734. 一緒にすな


 有希が残ったカレーをこちらへ持って来たそうで、シャワー中はユニットバスの扉を散々ブッ叩かれまったく落ち着けなかった。仲良く肩を組みアパートを後にした真琴と慧ちゃんは大丈夫だろうか。



「先輩、オレも失礼します……゛! 小谷松さんはちゃんと送り届けるのでご心配な……うぐふッ゛!」

「お前の腹具合の方がよっぽど心配や」


 アパートから歩いて帰れる二人も揃って帰宅。気になるクラスメイトの手料理と言えどインド人顔負けの激辛カレーは辛かろう。

 気持ちは分かるよ。舌が合わないって本当に大変なんだ。でもどうしようもないんだこればっかりは。仲良くしてあげてね。



「まさか小谷松さんが一番耐性あるとはな」

「うぐほェ……ッ! こうなるって知ってたのに、なんであたしは断れなかったんだァァ……ッ!!」

「分かるよ瑞希ちゃん……あんな真っ直ぐな瞳を向けられて要らないなんてとても……っ! 誰も悪くないんだよぉっ……!」


 ベッドに倒れ悶えに悶える瑞希と比奈。二人も例外なく激辛カレーの餌食となった。この調子じゃ終電まで回復するか怪しいし、無理に帰らせることも無かろう。久々に静かな夜となりそうだ。


 俺たちの命を救ったのは意外や意外、表情一つ変えず鍋を空にしてしまった小谷松さんである。

 辛いものが好きなのかと尋ねたら食い気味に頷いていた。ついに同盟の誕生だなんだと有希は大層喜んでいる。


 彼女も彼女で奇人変人の集まったフットサル部に相応しい逸材ということか。逆に喋らないくらいの方がなんらかのバランスが取れている可能性。



「マジかー……バイトで良かったわー」

「なんだよ。春休み散々有希のメシ食ったやろ」

「だから嫌やっちゅうねん。あんなんご飯ちゃうわ兵器や兵器。笑って人を刺すサイコパスのそれやでユッキ。ちゃんと教育せえや」

「いやあ元々あんな奴やし……」


 ちょうど文香のバイトが終わったのですぐ近くのア〇タまで迎えに行く。一階にある弁当屋が職場の彼女、キッチリ週五でバリバリに働いている。


 生活費は勿論、諸々の出費は自身で可能な限り賄うよう世良家からお達しが出ているようだ。もっと部屋が広かったらすぐにでも解約して同棲してやるのに、としょっちゅうブー垂れている。


 まぁ現実的ではない。常に誰かしら家にいるし、念願の二人暮らしには程遠い。ごめんな苦労掛けて。でもいきなり越して来たお前が悪いから。八割くらい。



「こちとらやーっと馴染んで来たところやってのに、ウチの存在が霞むレベルで変な奴ばっか増えてはるなぁ」

「だいたい分かって来たやろ仕組み。他で居場所作れない奇人が肩身寄せてなんとか生き長らえてるんだよ」

「ビジュアルと引き換えに大事なモンを失っとるっちゅうわけやな」

「それは高度な自虐と捉えてええのか」

「ウチは顔も中身もそこそこマトモなフツーの人間やッ! 一緒にすなっ!」


 フシャーッと毛を逆立てるように威嚇する文香。普通の人間は片思い相手に近付くために同じアパートへ越して来ないけどな。言わんとこう。有希まで巻き添えを喰らってしまう。アイツもアイツだが。



「はぁ〜……言うてなぁ。はーくんもサッカー抜きやとまぁまぁアタオカな部類やしなぁ」

「失礼な。俺は真っ当かつ謙虚な人間や」

「謙虚とか自分で言わへんねんて……そんなんに惚れ込んどるウチも大概っちゅうことやさかい、あきまへんな…………まぁでも、あんがとさんな」

「なにが?」

「わざわざ迎えに来んでもええねん。徒歩三十秒やねんで、幼稚園児でもキメ顔晒して百往復出来るっちゅうに」

「一緒だよ。五歳の頃のお前も、今の文香も」

「嬉しないわボケ。結局女扱いしてへんやないか」


 八つ当たりと引き換えに道端の石っころを拾い暗闇へと投げ捨てる。何だかんだで迎えに来たのが結構嬉しかったようだ。


 こんなことで喜ばれてもという感じではあるが、日頃のストレスを多少なりとも軽減されるなら安い労力だ。結局こっちでもあんまり相手してやれてないし。



「物騒な世の中やしな。お前みたいな美人が夜中に一人でほっつき歩いとると不安で堪らん」

「ほーれ。こーやって安っぽいことばっか言うて、ホンマ敵わんわ。昔の方がよっぽどクールでええオトコやったのになぁ」

「もう着くけど、手でも繋いでみるか」

「変なとこで甘えて来るしなぁ」

「疲れたろ。なんか適当に作ったるから。ゲームしたいなら少しは付き合うで」

「無駄に気遣い出来るようになっとるしなぁ」

「偶には一緒に寝るか」

「かぁーっ! ホンマやっすいオトコになってもうたなぁウチは悲しいわ~!」


 満面の笑みで腕を組みすり寄って来る。

 安い女だ。誰かさんに負けず劣らず。


 考え無しに甘ったるい台詞を吐いたわけでもなかった。夜道を一人で歩かせるのが不安だったのは本当だ。



「ん? どしたん?」

「いや……さっき石どこに投げた?」

「あっち」

「…………コンクリの道だよな、あの辺りって」

「せやなぁ。なんの音も聞こえへんかったな」


 スーパーの辺りや駅前は外灯で非常に明るいのだが、この細い道に入ると一気に明かりが減り数メートル先も真っ暗になってしまう。文香の放り投げた石がどこへ消えたかもはや見当も付かない。


 変に怖がらせてもいけないと黙っていたのだが、彼女が石を投げた瞬間『ボカッ』という打撲音が聞こえた。

 アスファルトと衝突した音にしては鈍過ぎる。誰かに当たったのなら声の一つでも漏れそうだが、それも聞こえない。


 いきなりなにを深刻に推理しているのかという話だが、文香を迎えに来たのにはそれ相応の理由がある。そしてそれは、ここ数日ほど気を取られている悩みの種と無関係というわけでもない。



(こんなところでも……)


 視線を感じる。今日の練習中に限った話でも無い。朝、アパートを出てから学校に辿り着くまで。はたまた休み時間、放課後、そして下校中。ずーっと誰かに見られているような気がする。


 確実にそうだと認識したのは慧ちゃんと会った土曜日だったか。その前にルビーと長瀬家へ向かった時も、思い返せば妙な視線を感じていた。



「文香。ちょっと背中に隠れてろ」

「にゃにゃ?」

「ええから。ほらこっち」

「お、おんっ……急にどした?」


 スマホのライトを付けて元来た道をゆっくり引き返す。二人の他に足跡は聞こえない。この通りに曲がり角は無いから隠れようとも無理な相談だ。


 もし誰かいるなら確実に発見出来る。鬼が出るか蛇が出るか。春の暖かな陽気に誘われた変質者でなければどれだけ良いことか。



「ううぉッ!?」


 そのとき。まるで無警戒だった右肩をトントンと叩かれて、思わず女みたいな甲高い悲鳴を飛ばしてしまう。横に立っていたのは……。



「小谷松さんッ!?」

「……………………」

「帰ったんじゃなかったのか……ッ?」


 ライトを向けた先には無言のまま立ち尽くす小谷松さん。目元に手を添えてなにかを主張している。そう言えば眼鏡を掛けていない。



「もしかして、眼鏡忘れた?」

「…………」

「そ、そか。どっちの部屋?」


 やはり一言も喋らないまま頷き、アパートの角部屋を指差す。俺の家に忘れていったのか。そういやご飯食べてるときは外していたな。

 って、こんなときくらいお喋りは出来ないのか。普通に会話困っちゃうだろ。そうまでして言葉を発しない理由はいったい。



「じゃあ一緒に行くか。ごめんな気付かなくて……あれ、文香?」

「……しっ、死ぬかと思ったぁぁ~……ッ!」

「まぁビックリするわな……」


 おもっきり腰を抜かしてアスファルトに座り込んでいた。音も立てず突然隣に現れたからな。小谷松さん。こう見えて文香結構怖がりだし。


 一先ず不審者の心配も必要無くなり、三人揃ってすぐ目の前のアパートを目指すこととなる。絡みつくような視線はサッパリ消えて無くなっていた。


 ……いやいや、まさかな。


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