997. 否定してくれ
「……保科!! 車からロープ取って来い!! 鍵は開けてある、急げ! ダッシュだ!!」
長い沈黙を破ったのは峯岸の叫び声。慌てて部屋を飛び出して行った慧ちゃんを確認すると、男を拘束しに掛かった。
俺も協力し男へ覆い被さる。意識までは失っていないようで、抵抗こそされるが……二人掛かりではどうにもならない。
「ったく、無茶しやがって……! 怪我でもしたらどうするんだ馬鹿者がッ!」
「説教は後や! 力入れろ!」
唸り声を上げる男の口を覆い、峯岸は巧みな〆技で男を押さえ付ける。なんだ、随分と手慣れているな。もしかして彼女も有段者か何かか。
ともかく、暫くすると男も気力を失い、段々と力を抜いて行った。すぐに慧ちゃんも戻って来て、ロープで簀巻きにし身動きが取れないよう拘束。
良かった。これで当面の間は凌げるはずだ。
さて、残る問題は茫然としている母娘か……。
「生きてるぞスマホ……おっ、上手いこと写ってるな。これなら証拠になるか」
画面が割れただけで壊れてはいないようだ。峯岸は感心げに呟く。なんと奇跡的に、男が投げ捨てた瞬間にスクショが撮られていたらしい。
包丁を持っている姿がバッチリ残っていた。警察も呼んだことだし、間違いなくこのまましょっ引かれる。武器を用いたとなれば立派な脅迫罪だ。
到着までもう暫く掛かるだろうが、ガムテープで話せないようにはしたし、慧ちゃんもバット片手に威嚇している。でも警察が来るまでにサングラスは外そう。勘違いされそうで怖い。
「ばかっ、ばか、ばかハルトっ! ホントに怖かったんだからぁ……!」
「ごめんごめん……ははっ、今更震えて来たわ」
「笑い事じゃないのよぉっ!!」
やっと事態が落ち着いてきたと思ったら、今度は愛莉が泣きじゃくり始めてしまった。反省はしている。包丁を持った相手に生身で立ち向かったのだから、気が気じゃなかっただろう。
対照的に、先ほどから一切の言葉を失い黙りこくったままの瑞希である。実家へ乗り込んだ時はこんなことになるなんて思いもしなかっただろうし、目まぐるしい状況の変化に着いて行けていないのか。
……いや、それだけじゃない。
受け入れられないことが、あまりに多すぎる。
「で、どうするんですか? 見ての通り、気に入らないことがあれば凶器を持ち出すような、野蛮でどうしようもない人間のようですが」
峯岸は振り返り、母親へこう投げ掛ける。テーブルへ座らされた彼女は、ジッと俯いたまま答えようとしない。
反応が気に食わなかったのか、派手に舌打ちを噛ます峯岸。男の粗暴な態度が移っているようで歯がゆいが、俺とて思うところは同じだった。
この状況で、まだ沈黙を貫くのか。
別に『助けてくれてありがとう』なんて期待しちゃいない。『ご迷惑をお掛けしました』もいらない。何かリアクションをしろよ。
瑞希を、娘を見ろよ。
「……警察は、やめてください」
「はあ?」
「もし捕まったら、この人がいなくなったら、私は……」
「もし、じゃないんですよ。脅迫罪で間違いなく捕まります。それだけのことをしたんです。暴行罪だって着いて来る。貴方を殴ったことも聞いています」
「そんなの困ります……っ!」
力無く首を振る。
駄目だ。もう見てられない。
「いい加減にしろよッ!! 瑞希とこのクソ野郎、どっちが大切かなんて……考えるまでもなく分かるやろが!!」
「いいよ、ハル。もう良い……っ」
声を荒げると瑞希は、そっと手を握り呟いた。
もう良いって。そんな、瑞希……。
「……峯岸ちゃんの言った通りだったんだ。踏ん切り? ってのも付いたし」
「違う瑞希、そうやなくて……!」
「やっぱさ。他人だったんだよ、ずっと。あたしがこの人の娘だったときなんて、一回も無かったんだ……あーでも、コイツにはそー言ってたんだっけ?」
振り絞るように紡いだ自暴自棄な言葉には、節々からあらゆる諦念が透けて見えた。力の無い微笑みが、すべてを物語っている。
「おめでとう、再婚。アレでしょ。たぶんゴクチューコン? ってやつになっちゃうんだろうけど、まぁいーじゃん。それくらい我慢しなよ」
「瑞希……ッ」
「言ってなかったよね。この人、ハルがあたしの彼氏。卒業したら一緒に暮らすんだ。今もそんなカンジだけど。だから、もう帰って来ないから……っ」
無理やりにえくぼを広げ、母親へ笑い掛ける。
そうじゃない。そうじゃないんだよ瑞希。
それじゃ本当に終わってしまう。
あの日、自分で言っただろう。他人と思うのは簡単だけど、それでも家族なんだと。決して否定出来ない繋がりが、家族にはあるんだろ?
確かにとんでもない母親だ。この期に及んで男へ未練を残すような、まるで見る目の無い、頭も足りない人間だ。俺だって正直、こんな人を瑞希の母親と認めたくない。
でも、家族だろ?
この世でたった一人の、母親だろ?
これって、俺が甘いだけか? 自分がちょっと上手く行ったからって、理想を押し付けているに過ぎないのか?
なあ。頼むよ。誰か否定してくれよ。
俺が間違っていないって。
こんな結末を目の当たりにするために、俺たちは乗り込んできたわけじゃないって。強がりでも大嘘でも、誰か言ってくれよ――――。
「……本当にそれで良いの? 瑞希」
「…………長瀬?」
か細く頼りない声だが、この瞬間ばかりはリビングへ良く響いた。暫く泣いていたと思っていたら、落ち着いて話を聞いていたようだ。
「確かにお母さんは……瑞希に、酷いことをしたわ。別にそれは、許さなくても良いと思う。でも……でもお母さんは……っ」
「あの日、瑞希を守ろうとした」
足りない部分を補うよう、自然と言葉が溢れてしまった。隣の瑞希は寒々しく身体を震わせ、縋る瞳で俺を見上げる。
「アンタに娘への愛情が残っていないのは、だいたい分かった。母親としての責務より、女としての幸せを優先したのも事実や……ハッキリ言うわ。アンタじゃ瑞希を幸せには出来ない」
「……そうよ。私には……ッ」
「分かり易いな。そうやって自分を下げるのは、非を認めているも同然や。後ろめたい気持ちがあるんやろ?」
誤魔化すような視線の動かし方、瑞希とそっくり。やっぱり親子だ。第三者が否定しても、当人たちが諦めていても。
どうしても。どう足掻いても、家族だ。
「お願いします。これだけは教えてください。昨日、いやこれまで一度も、瑞希とこの男を引き合わせなかったのは……せめてもの罪滅ぼしですか? それとも娘を想ってのことですか?」
またも母親は口を閉ざす。
でも、分かる。答えは後者だ。
思えば俺のときも一緒で。アイツらはロクに理由も謝罪の言葉も無いまま、高槻での練習試合に無様な面を下げ駆け付けた。
言語化出来なくても、内に秘められた想いはある。それはきっと、打算や同情なんてものではなく。知らず知らずのうちに芽生えた、たった一つの感情。
「そうよ、瑞希……瑞希にとっては違ったのかもしれないけど、お母さんはまだ、そうは思ってない。ここだけが、最後の一線だったのよ……!」
「……線?」
「この男と会わせたら、もう母親を名乗る資格が無いって、分かってたのよ! だから拒んだのっ! 頭では追い付かなくても、身体が動いたのよっ!! ねえ瑞希、ダメよこんなの……っ! 諦めちゃダメ……!」
引っ込んでいた涙がまた溢れ返って、愛莉は彼女の肩を掴み、必死に訴えた。
愛莉も同じだ。家族というモノに対して、ある種の馬鹿げた理想を抱き続けている。顔も名前も知らない父親への幻想を捨て切れず、ここまで生きてきた。その反動は俺への依存という形で、やはり今も息衝いている……。
「……じゃー、どうしろってんだよ……! 全部許せってこと!? コイツのせいでメチャクチャになったのに!? コイツが浮気しなきゃ、パパだって他の女のとこに行ったりしなかった!! あんなことにはならなかったのに!!」
「コイツが悪いんだ!! あたしもパパも悪くない!! 全部、ぜんぶこの人のせいなんだよ!! コイツがあたしたちから、幸せを奪ったんだ!!」
「もう要らないんだよっ!! あたしにはハルが、みんながいるんだ!! 家族がいるんだ!! こんな奴、邪魔なんだよ!! あたしの人生に、幸せにっ……コイツが入ってくるなんて、そんなのっ……!!」
破れかぶれに泣き叫ぶ瑞希を、愛莉は黙ったまま強く抱き締める。でも、届かない。想いは通じない。
そのときだった。
背後から鈍い物音。
「クソがッ!!」
男が立ち上がっていたのだ。
どうやら拘束が少し緩かったのか。慧ちゃんが近くを離れ視線を外していた隙にロープを解き、ガムテープも取ってしまった。
立て掛けてあったバットを手に取る。
不味い、このままじゃさっきの二の舞……。
「――そうはさせないっス!!」
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