第96話 嵐の予感


「ごめんね、ユイトくん……。今日は閉めちゃってもいいから……」


 今朝からオリビアさんは頭痛と足の調子が悪く、念のためベッドで横になってもらい、店には出ない事になった。

 トーマスさんは日が昇る前に家を出てしまったので、この事は知らないままだ。


「昨日も暇でしたし、大丈夫だと思います。今日はゆっくり休んでください。ハルト、ユウマ。オリビアさんの事、お願いしてもいい?」


 オリビアさんのベッドの傍らには、心配して朝からずっと離れずにいるハルトとユウマがいる。

 前回のトーマスさんの事もあってか、今回は移る心配もないので絵本を持参で長居する気満々だ。


「うん! ゆぅくん、ばぁばのおしょばいる……!」

「ぼくも、おばぁちゃん、いっしょにいます……! だいじょうぶです……!」

「ありがとう。何かあったらすぐ教えてね? オリビアさん、後で朝食運んできますね」

「えぇ、ありがとう……。ハルトちゃんとユウマちゃんもごめんねぇ……」


 そう言ってベッドに横たわり、手を伸ばして二人の頬を撫でるオリビアさん。

 頭が痛いと言っていたので、ハルトとユウマも小声で喋り、撫でられながら大人しくしている。

 僕は音がしない様に、そっと寝室の扉を閉めた。





「う~ん……、やっぱりこの天気のせいかなぁ……?」


 窓の外は空一面にどんよりとした雲が広がり、今にも降り出しそうな気配がする。

 お母さんも、雨の日や前日は頭が痛いって言ってたなぁ……。

 空気もジメッとしているし、今朝は洗濯物も干せないな。

 晴れたらまとめて洗おう!


「この天気だと今日も暇そうだな~。あ、トーマスさん大丈夫かな?」


 雨具も何も持っていなかったら大変だ。

 でもトーマスさんの事だから、準備はしているかも……。


「あ~ぁ、もう少し早く起きたらお見送りできたのに……」


 本当はお弁当も作る予定だったのに、僕が起きてきた頃にはもうトーマスさんは家を出た後だった。

 帰ってくるのも遅いって言ってたし……。

 挨拶できないのって、ちょっと寂しいな。


 そう思いながら、僕は朝食の準備を始めた。






*****


「おぅ、トーマス! 随分早ぇじゃねぇか!」


 冒険者ギルドに向かうと、もう館内にはイドリスが待機していた。イドリスの他にも、コンラッドやエヴァなど、顔馴染みの正装した職員が極僅かだが集まっている。

 それは問題ないんだが……。


「……おい。今回はやけに人が多くないか……?」


 オレはイドリスを隅に連れて行き、周りに聞こえない様に小声で話しかける。


「内密と言っても、毎年の事だからなぁ……。追い払おうとしても部外者ではないと言い張って困ってるんだ……。それに、今回は特に第三……、を拝みたいらしいぞ……」


 その視線の先には、冒険者ギルドに所属している訳ではない人物がチラホラと……。

 言い方は悪いが、このギルドには似つかわしくない煌びやかな服装の女性や、目つきをギラつかせている男たちが入り口付近を陣取っていた。

 あわよくばお近付きになりたいという魂胆がありありと見て取れる。


「全く……。なぜ先に訪問に来るのが、我が領主・エドワード様の館ではなく、こんな薄汚いギルドなんでしょうか……」


 そう言って、ギルド職員の耳に入る様にワザと漏らしたのか、耳が遠いために自らの声が大きくなっているのに気付いていないのかは不明だが、前領主の年老いた使いがボソボソと小言を呟いている。

 それをきっかけに、周りにいた連中が耳障りな声を隠しもせず同調し始めた。


「おいおい、お前ら。その辺にしておけよ? 関係者でもないあんたらがこの場所にいること自体、不敬だと自覚しろ」


 イドリスが喧しい連中相手に声を掛けるが、こいつらにはそれを忠告だと理解する頭が無いらしい。

 それを侮辱だなんだと騒ぎ出した。

 全く……。どこに行っても、こういう奴らはいるんだな……。

 イドリスは肩をすくめ、お手上げだとおどけてみせる。

 後ろに待機する職員たちも額に青筋を浮かべているが、誰も目に入っていない様だ。



「……おい。聞こえていなかったのか?」



 発した言葉に、視線が一斉にオレへと集中する。



「我々は直々に指名を受けて、この場に立っている。お前たちはなんだ? どこの貴族か知らないが、勝手に待ち伏せし忠告を無下にする。そんな奴らが顔を売ろうとしても逆効果だぞ? そんなに売り込みたいなら、オレが直々に紹介してやろう。こちらの都合も聞かずに、勝手に居座り喚き散らす、素晴らしい家柄の者だとな?」



 これが最後の警告だ。



 そう言うと、苦々しい顔をしながらオレの方を睨み、すごすごと馬車に乗り込んでいく。

 あの老いた使いも、貴族の陰に隠れる様にしてギルドを出ていった。

 なんだ、あっけない……。

 もう少し度胸のある奴だったら、紹介してやっても良かったんだがな……。

 振り向くと、受付カウンター越しにオレを遠巻きに見つめる職員の姿が。



「……トーマスさん、やっぱり噂通りでした……」

「孫が出来て丸くなったというのは、噓だったんですね……」

「なんか真っ黒いのが出てました……! こわいぃ……!」 

「オレもあんなのの隣にいたくねぇ!」


 いつの間にか、イドリスまで向こう側に移動している。

 大方、この空気を和ませようとでもしているんだろう。

 フッと笑うと、怖いと叫ばれた。心外だ。



「さ、皆さん! もうすぐお見えになりますよ! 気を引き締めてくださいね!」


 パンパンと手を叩き、職員に喝を入れたのはコンラッド。

 コンラッドの方が、イドリスよりよっぽどしっかりしているんだがな……。


「トーマスさん、お手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした……! しかし、貴族相手にあんな事を言って大丈夫なんでしょうか……?」


 私は何も出来ませんでしたが……、と肩を落とすが、心配など無用だ。



「こっちには直々に依頼が来てるんだ。それを邪魔する人間は必要ないだろう? それに、オレは何もしていない。ただ、“忠告”してあげただけだよ」



 そうだろう?



 そう微笑むと、コンラッドの表情が見る見ると青褪めていく様に見える。

 天気も悪いしな……。風邪でも引いたら可哀そうだ。

 顔が真っ青だが大丈夫か? と声を掛けると、問題ありませんと引き攣った笑みを浮かべた。

 我慢でもしているのだろう、真面目な男だからな。


 こうして到着時刻になるまでの間、オレたちはギルド内で待機していた。






*****


「ん? 騒がしいな……」

「到着されたみたいですね」


 昼前になって漸く、冒険者ギルドの入り口が騒がしくなってきた。

 出迎えのために足を進めると、鎧を纏った若い隊員が駆け足で扉を開いた。

 

「私はフェンネル王国騎士団第一小隊隊員、アーロと申します!」


 オレとイドリスの前に、慣れた様子で挨拶に来る青年は、去年も同行していたはずだ。


「堅苦しいな。アーロが来るって事は、もうすぐだな?」


 オレが声を掛けると、アーロは気を悪くしたでもなく頷いた。



「もう間もなく、バージル国王陛下、および第三王子ライアン殿下がお見えになります!」

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