あの日、ファーマンからは手紙を受け取ったけれど、わたしは彼に何も言っていない。終わったと思っているのにもやもやしてしまうのは、多分わたしの中できちんとした区切りがついていないから。
過去だと思っているのなら、きちんと過去にしないといけない。
でないとわたしは、本当の意味で前に進めない気がするわ。
わたしは大きく息を吸って吐き出すと、まっすぐにファーマンを見上げた。
「わたし、あなたのこと好きだったわ」
思い返してみれば、ファーマンがわたしのことを好きだと言わなかったのと同じで、わたしも口に出してファーマンに「好き」って言ったことなかったわね。
お互いに口に出していれば、もしかしたら何かが変わっていたのかもしれないけれど、そんなことを考えたって仕方がない。
ファーマンは驚いたように目を見張って、それから静かに微笑んでくれた。
「俺も、アイリーン様のことを愛おしく思っていましたよ。本当に」
「うん」
わたしはちょっと笑った。
うまく笑えたかどうかわからないけれどね。ファーマンはわたしよりずっと大人だから、こういうとき、きれいに笑うのよ。それがちょっと悔しい。
わたしたちの間にはそのあと会話らしい会話はなくなって、しばらくの間、ただ並んで楽しそうに踊る人たちを見ていた。
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