7

 なんだかメイナードの元気がないみたい。

 メイナードに用事がないときは毎朝一緒に食事をとるんだけど、今朝のメイナードは少しぼんやりしているみたいだった。

 疲れているのかしら?

 執務に、ダリウス王子と煮詰めている外交、それからリアースの祟り――、いろいろ重なったもの、疲れていないはずはないわよね。


 メイナードって仕事が早いけれど、早いから疲れないわけではないし、どこかでゆっくりしないと倒れちゃうんじゃないかしら?

 でも、わたしが仕事を変わってあげられるわけでもないから、安易に「休んで」なんて言えないし。

 それに今日は、フィリップ王子をダリウス王子に会わせることになっている。

 ダリウス王子には告げていないけれど、まだ療養中のダリウス王子の予定は一日空いているから、だまし討ちみたいにはなるけどフィリップ王子を連れてくることにしたらしい。


 もちろん、フィリップ王子だとは城の皆には内緒よ。

 いきなりグーデルベルグの第二王子が現れたらパニックになっちゃうわ。

 わたしは同席しないけど、メイナードは事情を話す意味でも仲介役の意味でも同席するから、ゆっくりしている暇もない。

 たぶん、相当気を使っているはずだし――、疲れて見えるのはそのせいもあるのかしら。

 わたしに何かしてあげられることはないかしら?


 昔はよく、お菓子を作ってはメイナードにプレゼントしていた。そう言えば最近、あげてないわね。うん。メイナードと婚約を解消してから、一度もあげてないわ。

 わたしはお城にお邪魔しているだけだから、特にすることはないし、お城の料理長は顔見知り。キッチンの隅を借りても怒られないと思う。もちろん、お堅い女官長とかに見つかれば眉を顰められそうだけど、こっそり出入りすれば大丈夫よね。

 セルマがいたら「ここはお城ですよ!」って怒られるけど、セルマはお留守番でコンラード家にいるし。

 ふふ、子供のいたずらみたいでちょっとドキドキするわ。

 わたしが一人にまにま笑っていると、メイナードがちょっと不思議そうな顔をした。


「アイリーン、何か企んでる?」


 さすが付き合いの長いメイナード。

 わたしが「何でもないですよー」ってとぼけてみせると、彼は小さく笑った。






 午後になって、わたしがお城のキッチンに顔をのぞかせると、夕食の仕込みをしていた料理長が顔を上げて笑った。


「お久しぶりですね、妃殿下」

「料理長、わたしは妃殿下じゃないわよ」


 わたしが笑いながら返すと、その場にいた料理人たちも笑う。

 小さいころからお城に出入りしていたわたしは、メイナードとかくれんぼをするたびにキッチンに隠れに行っていて、当時料理人の一人だった今の料理長とも長い付き合い。小さいころに、彼がふざけて「小さなお妃様」って呼びはじめたの。大きくなってお菓子のレシピを教えてもらいに来たりもしていたんだけど、ずっと「お妃様」「妃殿下」ってふざけて呼ぶのよ。

 わたしも、メイナードと結婚することは疑っていなかったし、いずれメイナードのお妃様になると思っていたから、「まだお妃様じゃない」って言いながら受け流していたけど、さすがに今はちょっとまずいと思うけど――料理長、言い直す気はなさそうね。


「キッチンの隅っこ、借りていいかしら?」


 この時間は仕込み中で、キッチンを全部使っていないことを知っている。

 わたしが隅の誰もいない一角を指さして言えば、料理長はあっさり許可してくれた。


「お菓子ですか?」

「そうなの。殿下が疲れているみたいだから、何か甘いものを作りたいんだけど……」

「ああ、それなら梨がたくさんあるから、コンポートにしてタルトにしてはどうです?」


 梨のタルトか。いいわね。

 まだ四十代手前の料理長は、近くにいた見習いを捕まえて、食糧庫から梨を取ってくるように言った。

 わたしがキッチンに来なくなってから入った料理人見習いさんは、わたしがお菓子を作りたいと言うのを聞いて目を丸くしていたけれど、料理長の指示で慌てたように食糧庫に向かってくれる。

 料理長は夕食の仕込みの指示を料理人たちに伝えて、なぜかわたしの隣に立って梨の皮むきを手伝ってくれた。


「それで、殿下を許してあげる気になったんですか?」


 料理長は貴族ではないけれど、城に長年勤めているから情報通で、もちろんわたしとメイナードの婚約が解消されたことも知っている。

 メイナードがわたしとの婚約を解消した直後は怒って、わざとメイナードの苦手なものばかりを食事のメニューに出していたというから笑ってしまったわ。


「許すもなにも――」


 許すのかと訊かれてわたしはちょっと考えた。

 確かにあの時、わたしはとても腹が立っていたけれど――、あら、いつの間にかうやむやになっていたわね。


「甘い顔をしたら男はすぐつけ上がりますから、まだ許していないなら、殿下といえどきちんと謝罪させないとだめですよ」

「あら、料理長もそんな経験が?」

「まさか。俺は愛妻家ですからね」


 料理長が目じりに皺をためて笑う。

 でも、そうね、謝罪か。

 確かにメイナードから、婚約破棄のくだりについては「ごめん」とは言われていないけれど、逆にわたしはまだその「ごめん」を言われるのが怖い。

 言われちゃったら、許さないといけないでしょ。許しちゃったら、その先を考えなくちゃいけないわ。

 それに、今メイナードに「ごめん」と言われたがずるいと思っちゃう。メイナードの「ごめん」の一言は、わたしの逃げ道をふさぐから。


「今度言ってもらうわ」


 だから、ごめんをもらうのはまだ先でいい。

 梨の皮をむき終わって、大きめに切ってコンポートを作りはじめた時だった。


「梨か。うむ、悪くないな」


 突然背後から声がして、わたしも料理長もぎょっとして飛び上がった。

 いったい誰だろうと振り返った先にいた人物に、さらにぎょっとする。

 高く結い上げた亜麻色の髪に、からからと音を立てながら回る赤と金色の風車。

 どこかで見たような気がしなくもない顔だけれど、わたしの記憶の中の貴族名鑑で一致する人はおらず。


「誰……?」


 わたしはいつまでも回り続ける風車に視線を奪われたまま、首をひねった。

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