706. 腹を裂いて死にます
(…………やっちゃった……)
朝起きたら琴音が横で寝ていた。もう何度目の経験か数えるのも億劫だというのに今でもビックリしてしまう。全然慣れん。
そんなつもりが一切無かったと言えば嘘になるが、少なくとも最初のうちは真面目に明日の練習をしていた筈だった。
マンツーマンでみっちり教え込んだおかげか、琴音のリフティングはみるみるうちに上達。何度か窓を割りそうになったけど。
頃合いを見て帰らせる予定ではあったのだ。が、有希と文香が中々バイトから帰って来ないのを良いことに、比奈がどうしても泊まりたいと駄々を捏ね流れが急変。
(これから大丈夫なのかコイツら……)
ノリノリだった俺の責任であることは言うまでもないが、小学校来の親友である二人の関係に余計な要素を加えてしまった代償は高く付くだろう。
比奈の心配は一切していないが、琴音は大変だろうな。これから色んなところで昨日のこと思い出しちゃうんだろうな。可哀そうに。
……俺も俺だ。本当に。なるべく控えないと。
こんなんハマったら人生終わっちまうわ。
「なに見とん」
「んー? 昨日の思い出を振り返ってるの」
「やめとけって。消してやれよ」
「あれれ~? 別にわたし、二人が○○○してるとこ撮っちゃった~なんて一言も言ってないけど~?」
「鎌掛けんなウゼえな」
ベッドの片隅でスマホを眺めている比奈。昨晩最もこの状況を楽しんでいたのは間違いなく彼女だ。
俺と琴音のソレを眺めているときの乱れっぷりと言ったらもう。唯一無二の親友にトラウマ叩き込んで飄々としやがって。
「お前が散々オモチャ扱いするから自立するまでこんなに時間掛かったんだよ。ちゃんと反省しろ」
「んー、そーなのかなぁ……でも琴音ちゃん嬉しそうだったけどなあ」
「嫌われても俺に文句言うなよ」
「平気へーき。琴音ちゃん、わたしのこと大好きだもんっ♪」
好きの意味が変わっちゃいそうだから心配してるんだよ。だいたい分かれ。
「それにわたしが言い出さなかったら、あんなこと出来なかったでしょ? 陽翔くんだってすっごい楽しんでたのに」
「少なくとも二回目は琴音の同意が絶対条件や」
「二回目。するつもりなんだ」
「…………機会があればな。機会が」
「んふふっ♪ 身体は正直、だねっ?」
「女が言う台詞じゃねえよアホ」
「心配ご無用っ。恥ずかしがってるだけで琴音ちゃんも……ほらっ、このシーンなんてもうわたしが撮ってるの気付いてるのに……」
「だから消せってそんなもの」
写真趣味に目覚めたのは比奈の方だったのかもしれない。これから他の面々も誘うつもりなのだろうか。怖いな。我慢出来そうにない俺がもっと怖い。
「あ。和田くんからだ」
「早速浮気かテメェ。ブチ〇すぞ」
「昨日勧誘した子。サッカー部とフットサル部で悩んでるんだって」
声を掛けた新入生からラインが届いたらしい。
もう連絡先交換してるのかよ。妬く。
そういや途中からチャラめの男子に囲まれてたなコイツ。顔も良ければとっつき易いオーラ醸し出してるし、青坊主共には輝いて見えるのだろう。
ワンチャン狙いたくなる気持ちも分かる。当人は朝から男の家で服も着ないでダラダラしているわけだが。俺が寝取ってる側みたいでヤだなこれ。
「人のことアレコレ言えねえけどよぉ……そういう奴に入部されてもなぁ……」
「んーん。和田くん良い子だったよ。全国目指してるちゃんとした部活だって話したら、すっごいヤル気だった」
「ならサッカー部でもええやろが」
「んー。なんか事情アリっぽいんだよねえ。詳しくは聞けてないんだけど」
唇に指を添え、悩まし気に首を捻る比奈。
言わずもがな山嵜のサッカー部は県内屈指の強豪。真琴が参加したセレクションをはじめ、広い地域から有望株を募り強化に余念が無い。
一方、あのセレクションにしても『スポーツ特待生枠の残りを埋めるため』というお題目があるように、特に人数制限があるわけではない。
一般入試組も入部自体は可能である。Cチームからスタートしレギュラーを目指す非常に過酷な道のりではあるが。
「アレやろ。サッカー部でレギュラー取れるか分かんねえから、女子が多くて試合に絡めそうなフットサル部と天秤に掛けとんねん」
「むっ。ダメだよそうやって決め付けちゃ。陽翔くんもそうやって、女の子にだけ優しいところ、直した方が良いと思うなっ」
「……だって嫌いやし。そういう奴」
「んふふっ……もうっ、ホントにいじけないでよ。可愛いんだから本当に!」
「うるせえやい」
我が儘を言う俺がおかしかったのか、比奈は吹き出すように笑いスマホをベッドへ置いた。子どもの面倒を見る母親みたいだ。複雑。
「また谷口くんのときみたいなこと考えてるの?」
「そうじゃねえけど……せっかく全国に向けて足並み揃って来たんだから、余計な問題増やしたくねえんだよ」
「大丈夫。陽翔くんだけじゃなくて、みんなもいろんな経験をして、いっぱい成長してるんだから。ちょっと問題が起こっても、上手く対処出来るよ」
やきもちさんっ。と歌うように呟き頬に軽く触れる。ああもう駄目だ。あれこれ考えるのが全部馬鹿らしく思えて来る。魔性の女め。
「どう? 琴音ちゃんが起きる前に……」
「却下。こんな時間に始めたら遅刻確定や。暫くしたら文香と有希も迎えに来るんだから、我慢しろ」
「ぶー。陽翔くんだってしたい癖に」
「お前ほど盛ってねえよ」
「はいはいっ。どーせわたしは我慢の出来ないえっちな女の子ですよーだ」
「どういういじけ方しとんねん」
「シャワー浴びて来るから、琴音ちゃん起こしておいて。悪戯はおっぱいだけにしてね」
「本人の意思というものは無いのかね」
収納ケースから新しい下着を取り出しシャワールームへ向かう比奈。
少し前まで空っぽだった一番下の段は、彼女たちの衣類で早くも埋まりつつあった。最も有効活用しているのもこの女だ。いよいよ誰の家なのか分かったモンじゃない。
「ん。起きとったんか。おはようさん」
「…………むぅ」
比奈の姿が消えたと同時にもぞもぞ動き出す琴音。うつらうつらした目で俺をボーっと見つめている。右手をギュッと握り離してくれそうにない。
「寒いか? 暖房付ける?」
「…………らいりょうぶ、れふ」
「クシャクシャやな。一緒にシャワー浴びてきい」
「…………むう」
まだ布団から抜け出す気は無いらしい。ぷら~んと腕を伸ばして、なにかを欲しがっている様子だ。
それがなんなのか問い詰めるまでもない。身体丸ごと手繰り寄せると、心底満足そうに甘ったるい吐息を漏らした。
「……ちゃんと起きました」
「うん」
「目覚ましを使わないで、一人で起きました」
「せやな」
「…………むうっ」
「偉いな、ちゃんと起きれて。頑張ったな」
「ふみゅっ」
頭を撫でてやると、それが欲しかったのだと顔で訴えるが如くポケっとした笑みを溢す。
二人きりのときや身を寄せ合って迎える朝は、こんな風に俺に褒めて貰うのが彼女は好きらしい。
「……ちょっとだけ、不安でした。また皆さんの足を引っ張ってしまいそうで」
「いつ琴音が足引っ張ったってんだよ……それに、自信を付けるには物足りない練習量やったけどな」
「……十分です。いっぱい褒めてもらいましたから。それだけで、がんばれます」
ふにゃふにゃの覚束ない声ではあるが、すっかり不安も消え失せ安心した様子で語る琴音。
説明会の催しもきっと上手くやれるだろう。まぁ、最初から大して心配してなかったけどな。ここ暫く二人の時間が取れなかったから、ちょっと心細かったのかも。
「……比奈は?」
「シャワー」
布団の中をもぞもぞ移動している。俺のどこに何をしようとしているのかはすぐ分かった。って、お前もか。疲れてるんじゃねえのかよ。
「今はええって。俺が我慢出来んくなるから」
「……そうなるようにしています」
「なんだよ。まだ物足りないって?」
「……昨日は、良いようにやられてしまいましたから。朝から見ず知らずの男と連絡を取るような比奈には負けられません」
「聞いとったんかい」
昨晩のリベンジをしたいらしい。欲望ダダ漏れの比奈には及ばないが、琴音もスイッチが入ると結構長いこと掛かるんだよなぁ……まぁ俺が仕込んだんだけど。
結局、比奈とあんなことになった件についてはあまり深く考えていないらしい。
言われてみれば不要な悩みではあったか。元々は橘田もビックリのクレイジーサイコレズだったもんなこの子。忘れてたわ。
「……らめれふよ。ふんべふは付けないと」
「えん?」
「今日の説明会も、ふっとさる部のことお紹介するらけれす。わらひ個人をひちょーふるものれはありまへん」
「……どういうこと?」
「こびを売るひふようはらいほいうことれす」
「取りあえず咥えながら喋るんじゃない」
比奈がやり取りをしている新入生の件も含め、琴音はなにかを警戒しているようだ。たどたどしいストロークに少しずつ力が籠っていく。
「……可愛い一年が入って来たからって、自分をほったらかしにするなと?」
「…………ふぬっ」
コクンと頷いて、誤魔化すように更にそのスピードを上げ、ジュルルルと何かを吸い出す。
まだ存在さえしない新入部員たちに嫉妬しているというのか。で、その証拠がコレ?
「……ほら、もうええから」
「ぷはっ…………むう。まだ途中ですっ。朝起きたらすぐ綺麗にしろって、貴方が言ったんですよ」
「必要無い。今からまた汚すから」
「ふぇっ……あ、ぅぁ……っ!?」
両脚を引っ張り上げて覆い被さる。比奈はまだ出て来ないだろうし、ギリギリ一回くらい余裕はある筈だ。
クソ。今朝は我慢するつもりだったのに。
仮に遅刻しても俺のせいじゃないからな。
「俺だって心配だよ。調子に乗った一年に手ェ出されないか不安で不安で」
「……あり得ません。そんなの。陽翔さん以外の人にこんなことをされるくらいなら、潔く腹を裂いて死にますっ」
「いや、信用出来んわ。琴音が俺のモノだってしっかり証拠残しとかねえと」
「……自分がしたいだけでしょう。絶対に」
「そっちが誘った癖に、よう言うわ」
「…………うるさい、ですっ」
あの日取り決められた合言葉『ごめんなさい』を、彼女は今日に至るまで一度も使っていない。忘れたわけではないだろうが、今後も聞く機会は無さそうだ。
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