771. 刮目せよ


 サイドから一気に切り込む瑞希。暫く暗い顔のままコートを彷徨っていた未来も痛烈な檄を受けハッと表を上げる。カウンターは既に完結し掛けていた。


 一人残っていた土居は対峙する瑞希だけでなく未来の動きも注視しなければならない。女子が相手とはいえ二人同時のマークは至難の業。

 加えて男子顔負けの突破力を兼ね備える瑞希だ。一瞬でも気を緩めれば即死は免れない。



「――行くよっ!!」


 ペナルティーエリア目前。そんな掛け声と共に瑞希は更に一段ギアを上げた。挑発的な声色に土居も応える。腕を引き伸ばし彼女を捕まえに掛かった。


 だが、違う。それは本命じゃない。

 恐らく土居だけが分かっていなかった。


 今のは未来に向けて放った言葉だ。

 僅か一瞬のアイコンタクト。

 お前ほどの選手が、見逃す筈が無い――。



「あれっ……!?」

「拾えチビ助ッ!!」


 交差するように左サイドへ斜めにランニング。ちょうど瑞希が通過した跡に、それこそ落とし物でもしたみたいに。ボールがポトリと置いてあった。


 先ほど弘毅が見せた、足裏を駆使したスイッチプレーとよく似たものだ。

 俺と同じように対応出来なかったのは、瑞希の発するゴールへの強い執着心が土居の警戒を上回ったということなのだろう。


 土居の重心とは反対側へ、ビブスとツインテールを靡かせ突き進む。ゴールまでの距離はほとんど無い。


 無いのだが、ちょっと角度が悪かった。強引に撃てなくもないが、先ほどと同じようなミスショットになる可能性が高い。



(さあ、どうする――!)


 ゴール前にはそのまま流れて行った瑞希と土居。

 ファーサイドには真琴が突っ込んで来ている。


 両脚をソツなく使いこなすお前のことだ。左で振り抜いても良いし、右に持ち替えてコースを狙うことも出来るだろう。


 とにかく結果を出したくて仕方がない、目立ってナンボのメンタリティーを貫き生きて来た、頭からつま先まで主役気取りのボールプレーヤー。この状況でシュート以外の選択肢は無かった筈だ。



「逆サイドッ! 見えてるでしょ!」

「ばか、リターンだよ! はよ出せチビ助!」

「戻してもええぞ!」

「…………ッッ……!!」


 でも、今は違うだろう?


 これまで考え付きもしなかった。見えもしなかった新しい世界が広がっている。まぁ、状況込み込みではあるんだろうけれど。

 そうなるようにここまで仕込んでやったんだよ。感謝しろ。


 あとは素直になるだけだ。未来。

 今のお前なら出来る。

 手に入る。新しい武器が。世界が。


 お前が欲しくて欲しくて仕方なかった結果の二文字。そしてそれ以上に望んでいた……ありのままの自分を受け入れてくれる、最高の居場所が。


 目の前にあるだろ。

 みんな待ってるだろ。

 応えてみろよ、栗宮未来!



「――――決めろおおおおおおお!!」


 ノイズ交じりの咆哮。

 ありったけの力を込め、未来は左脚を振り抜いた。


 ゴールラインギリギリ。鋭い腰の捻りから蹴り出されたのは、ファーサイドで構えていた真琴への弾丸クロス。



「もらった!」


 遅れて戻って来た摩耶が必死の形相で飛び込むが、間に合わない。先に触ったのは真琴だ。

 ゴレイロの手前で地面を叩く、お手本のようなヘディングシュート。


 しかし、ゴールとはならない。弾みの乏しいフットサルボールは真琴が狙った通りの軌道を描かず、ゴレイロの足元へと着弾。掻き出すようなクリアでボールは天高く舞い上がった。



「瑞希ッ、セカンド!!」

「……とりゃああああアアアア!!」


 ほぼ同じタイミングだった。地面を強く蹴り込んだ瑞希。愛莉顔負けのアクロバットなジャンピングボレーが炸裂する。


 土居も負けてはいない。身体を大きく広げコースを潰しに掛かった。シュートは彼の右腕に直撃。ルーズボールとなる。


 いや、その表現は良くないな。

 まるでプレーがまだ続くような言い方。


 誰でも知っていることだ。フィールドプレーヤーは手を使ってはいけない。サッカーもフットサルも同じ。ましてやペナルティーエリア内での攻防。



「審判ッ!!」

「……ファール、ハンド! 山嵜、ペナルティーキック!」


 慌ただしいホイッスルで試合が止まった。


 一瞬なにが起こったのか分からず静観していた山嵜ベンチも、主審がペナルティースポットを指差す姿にようやく事態を察し、唸りのような歓声を上げる。



「流石です瑞希先輩! ていうか今のボレーなんなんですか! ヤバすぎます!」

「へへっ! どーんなもんよ!」


 波状攻撃が実を結び、ハイタッチを交わす瑞希と真琴。まさか狙って当てたわけではないだろうが。とんでもプレーだったことは認める。


 土居の右腕に当たらなければネットに突き刺さっていた。勿論故意なプレーでは無かっただろう。

 必死に主審へ抗議する彼らの様子を見れば明らかだが、決定的な得点機会の阻止に値することだけは確かだ。



「さーてと……誰に蹴らせようかね。ファール取ったのは瑞希やけど、真琴のシュートが起点と言えば起点やし。実力で言えば俺以外にあり得ないが」

「……………………」

「おい無視すんな。お前に話してんだよ……立てるか? 怪我してねえだろうな」

「……我に構うな。施しは受けぬ」

「嫌だね。さっさと起きろ」

「…………ふんっ」


 無理にクロスを上げた反動でスッ転んでしまった未来は、行く末をコートの外からずっと眺めていた。自分のやるべき仕事は果たした、と言わんばかりに。


 近付き手を差し出すと、申し訳なさげに目線を逸らしヒョコッと腕を伸ばす。

 軽い、軽過ぎる。片手で身体ごと持ち上げられそうなほど軽い。綿でも詰まってるのか。


 こんなに小さくて脆い身体で、今までよくやってこれたものだ。半分は自業自得とはいえ、さぞ苦労も多かったことだろう。


 まっ、これで終わりじゃないけどな。

 もう一仕事やって貰わないと。

 たったあれだけで認められたつもりか?



「任せたぞ。しっかり決めて来い」

「…………えっ?」

「二回も言わせるな。お前が蹴るんだよ。PK。外したらブッ殺すからな」

「いや、その……だがしかし……っ」

「なんや。苦手なのか?」

「…………あ、あんまり蹴ったことない。アカデミーでも任せて貰ったこと無いし……監督にいっつも止められてて……」


 落ち着かない様子で目を泳がせる。本当に自分で良いのか、と声に出さずとも訴えるものがあった。厨二言語忘れて素面に戻ってるし。


 その監督の気持ちも分かるけどな。ただでさえ手柄を持って行く性分だし、すぐ調子に乗るし。心臓に悪過ぎる。



「アホ。冗談やって」

「な、なんだっ……驚かせるな……!」

「あぁ、違う違う。外したらブッ殺すってのが。別に怒ったりしないさ…………このPKは、お前が勝ち取ったものだ。みんな分かってる。未来に任せたいんだよ」


 望外の一言に未来はハッと息を呑む。


 顔を上げた先には、いつの間にか周りに集まって来ていた瑞希、真琴、そして琴音。ベンチの皆も喧しく声を飛ばしている。



「言っとくけど、キャプテン命令だかんな。拒否権ねーぞ。おらっ」

「別に自分が蹴っても良いケド……って、それは空気読めなさ過ぎか」

「………あっ……」


 悪戯に微笑む二人。もうどうしたら良いのかサッパリ分からないという様子で、彼女は息苦しそうに喉を詰まらせる。ほんのりと浮かんだ涙。


 グローブを外した琴音は人差し指でソレをそっと掬い、こんな風に語り掛けた。



「どうして皆がこのように言うのか、分かりますか。栗宮さん」

「……情けを、掛けている……っ?」

「違います。まったく、昔の私を見ているようで居た堪れませんね…………このPKは、栗宮さん。貴方がチームメイトを信頼し、パスを出したからこそ生まれたんですよ。貴方の頑張りが、チームの力になったんです」


 娘の成長を見守るような慈愛に満ちた笑み。頼もしいな、もう一人の新キャプテン。一番言いたかったこと持って行きやがって。



「一人で闘っているうちは、ホンマに一人ぼっちや。でもな、返って来るんだよ。ちゃんと預ければ。チームのために頑張った奴が、最後の最後に報われる。そういう風に出来ているんだよ。スポーツってモンはな」

「…………貴様ッ……」

「貴様じゃねえ。せめて先輩と呼べ…………まぁええわ。細かいところはこれから直してくれよ。ほらっ、行って来い」


 ボールを投げ渡す。慌ててキャッチすると一心不乱にソレを見つめ続ける。慣れ親しんだ愛しの相棒が、少しだけ違って見えているのかも。



 個性を捨てろとも、埋没しろとも言わない。そんなものは誰も求めていない。お前は一人じゃないんだ、仲間がいるぜとか、漫画みたいな臭い台詞も必要無い。


 自分が自分でであるために。

 栗宮未来であり続けるために。

 心の底から求めているものを掴むために。


 ちょっとだけ、視野を広げてみよう。

 顔を上げてみよう。勇気を出してみよう。


 そしたら分かるからさ。大事なものが。



「おっ。お前が蹴るんだ。珍しいこともあるねえ。簡単過ぎてつまらないとか、昔は良く言ってたのによ」

「……まるで記憶に無いな。だが事実であるのなら、その台詞は修正するとしよう…………簡単なことではない。これだけ狭いゴールであればな」

「へぇ~。ビビっちゃってるカンジ~?」


 ボールをセットし助走を取ると、すぐ後ろから弘毅が茶々を入れて来る。

 本心ではないしても妹相手に大人げない奴だ。だが気にする素振りは無かった。



「とにかく前に出て、コースを消しなさいッ! どうせマン振りしか頭に無いんだからソイツ! 絶対止めなさいよーーッ!!」


 弥々もベンチを飛び出しプレッシャーを掛ける。

 やがてホイッスルが鳴り響いた。


 へえ。その角度ってことは、左で蹴るのか。


 そう言えばコイツ、利き足どっちだったっけ。両脚とも自在に使いこなすからよく分からねえや。



「…………刮目せよ……ッ!!」


 関係無いけどな。

 こんなに安心出来るPK、初めてだよ。

 俺が蹴る場合を除いてな。



「――――えっ!?」


 女性ゴレイロは驚きのあまり目を見開いた。寸前のところで歩幅を調整し、軸になるかと思われた右脚を真っすぐ振り抜いたのだ。


 助走の角度から当然左で蹴って来ると踏んでいたゴレイロは、その場からまったく動けなかった。


 豪快に揺れ動くネット。時を待たずアリーナは爆音の歓声で埋め尽くされた。


 誰が予想出来るってんだ、あんな曲芸。

 まったく。タダでは転ばない奴め。



「ナイスゴール、未来」

「……ふんっ! 当然だッ!!」


 言葉を裏腹に、ちょっと照れくさそうに伸ばした細い腕。伝う汗がコートにひたり落ち、あらゆる雑念を跳ね除けるように染み渡る。


 ベタベタの掌が重なって、なんとも拍子抜けの温くて鈍いハイタッチ。こんな締まらなさも、転じて彼女らしいのかもしれない。


 そのままベンチへと連れて行く。皆の手洗い祝福に囲まれ、一際小さな身体はあっという間に埋もれてしまった。



【後半12分11秒 栗宮未来


 山嵜高校5-3川崎英稜高校】


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