996. 許さない


 咄嗟に身体を大きく広げ、瑞希が視界に入らないよう必死に覆い隠す。


 ほぼ反射的なソレだった。結果的に誰が正解か教えてしまうとすぐに気付きはしたが、それでもやめる気は無かった。僅かな時間であっても、奴に瑞希を『娘』だと思われたくなかったのだ。



(なんやこの絵に描いたような……ッ)


 俺を追い掛けていた安斎と言い、どうして心の荒んだ人間はこうも外面から醜悪さが滲み出ているのか。ちょっとは隠す努力をして欲しい。


 だるだるに緩んだ頬は紛うことなき下心の現れ。もう『下種』以外の感想が出て来ない。こんな醜い男、今の肥えた母親相手でも不釣り合いだ。



「おっ。姉ちゃん綺麗だなァ……! なんだよ、聞いてた話より胸も……」

「失礼。瑞希さんの担任をしている者です。お母様の再婚相手の方で、お間違いありませんね?」


 男はまず先に愛莉へ目を付けた。サングラスも外し美貌が晒された今、最も関心の向く存在だったのだろう。彼女を娘だと勘違いしている。


 のっしりと進み出た男の前に、峯岸が機敏な出足で立ち塞がる。機嫌を損ねるかと思われたが、峯岸も相当な美人だ。むしろ悪くない気分なのか、更にニタニタと顔を歪ませ余裕を見せつける。



「アァ? そうだよ。コイツは俺のツレだ。で、なに? 家庭訪問だって?」

「クラスでご家族との連携が取れていないのが、金澤さんだけなものですから」


 先の一件に続き、ガラの悪い大人相手の対応は流石の峯岸である。男にもまったく怯んでいない。しかし、取って付けたような理由が果たして通用するか否か。慧ちゃんなんて未だにサングラス掛けてバット片手だし……。



「おぉ、良いぜ。家庭訪問なァ……いかにも『父親』っぽくて悪くねえな!」


 が、意外にも好意的な反応。話の流れと言え、父親扱いされて気分が良かったのか。単純な脳ミソだ。コイツにそんな資格があるものか。


 すると。男はくるりと背を向け、一度リビングから出て行く。流石に他人の目もあるし、マトモな恰好に着替えて来るのかと思ったが……。



「じゃあ、始めようぜ。まァ適当に座れよ」


 カチャリ、と不吉な金属音だけを残しすぐ戻った。

 もしかして……家の鍵を締めた?



「すみません。あくまでご家族の現状を把握したいという、それだけなので。あまり長居するつもりは無いんです。聞きたいのは瑞希さんとお母様……そして、貴方とご家族の関係です」

「アァ? だから言ってんだろ。俺が父親だよ」

「お話は瑞希さんから伺っています。まだ婚約はされていないんですよね?」

「…………チッ。余計なことを……」


 ここに来て初めて不快感を露わにする。やはり男にとっても、母親との関係を表沙汰にされるのは本意でないようだ。


 男があからさまに苛付いている間、峯岸と一瞬のアイコンタクト。奴と居合わせてしまった場合、瑞希を車へ連れ出すよう予め取り決めがされてある。彼女の手を握り、バレないよう少しずつ移動を開始。



「もうこの家で生活されているんですね。そのような話は瑞希さんから伺っていませんが」

「……生活だァ? んなわけあるか。そこら中鍵が掛かって、ロクに出入りも出来ねえのによ。暇だからコイツの部屋で寝てただけだ」

「コイツ、ですか」

「アァ? 文句あんのか?」

「いえ。ただまぁ、ご婚約されるお相手に随分な言い方をするな、と」


 毅然とした態度を崩さず、峯岸は少しでも情報を引き出そうと糸口を模索する。男がこちらの動向に気付いていない。引っ掛かるのは母親だ。奴が現れてから一切喋らなくなったな……。



「瑞希さんも三年生ですし、進路の問題もあります。ご家庭内の不始末で望む形へ進めないというのは、我々とて本意ではありません」

「不始末だァ? どういう意味だよ、おい」

「ハッキリと申し上げますが、ご家族に関して瑞希さんから、景気の良いお話を聞かないもので。というか、会ったこと無いんですよね? 瑞希さんと」

「……そうだよ。彼氏の家か知らねえけど、ロクに帰って来ねえらしいからな。コイツも何かと理由を付けて、会わせてくれねえ」

「これから家族になる間柄だというのに、何故? お母様、なにか事情が?」


 蚊帳の外になっていた母親へ、峯岸は鋭い視線と共に低い声で問い質す。母親は酷く狼狽し、その真意を言い淀んでいた。



(何に悩んでるんだよ……ッ)


 希望を捨てていないのは、瑞希も俺も同じだった。何度だって言うが、昨日は瑞希を守ろうとしたのだ。男と接触しないよう、身体を張ってくれた。


 なのに、いざ面と向かって話したら『お前なんて』と、存在そのものを否定するような台詞さえ吐いてみせる。瑞希のことを本当はどう思っているのか、ここに来て意図がまったく分からないのだ。


 男に脅されているのなら、素直にそう言えば良い。瑞希が要らないのなら、ハッキリと拒絶すれば良い。八方美人の反対だ。どっちにも悪い顔をして、結果的に自分だけが不利益を被っている。



「あー、コイツに聞いても無駄。どうせなんも考えてねーんだからよ」

「……考えていない?」

「良いぜ、教えてやるよ。コイツに声を掛けたのは、バカだからだよ。店でもだーれからも絡まれねえの。仕事もロクにこなせねえしさァ、いっつもマスターにキレられててよォ。考えて行動するってのが出来ねェんだわ」


 これは考察通り。母親の働いているスナックの常連で、アプローチしたのは男の方。しかし、こちらが内情を知らぬとは言え、酷い言い草だ。


 腕中でビクリと震える瑞希。同じ空間で母親の悪口を叩かれるのは相当堪えるのだろう。大丈夫だ、あと少しでリビングから抜けられる……。



「馬鹿だから、というのは?」

「俺もさァ、なんでか分かんねえけど、若い奴に相手されなくてよォ。仕方ねえからソイツに絡んだわけ。したらすーぐ靡いてやんの。ちょっと金出してやっただけで若い奴に威張り散らすしさァ。いやァ~あれは傑作だったわァ……」


 ダイニングへ向かい乱雑にコップを取り出すと、蛇口をひねり水を飲み出す。要するに太客だ。で、母親も調子に乗ってしまったのか。



「裕福でいらっしゃるんですね」

「アァン? まあな! 投資で一発デケェの当ててよォ。したらさコイツ、店長にも同僚にも嫌われてよ。もうクビ寸前なんだわ」


 若い店員に嫌われていたということは、店での態度も相当悪かった筈だ。太客とは言え、こんな男を居座らせては良い顔をされないのも理解出来る。


 そうか。母親は店に居場所が無くて、頼れるのがこの男しか居ないんだ。暴力を振るわれようと、心理的に離れられない状況まで追い込まれている……。



「お話の限り、婚約される動機が見つからないようにも思えるのですが。その辺り詳しくお伺いしても?」

「決まってんだろ! 娘だよ娘! 他にあっかよ! 聞いてもねえのにベラベラ喋って来るしさァ。他に話せることねえのかってくらい! 最初はただの親バカかと思ってたら、自分に似ないでエライ美人だっつうモンだから……!」


 男は興奮気味に捲し立てる。太客を繋ぎ止め関心を惹くために、瑞希をダシに使ったんだ。ともすれば、この手の下種が考え付くのは唯の一つ。



「ま、そういうわけだから! 担任かなんか知らねえけど、あんま首突っ込まねえ欲しいんだよなァ……家庭内の問題、ってやつ?」

「であれば、尚更引き返すわけにはいきません。言った筈です。瑞希さんの将来が危ぶまれるようなことがあれば、学校側としても……」

「見逃すわけにはいかねえ、ってか? へッ。悪いけど、そりゃあこっちも同じなんだよ…………オイッ!! そこから一歩も動くなッ!!」


 ビリビリと肌を裂くような咆哮に、思わず足が止まった。クソ、あとちょっとでリビングから出られたのに……!



「逃げ出すつもりなのは分かってんだよ! ったく、なにが家庭訪問だァ? 野郎二人も連れて来やがってよォ……舐めてんのかァ!?」


 流石に甘く見積もり過ぎたか。瑞希を連れ出そうとしているのも、男は気付いていた。だから先に鍵を締めて、時間を稼こうとしたのだ。


 ダイニングから戻った男の右手には、キッチンから持ち出したと思われる包丁……って、え、包丁!?



「おいおい嘘だろ……話も通じねえってか!?」

「嘘じゃねえんだよなァ~。なあ先生よォ、痛い目遭いたくなかったら娘だけ置いて、さっさと帰ってくれねえかなァ……?」


 これには峯岸も顔を引き攣らせる。俺たち四人を庇うよう急いで身体を広げ後退するが、それが滑稽にでも写ったのか、男は醜く口角を吊り上げた。


 信じられない。自分にとって都合の悪い状況だからって、凶器で脅して来るなんて。あり得ねえ、イカレてやがる……!



「……あっ!? テメェら、撮りやがったな!!」


 視線の先には、瑞希が落としてしまったスマートフォン。運の悪いことに、画面が上に向かって開かれていて、ビデオ通話が続いたままだったのだ。


 凶行の証拠として残されるのを恐れたのか、男は更に激情しそれを回収しようと進み出る。俺たちより近い位置だから、もう間に合わない。


 カバーを外し、力いっぱいに床へ投げ付ける。痛々しい悲鳴を上げ、画面はいとも簡単に割れてしまった。


 二人の、みんなとの思い出が沢山詰まったスマートフォンが、たった一瞬で。あんな下種な男の手で……。



「この野郎……ッ!!」

「ハルトっ!?」

「ちょっ、ヒロセ先輩!?」

「やめろ廣瀬ッ!!」


 居ても立っても居られなかった。愛莉と慧ちゃん、そして腕中の瑞希も目を見開き驚いている。峯岸の制止も振り払い、俺は駆け出した。


 相手が凶器を持っているのも、数日後には準々決勝が控えているのも、もはやどうでも良い部類。これ以上、瑞希の大切な思い出を。

 

 彼女の脆い心を壊すような真似は。

 許さない。絶対に、絶対に許さない――!



「なっ……テメェ!?」


 怠惰な体型、スマホの投げ方からして、運動慣れしていないのは分かっていた。事実、トップスピードで突っ込む俺に、奴の反応は遅れている。


 慌てて包丁を突き出す男だが、腕が短いのでリーチも足りない。振り上げた左脚が、一足早く奴の右手にジャストミート。こんなところでボレーシュートの練習が活きて来るなんて。


 バシンッと鈍い音が響く。

 包丁は人のいないダイニングへ飛んでいった。


 無防備になった男は動きを止めてしまう。これ以上は必要無い。みんなとフットボールに捧げた脚を、お前を蹴り上げるために使って堪るものか。


 家族を。大切な人を守るためには。

 たった拳だけで十分だ――。



「お前が、お前みたいな奴が……ッ!」

「や、やめろッ!? それ以上は暴行ざ――」

「瑞希の父親に、家族に……なれるわけねえだろうがァァァァアアッッ!!」



 力任せに振り抜いた左腕が、頬を貫く。


 それはもうアッサリと、冗談みたいに。

 男は壁に沿うよう崩れ落ちた。


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