798. 組んず解れつ


『現在一位は二年D組、先頭の市川さんが作った大きなリードをこのまま維持出来るでしょうか! ちなみに市川さん、自宅で飼っている犬と同じペースで走れるそうです! 普通に人間を辞めている!!』


 序盤は出遅れてしまったが、第二走のテツが自慢の俊足を飛ばし一気に追い上げてくれた。続く谷口も順位を落とさず快走。


 なんでも選抜リレーは特にポイントの配分が大きく、よほど点差が付いていなければこのレースで上位に入ったクラスが優勝する傾向にあるそうだ。もっと早く教えて欲しかった。今までの苦労を返せ。



「良い、琴音ちゃん。ノノに追い付く必要は無いけど、前のC組にだけは絶対離されないで! いま私たちが学年一位で、向こうが二位だから!」

「これだけ切羽詰まった状況になるのなら、尚更私でなく瑞希さんの方が良かったのでは……まぁ、やれるだけやりますけど」


 個人賞受賞のコツをまだ勘違いしている愛莉は、このレースに勝てば間違いなく手に入るものと睨んでいるようだ。さっきまで怠そうにしていたが、一度始まれば体育会系の根っこが顔を出している。動機はともかく。


 第四走者は琴音。他のクラスもここは女子が多く、特別引き離される心配は無いが……でも、あの子がいるからなあ。



「頼むよ、聖来! かっ飛ばして来て!」

「へえ……! 頑張るよ……!」


 真琴に送り出され鼻息荒くスタート地点に構える小谷松さん。現在一年A組は全体の9位。学年では3位だ。

 男子を前の順に持って来たけれど、あまりリードを取れなかった。或いは彼女のスピードで一気に追い上げる作戦か。


 バトンが渡り琴音が走り出す。三秒ほど遅れて小谷松さんもスタート……速い速い速い、だから速過ぎるって!!



『ここで一年A組小谷松さん、怒涛の追い上げだーー!! あっという間に四人を抜き去り上位戦線へ! 桃太郎の鬼も裸足で逃げ出す驚異のスピード! 岡山が生んだ自慢の家来は千○、藤○風、そして小谷松聖来で決まりだァァ!!』


 奥野さんの実況もキレッキレ。

 凄いところと肩を並べたな。大出世だ。

 


『さあ三年A組、楠美さんを捉えた! リードを守れるのか! それはさておき、揺れています、大いに揺れています!! 野郎共、刮目せよおおおお!!』


 激しいデッドヒートもそっちのけで大盛り上がりのオーディエンス。取りあえず奥野さんは放送部に転部すべきだ。絶対文芸部より向いてるから。



「はっ、早くゴールしないと……!?」

「楠美先輩、どうしてこねーに速えんじゃ!?」


 注目を浴びたくない一心から普段以上の力が湧いて来るのか、小谷松さんは一向に琴音を捉え切れない。それでもなんとか横に並んだが。



「す、すげえっ……こねーなでっけえのぶら下げとって、よう走れるなぁ……!」

「貴方までなんなんですかッ!?」


 並走しながら琴音のおっぱいをガン見。あまりの衝撃に集中が切れてしまったのか、ついに琴音が一歩抜け出した。年長者の意地というやつか。違うな。


 おっと、こちらもデレデレしている場合じゃない。必死扱いて保ってくれたリードを明け渡しては申し訳が立たぬ。

 まずは前を行くC組を追い抜いて、せっかくなら全体一位も狙いたいところ。ルビーも第五走だから、アイツ相手ならチャンスはある筈だ。



「陽翔さんっ!!」

「任せろ! 汗拭いとけよ!」

「早く行ってください!!」


 バトンを受け貰い地面を蹴り飛ばす。すると、先を走っていた筈のC組男子ランナーが何故かすぐ近くにいた。

 どうやら琴音をジロジロ見過ぎて、スタートが遅れてしまったようだ。俺も人のことは言えない。慣れているかどうか。



『あーっと三年C組ここでバトンのミスが出たッ! 三年A組が全体二位、そして学年首位へと躍り出ます! 第五走者の廣瀬くん、流石の快速! 知る人ぞ知る元サッカー世代別日本代表がいよいよ本領発揮か!!』

「余計なこと喋んなッ!!」


 嗚呼。終わった。学校中に知られちゃった。

 もうなんでもええわ。どうにもならん。


 C組とは結構な差が付いた。これで学年トップは固まったと見て良いだろう。アンカーの愛莉が追い抜かれるとも思えないし。


 ここからは全体一位を狙う戦い。

 ルビーの背中も見えている。よし、イケるぞ!



「邪魔なんだケドッ!!」

「お前が邪魔してんだよ!」


 が、そうは問屋が卸さぬと背後から真琴が猛追。トラックの内側を取ろうとかなり至近距離まで接近して来た。

 彼女も女性にしては並外れたスピードの持ち主。二人揃って前方のルビーに追い縋る傍ら、激しいポジション争いを繰り広げる。



『一年A組長瀬真琴くん、もとい真琴さん、二つ年上の廣瀬くんにも物怖じせず立ち向かいます! どうですか解説の奥野さん! はい実況の奥野さん、長瀬さんは男子もさることながら、女子の間でも大変人気だということです!!』


 暇を持て余し一人芝居を始める。

 そろそろ妨害の域だ。集中出来ない。



「クッソ、シルヴィア先輩も意外と速いんだよな……! ねえ兄さん、せっかくなら兄妹でワンツーフィニッシュとか、興味無い!?」

「悪くないなッ!」


 ルビーにはなんの恨みも無いが、周りがふざけっぱなしなのがいけないのだ。そんな気分にもなる。ここらで個人賞を確実なものにして貰おう。


 この距離感ならギリギリ声が届く筈。誰からも妨害行為を悟られず、ルビーを陥れる方法……これしかない!



『ルビー! 短パンずり落ちとるぞ!!』

『ヴェァッ!?』


 勿論嘘である。だがルビーは突然聞こえて来たバレンシア語へ機敏に反応し、大慌てでハーフパンツに手を掛ける。そしてバランスを崩し。



『あーーーとシルヴィアさんまさかの転倒ォォォォーーッ!! そんなえっちなお尻してるから天罰が下ったのかーー!?』


 作戦は見事に成功。すぐに立ち直り追い掛けて来るが、かなりの距離を稼ぐことが出来た。まぁ良いだろ。まだ学年では首位なんだから。許せって。



『だましたわねヒローーーーッ!!』

『ハッ! ざまぁ見やがれッ!』

『この卑怯者ッ! マコトまでなによぉぉぉぉ!』

「勝った方が強いんだよ、へへっ!」


 謝るのはあとにして、悪戯な兄妹は仲良く肩を並べたまま最終コーナーへ。さあアンカーだ。こちらも子弟対決とも呼べる二人……面白くなって来た!



「行けっ、愛莉!」

「なにイチャイチャしてんのよ、ばか!!」

「有希、絶対勝ってよ!」

「任せてッ! マコくん!」


 それぞれの思惑を胸に、バトンはほぼ同時にアンカーへと渡る。単純なスピードなら愛莉に分があるが、この日まで特訓を重ねて来たという有希。どちらが勝ってもおかしくない勝負だろう。


 結局フットサル部のいるクラスが上位を独占している。最後の最後に個人賞を争う展開になったな。学年が違うから、実は張り合う意味は無いんだけど。でもそれだけじゃないのだろう。彼女たちにとっては。



『ホントあり得ないっ! 見損なったわヒロ! バルアレスの海に沈めてやるんだから! 覚悟しなさいッ!!』

『ごめんごめんって。ほらっ、でもルビー。これで個人賞はお前で確定や』

『……えっ? そうなの?』

『ルビーみたいな可愛くてカッコよくて面白い奴が貰えるんだよ』

『…………ふ、ふーん。可愛くてカッコイイ……わたしが……まぁ、そういうことなら……最後にアシストしてくれたってわけ?』

『せやせや。どうしてもルビーと二人っきりでデートしたかったから、ついな。だから許してくれ』

『ウグッ……!? い、いきなりやめなさいよそういうこと言うの! …………まぁでも、そうね、そういうルールだったし……しっ、仕方ないわねっ! 許してあげなくもないわっ……!』


 怒り狂っていたルビーだが一転、頬を緩ませ澄まし顔で傍を離れていく。よくもまぁクールに務められるものだ。単純にもほどがある。

 今更忖度はしない。お前は本当にどうしようもなく単純な奴だ。でもそういうところが好きだよ。本気で。同じくらい不安だけど。


 ともかく選抜リレーもいよいよ佳境へ。

 レースの行方はどうなっている……?



「おんどりゃああ嗚呼ア゛アアア゛!!」

『ここで二年D組世良文香さん、再び追い上げるっ! 勝負は三つ巴の様相を呈して来ました! なんでも世良さん、特徴的な関西弁は新○劇のモノマネで培ったゴリゴリの偽物らしいです! 市川さん情報提供ありがとうございます!』


 同じくアンカーの文香が猛烈な追い上げで二人を捉えた。ほんの僅かな差だが、順位は上から愛莉、有希、文香。誰か抜け出してもおかしくない。


 奇しくもアパートの同居人二人と、最も来訪頻度の高い愛莉の対決だ。巡り合わせもあるというか、色々と因果を感じさせる組み合わせだな……。



「結構やるじゃない、有希ちゃん!」

「……負けませんっ! 愛莉さんにだけは、絶対負けられないんですっ!!」

「悪いけど、ここで勝ってもハルトのこととは別問題だからねっ!」

「それでもっ! それでも勝つんですっ!」

「ゴラァァァァ゛ーー゛!! ウチも混ぜんかァァァァ゛ーーイ!!」


 顔を向き合わせお喋りとは随分な余裕だ。文香が必死過ぎて逆に浮いている。アイツもアイツで話したいことが色々とあるのだが、そういう流れに傾かない。文香らしいと言えばそれで終わる話だが。


 最終コーナーを過ぎ残すは最後の直線のみ。各学年の首位が全体一位を争う格好となり、グラウンドは今日一の大歓声に包まれた。



 たかが体育祭だ。ここで勝とうが負けようが部内の関係性やレギュラー争いに変化が起こることはない。俺にしたって休日の相手が変わるだけのこと。


 それでも本気で一位を、個人賞を狙う皆の姿に、思うところが無いわけでもなかった。どれだけ馬鹿らしいことも、本気で挑めば見合うだけのリターンがあるのだ。この一年は、そればかりを証明する日々だったようにも思う。


 仮に変わるものがあるとすれば。

 それはきっと、彼女たち自身。


 そして俺も、そんな彼女たちに救われ。助けられて。語るに足りない思い出と共に、少しずつ前を向いて、進んで来たのだろう。



「行っけー長瀬ぇーーッ!!」

「ユーキちゃーん! 勝てるっスよーー!!」

「今です世良さん! コケて全員巻き込むんですッ! そしてそのままセンパイの方へ転がって、組んず解れつの大ラッキースケ」

「黙っとれ市川ァ゛ァァァ゛ー゛ーッッ!!」


 なんて、感動的な話でもないか。丸々含めて楽しい体育祭だった。そう、これで十分、この件はおしまいだ。残された課題も後の楽しみに取っておこう。


 様々な思惑が交差する体育祭。

 最後に勝利を勝ち取るのは――――。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る