M.-8; 再会
† †
謝ろうと思う。これは完全に、あたしが悪い。
エミに対して、あたしが現在笑えないという事実を隠したこと。
ヱミに対して、どうせ向こうから来るだろうと勝手に期待して拒絶とも取れる態度を取ってしまったこと。
謝って仲直りをしなければ。あたしは目覚めてからその想念だけに囚われていた。
昨日から降り続く雨は仄かに弱くなったけれど、窓の外では陰鬱な暗い雲が青空を覆い隠している。
あたしは朝ご飯を残さず食べた後で、決意を足に宿して図書室へと向かった。ノートと筆記用具も忘れずに持った。
図書室の中にエミの姿は見当たらなかった。でもエミが遅れてやってくる日もあるから・待っていたら来るかもしれないからと、あたしはいつもの窓際のテーブルに陣取ってノートを開いた。
ただ待つだけというのも手持ち無沙汰だったあたしは、エミが来るまでの間、ノートにアイデアを綴り続けた。
何となく勇者に選ばれた主人公が王様の言いつけ一つで旅に出るフォーマットをあまり快く思っていなかったあたしは、勇者と呼ばれる存在だからこそ勇気を振り絞るシーンを冒頭に入れようと思った。
魔王の配下たるモンスターが攻め込んできて、主人公の大切な人を踏み
すると周りの村人たちも協力して応戦してくれて、主人公は見事モンスターを打ち倒した。そして大切な人たちのために、勇者になることを決意する――といった感じか。
戦士や魔法使い、賢者についても、何故魔王と戦うことを決めたのか、という背景を描写した方がいいかもしれない。
ああでもない、こうでもないと集中しながら考えを巡らせていると、あっと言う間に三時間が経過していた。
あたしは嘆息して、ノートと筆記用具を持って席を立った。
エミは来なかった。
ヱミも来なかった。
† †
翌日の検査で経過は順調だと言われた。一週間後に再度検査を行い、問題が無ければ一先ず退院できるとも。
順調なものか。
あたしはパソコンに向き合って
エミには結局まだ謝ることが出来ないままだし、エミに朝会えないことは、ヱミにも会えないってことだ。
焦りで眉根を寄せることが多くなった。
相変わらず殺される悪夢は継続している。その都度女医さんには報告しているけれど、別に身体に異常があるわけでも無いし、段々とあたしは悪夢に慣れてきていた。
エミやヱミに会えなくなって、もう三日目だ。
それでもあたしは、アイデアノートにゲームブックのプロットをずっと書き続けていた。
会えないことへの悲愴な感情は段々と腹が立つ怒りに置き換わっていって――何て身勝手な感情なんだろう――、あたしはそのせいか
白い魔女が大切な人を奪い去り、主人公はそれを取り戻すために勇者になることを決意するのだ。
怖くて仕方が無くて、何度も躊躇する主人公。自分には出来っこない、と、自分がやらなきゃ誰がやるんだ、の間で何度も逡巡し、そして漸く立ち向かうことを決意する。
その姿に自分を重ねていたのだろうあたしは、この勇者のように自らエミを探しに行くために席を立つ。
エミはいつも、この図書室にいた。あたしが入院している東館ではなく、この北館に入院している可能性が高そうだと大雑把に推理して、あたしは廊下ですれ違う看護師さんやお医者さんに会釈しながら病室のある三階から九階までを
白いリノリウムの床は相変わらずキュッキュと靴底が擦れる不快な音を響かせ、白く塗られた清潔感のある壁には低い位置に細い丸太の手摺が備わっている。それを伝って、リハビリ中なのか左足を不自由そうに引き摺って中年男性が額に汗しながらすれ違った。
退院を祝う声が廊下まで漏れてきた病室では、同年代の女の子が医師や看護師に頭を下げていた。その後ろに立つ男女は彼女の両親だろう。
見舞客の表情は皆それぞれだ。穏やかな表情で廊下に出てくる人もいれば、沈鬱な表情で廊下で話し合う人たちもいる。
不思議だ。ここですれ違う人たちのその
だと言うのに。
あたしはこんなにもエミに、会いたいと思っている。
あたしもこの人たちのようにエミと交わらない人生を送っていたとしたら、この病院で退院を待つ日々を淡々と過ごしていたのだろうか。
すべてを思い出す過程で、若しくはすべてを思い出して、死にたくなってしまっただろうか。
例えばこの屋上から――
「――やっぱ、閉まってるよね」
施錠されたドアノブを放して、あたしは元来た階段を下りていく。
結局、北館でエミを見つけることは出来なかった。
† †
夜、やはりヱミの来訪は無かった。
そして朝ご飯の後は昼ご飯まで仮眠を取ることにし、お昼ご飯を済ませた後で今度はこの東館を探す。
東館は6階建てだ。北館に比べて3階層少ない。西館は研究棟なので、この館にいないということは無いだろう。
寧ろ、夜中にひっそりとあたしの病室に来るくらいだ、東館にいる方が現実的か。
しかし思いに反して、成果は上がらない。
エミに詳しく名前を聞いておくべきだったと後悔する。あたしが知っているのは彼女の“エミ”という名前の発音だけで、それを漢字でどうか書くか、なんて知らない。
昨今ではプライバシーの観点からか病室の表札に名前を表示させない患者も多く、受付で訊いてはみたけれど見舞いの
諦める
そして廊下を歩き、トイレの前に差し掛かったところで、あたしは意外な人物に遭遇したのだ。
「ぅわっ」
「あっ、……こんにちは」
「あ、こん、……にちは」
それはエミを追い掛けて山道を駆け上がったあの日、倒れたエミを背負ってあたしを病院まで先導してくれた男の子だった。
見ると、あたしと同じ空色の入院着を着ている。
「えっ、入院?」
「違うよ、検査」
ぶっきらぼうに目を合わせずにそういう彼の言葉に、ああ、と頷いた。
確かによく見ると、その着衣は合わせの部分がボタンではなく、和服のように腰部分で紐で留めるタイプのやつだ。
何の検査だろうと思ったあたしだったけれど、でもそれよりも大きな疑問が湧き上がって来てしまい、つい不躾にそれをそのまま口に出してしまう。
「ってか、今何処から出てきた?」
そう。彼は、確かに女子トイレから出てきたのである。
あたしは一歩後ずさり、睨み付けるような目つきで彼を見た。
「は?」
「え、変態?」
その言葉に一瞬噛みつくような表情を見せた彼は、しかし項垂れ、大きく溜め息を吐いた。
そして顔を上げると、いかにも面倒くさそうな顔であたしの問いに答える。
「そりゃよく言われるからいいけどさ……オレ、これで女やってるんで」
え、今何て言った?
「女!?」
「そうですけど!?」
そしてあたしは、無意識にそのすとんと落ちる胸板に手を伸ばし、引き締まるも確かに存在する柔らかな膨らみを確かめ、更なる驚愕に目と口とを全開にした。
「――ある」
「当たり前だっ、殴るぞっ」
あたしの手を振り払った彼、じゃなくて彼女は、頭を抱える仕草であたしを睨み付けた。
あたしが驚愕の事実に言葉を失っていると、男性の看護師さんに「静かにしてくださいね」と叱られ、あたしたちは揃って頭を下げた。
「ご、ごめん……なさい」
「……言われるのは慣れてるけど、ここまであけっぴろげに触られたのは初めてだよ」
「ごめんってば」
「いいよ、別に……で、あそこで隠れてる白いのは、何してんだ?」
「え、白い?」
言われ、振り返る。するとそこには、曲がり角の壁から顔を出してぎょっとしている白い髪の女の子。
「エミっ!」
見間違えるはずが無い。あんな外見、二人といない。
あたしは振り向いて早口でありがとうと捲し立てると、再び
「何なんだよ、もう――」
後ろでそんな声が聞こえた気がしたけれど、今のあたしはそれどころじゃなかった。
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