第8話 女神の祝福


 気が付くとそこは、壁も天井も何もない真っ白な空間だった。


 ハッと弟たちの姿を探すと、ハルトとユウマは自分の足元ですやすやと寝息を立てていた。



『目が覚めましたか?』



 振り返ると、そこにはふわりと柔らかな笑みを浮かべた一人の女性が立っていた。

 きらきらと光の輪を帯びたように輝く髪は風に舞うようになびいていて、彼女の周りをふわふわと綿毛のような光が飛んでいる。

 見惚れてしまうくらいに綺麗な人。



 あぁ、女神様っていうのはきっと、こういう人のことを言うんだろうなぁ。



『ふふ。綺麗だなんて、ありがとうございます』

「……え?」

『貴方のいう“女神”で合っていますよ』


 ぼんやりとした頭が周りの状況を理解しようとし、急激に頭から血の気が引いていくのが分かる。


「……僕の思ってることが、分かるん、ですか……?」

『いえ、貴方が口に出していましたから』


 そう言うと、またふふっと笑みを浮かべ僕たちの方へふわりと近づいてきた。口に出ていたなんて恥ずかしい。そう思いながらも、どうしても確かめたいことがあった。


「僕たちは、えっと……。死んだんですか……?」

『……いいえ。魂も器もボロボロですが、まだ完全には亡くなっていません』

「死んでないって……、どうしてですか?」

『貴方たちのご家族が、強く願ったからです』


 ──僕たちの、家族……?


 母も祖母も、もうとっくに亡くなっている。もしかして、あの父親が? ……いや、土砂に飲まれる寸前まで僕たちを殴っていたんだ。それはない。

 ちらりと女神様の方に顔を向けると、困ったように微笑んでいた。


『貴方たちのお母様、そして母方と父方、両方のお爺様とお婆様たちですね』


 愛されていますね、と女神様が微笑んだ瞬間、周りにふわふわと飛んでいた綿毛のような光が、僕たち三人を包むように光りだした。眩しくて思わず目をつむる。

 つむった瞼の向こう側で、ふわっと光が和らいだ気がした。

 恐る恐る目を開けると、お母さんとおばあちゃん。そして幼い頃に亡くなったおじいちゃんと、お父さんのおじいちゃん、おばあちゃんが僕たちを包むように抱きしめていた。


 ごめんね、ごめんなさい、助けてあげたかった、私たちが生きていれば、と皆一様に肩を震わせながら泣いている。

 いつの間にか目を覚ましていたハルトとユウマは、おじいちゃんだよ、おばあちゃんよ、と泣きながら笑う祖父母たちにきょとんとした顔で抱きしめられていた。



『──貴方は、“輪廻転生”……、という言葉を知っていますか?』


「……聞いたことは、あります……」



“亡くなった人の魂が、この世に何度も生まれ変わってくること”



『亡くなった方たちはその輪廻転生の輪に加わり、時を経てまたこの世に生を受けます。貴方たち兄弟も、その輪に加わるはずでした……。それでも、一緒に生まれることはほとんどないでしょう。何年、何十年……。いえ、来世の可能性もあります。しかし貴方たちのお母様たちはそれから外れ、貴方たちを三人一緒に生かせてあげたいと願ってきたのです』


 困ったものでしょう? と微笑み、女神様はそっと僕の頬を撫でた。


『生かすとしても、貴方たち兄弟の魂も器もすでに壊れています。なにかで修復しなくてはいけません……。そこでもし出来るなら、自分たちの魂を使ってくれ、もう生まれ変わることができなくてもこの子たちをもう一度……、と訴えに来たのです。こんな人間は初めてですよ、困ったものです』


 でも、私も試してみたくなりました。


 そう言って女神様は母たちに向き合い、本当にいいのですね? と訊ねている。皆、真剣な表情で頷いた。



『ユイトさん、ハルトさん、ユウマさん。皆それぞれ魂の色、形は異なります。そしていま、そのほとんどが色と形を失っている状態です。……それを、お母様たちの魂で補います。補うと同時に、お母様たちの意識や存在は消滅し、もう生まれ変わることは出来ません。……それでも、よろしいですか?』



 そう自分に問いかけられた瞬間、サーっと血の気が引くのが分かった。


 そうだ。僕たちは生きれるとしても、母たちは魂から消えてしまう。何も存在しなくなるんだ……。



「だいじょうぶ」



 そう言って、母がぎゅっと抱きしめてくれた。



「お母さんたちは、ユイトたちと一緒に生きるのよ」



 なにも心配は要らないの、ずっと一緒よ、とまるで幼い子に言い聞かす様に頭を撫でてくれる。

 そうか、これからも一緒なんだ、そう思うとふと心が軽くなる気がした。


『よろしいですね?』


 女神様が優しく微笑み、再び僕に問いかける。


「……はい。お願い、します」


 その答えを聞いた後、女神様はなにかを掬うように、僕たちの前に掌を重ねて差し出した。

 その掌にふわふわと光の粒が溢れてくる。

 母たちの身体を光が包み、少しずつ少しずつ母たちの姿を光の粒へと変えていく。

 いつの間にか泣いていた僕たちを、母と祖父母たちは最後とばかりに抱きしめて可愛い可愛いと撫でてくれた。

 ハルトとユウマは撫でられながら、おじぃちゃん、おばぁちゃん、と甘えている。そんな可愛い孫たちに祖父母たちはデレデレと目尻を下げ、とんでもないことを言い出した。



「いやいや~! 孫は目に入れても痛くないと言うが、本当だったな!」

「そうね、魂まであげても惜しくないわ」

「私たちの仕事の経験とか知識って残るのかしら……? それとも消えちゃうからムリ?」

「そうだなぁ。そのままってのは、ちぃとばかし心配だよなぁ……」

「少ししか過ごせなかったから、この子たちに母の味を覚えていてほしいわ~」



「女神様、なんとかなるかい(かしら)?」



 母と祖父母たちの突然のお願いに、女神様はまた困ったように微笑んで、大サービスですよ、と母たちの知識を付与してくれると言った。

 母たちは大喜びだったが、僕は女神様に有り難いような、申し訳ないような気持ちで居た堪れなかった。


『さぁ、最後の仕上げです』


 そう微笑んで、掌から溢れる光の粒をタンポポの綿毛のようにふぅっと息を吹きかける。

 きらきら舞う光に包まれて、僕たちは自然と意識が遠のいていくのを感じた。



 薄れゆく意識の中で、

 

 次に目が覚めたら地球とは異なる世界にいるということ。

 

 頼れる人がたくさんいること。

 

 最後に、しあわせになりなさい、と祝福してくれた。




『ユイト、ハルト、ユウマ。この三名に、“慈愛の女神・メーティスの加護” を与えます』




 どうかこの子たちに、愛が溢れる喜びを。


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