609. 左側の飛び散った跡


 曲がりに曲がり尽くしたルビーのへそは大盛りのカツカレーで正しい位置へと舞い戻った次第である。税込み1,500円二人分の出費はあまりに痛い。当たり前のように瑞希の分も出してしまった自分を赦したくない。


 一応にも鬼ごっこの最中なので、ルールに則りここからはルビーが主導となる。俺と瑞希、二人の通訳がいれば彼女も安心だろう。


 そもそも蔵王に着いて来たこと自体が結構なチャレンジなのに、一人で行動させてしまったのが失敗だったとも言える。半分くらい自業自得だが。



『で、行きたいところでもあるのか?』

『温泉に入りたいわ。昨日はシャワーだけで済ませちゃったから。あちこちにあるから気になって来たのよ』

『ならなんでゲレンデにいたんだよ』

『そのつもりは無かったわ。英語でレストランって書いてあったから入ったの。普通のお店じゃどれが飲食店なのか分からないじゃない!』

『頼むから日本語勉強してくれや』


 昨日も随分と出て来るのが早いと思ったが、湯舟には浸からなかったのか。わざわざ温泉街に来て。なにがしたいねん。


 バレンシアは凄まじい乾燥地帯らしいから、バスタブにお湯を張る習慣が無いのだろう。でもお前、もうスペインより日本のほうが長いんだろ。だからこういうところだよお前は。


 ゲレンデの駐車場からそのまま通りに繋がっていたので、目当ての物を見つけるにはそれほど苦労しなかった。日帰り温泉、露天風呂アリ。ここで良いか。



「あっ! 混浴あるじゃんここ!」

「あっても入らねえよアホか」

「ハル、それ本気で言ってる?」

「本気で言ってたらわざわざ選ばねえよ」


「「へへへへへへ!!」」


 どこぞの漫才師に倣いしょうもない猿芝居とハイタッチが決まったところで申し訳ないが、本当に入るわけではない。嘘じゃない。強がってなんかいない。


 一番近くにあるのにスルーしたら瑞希がブーブー言うのは目に見えている。余計なやり取りを最大限省いた結果だ。ルビーは嫌がるだろうから結果的にそんな流れにはならない。



(……いや、でも、そうだな)


 せっかくルビーのおかげで面白い方向に振れて来たし、ここらでもうちょっと加速させておくか。瑞希と一緒なら多少の悪ふざけも許される筈。



『ルビー、あれ読めるか?』

『ううん。でも左側の飛び散った跡みたいなやつがサンズイっていうものだってことは分かるわ』

『部首の概念は理解しているのか……』


 やはり混浴の文字は読めないらしい。長い間日本で暮らしておきながらまともに学んで来なかった自分が悪いんだ。精々己の不勉強を恥じるが良い。ついでに恥じらいという概念も思い出して貰おう。



「はっはーん。なるほどなァ」

「上手くやれよ」

「もっちろーん♪」


 瑞希もだいたい察している。事実上、今から年下の外国人と混浴して辱めますって言っているのと同じなんだけどな。

 ここで倫理的ガードが働かないのだから、俺たちホントにバグってるよな。もう今更だけどな。


 食事処を併設していないこじんまりとした銭湯なので、昼時とあって人の姿はあまり見掛けない。ちゃっちゃと入湯料を払ってタオルを受け取る。


 利用者のほとんどがご年配の女性だな。これなら混浴で二人が嫌な思いをする心配も無いか。まぁルビーはするんだけど。俺のせいで。



『ルビー、ちゃんと瑞希の指示に従うんだぞ。温泉って独特のルールが沢山あるからな、ええな』

『あら、あんまり馬鹿にしないで欲しいわね! 先に身体を洗って、タオルを巻いてお湯に入っちゃいけないんでしょ? それくらい知ってるわ!』

『よう知っとるな。ちなみにそっちは男湯や』


 瑞希に手を引かれ赤い暖簾の奥ヘ消えていく。色でだいたい分かるだろうに。というか昨日はよく間違えずに女湯へ入れたな。危なっかしい奴め。

 

 脱衣所に案内板が設置されている。どうやって混浴に入るのかと思ったら、露天風呂がそのまま繋がっているのか。なんなら普通に行き来出来てしまうと。


 流石に女性の更衣室へ突撃するのはただの犯罪なのでやめておこう。瑞希は喜ぶかも分からんが。いやそんなことは無いわ。瑞希にも恥じらいはあるわ。たぶん。



『15分になったら作戦決行な』

『りょーかい』

『これで何人目なんハル?』

『俺が連中としょっちゅう裸の付き合いしとるみたいな言い方はやめろ』

『ゆーてあたしとも三回目じゃん』

『お前だけ頻度どないなっとんねん』

『なのに先に手を出したのは市川ってゆー』

『返しに困るからその話題は出すな』

『手は出すのにな!?』

『ごめんってホンマにもう』


 余計なやり取りも含めラインで口裏を合わせ浴場へ。


 店舗の装いからあまり期待はしていなかったが、意外にもちゃんとした設備だな。湯船も何種類かある。ホテルの風呂より全然良い。



「おー、結構広いやん」


 思わず独り言が漏れても気にならないほど人も少ない。ご老人が数人だけ。シーズンから微妙に外れているし地元の人しかいないのだろうか。知らんけど。


 雑把に身体を洗いさっさと湯舟へ。これが温めで中々に心地良い。熱過ぎるのは苦手。長い時間掛けてゆっくり浸かりたい。

 皮膚の弱さと厚顔無恥は反比例するのだろうか、とどうでも良過ぎることを考え時間を浪費する。


 昨日は谷口に邪魔されてしまった、というと言い方が悪いが、やはり温泉は一人でゆっくり堪能するのが最高だ。

 なにもしない、なにも考えないをするのが最高の人生だって、喋るクマのぬいぐるみも言っていた。あれは良い映画だった。比奈のおすすめはハズレが無い。



 いやしかし、夏合宿辺りを境目にどんどん風呂好きになっている気がする。写真よりよっぽど趣味として機能しているが、偶に瑞希や真琴みたいなアクシデントがあるから困りもの。


 進んでそういう状況に足を突っ込んでいる俺が悪いっちゃ悪いのだけれど。でも本当に俺が悪いのだろうか。自分から乱入したのは真琴だけだし。


 そうか。これでトータル四人目か。瑞希の言ってること全然否定出来ないな。なんならこの旅行中に全員制覇しようかな。なんやねん制覇って。キショいな。



(そろそろか)


 示し合わせた時間が迫って来た。もう少しこの温い風呂に浸かっていたい気持ちもあるが、もっと面白いものが見れるなら後回しでも良い。


 別にルビーの裸体を拝みたかったわけではない。ただパニック状態のアイツを指差して笑いたいだけだ。邪な気持ちがゼロとは言い切れないが。



 たった数日の間に随分と落ち着いたものだと、自分でもちょっと驚いている。それこそ修学旅行に出発する直前なんて、この手の話題で死ぬほどナーバスになっていたというのに。


 谷口という当面の脅威が無くなり、一人ひとりとしっかり向き合える時間と余裕が与えられて。

 きっと心のどこかで区切りみたいなものが付いたんだと思う。鬼ごっこなんて馬鹿なゲームを思い付いたのもその表れだ。


 初日に愛莉が話していたことも、今なら重々に理解出来る。どれだけ個々人と深い間柄になったからって、それに固執してしまっては意味が無い。


 なんの生産性も無い馬鹿な時間だって、俺にとっては必要不可欠なのだ。俺はみんなのことが好きだし、同じくらいこのチームが好きなんだ。



 堅苦しい話はここまでにして、ルビーをからかいに行くか。仮にも俺を気に入ってくれている女の子に対して酷い仕打ちだと思わないこともないが。


 敢えて言うならば、そんなもの知ったことではない。俺は誰に対しても優しくないし、どんな相手でも容赦しないのだ。昔からずっとそうだった。どうせ根っこは変わらないのだから、アレコレ悩む方が馬鹿らしい。


 そんな俺の周りにわざわざ好き好んで集まって来たのだ、彼女たちは。だったらルビー、お前も洗礼の一つくらい浴びておかないと。



「まだ来てないか」


 ドアを開くと冷たい外の風が飛び込み、一瞬ばかり身体を芯まで冷え込ませる。だがすぐに収まるだろう、俺とて自分の身体を見せびらかす趣味は無い。


 男女両方が使えるとだけあってなかなかの広さだ。二つの風呂が木々で囲まれている。流石に外からは見えないようになっているか。


 女体を貪るべく集いし男共の姿は欠片も無かった。そもそもの知名度の低いのか。なんでも良いが、これなら心置きなくルビーいじめに集中出来る。


 と、一番奥に長い黒髪をポニーテールに纏めた女性を発見。真っ白の濁り湯と湯煙でハッキリとは確認出来ないが……。


 ……お婆さんにしてはピンと張った綺麗な背筋だ。というか、普通に若い人だな。混浴に一人で来る若年女性って結構珍しいんじゃ。



(待てよ)


 長い黒髪?

 知り合いに該当する奴がいるんだけど?


 そんなことがあり得るのか。

 彼女が一人で混浴に?


 いや、うん、可能性としてはゼロでは無いな。混浴の文字を見落としたとか。意外とおっちょこちょいだしアイツ。


 待て。ちょっと待とう。足を止めよう。一旦落ち着こう。黒髪ロングの女性なんてこの世にごまんといる。それも観光地だ。わざわざピンズドで彼女と鉢合わせる筈が無い。そうだ、きっとそうだ。


 いくら警戒心が薄いからって、彼女にしてはあまりに初歩的過ぎるミスだ。絶対にアイツじゃない。まだホテルで寝ている筈だ。絶対にそうなんだ。


 

 なんでこんな必死になって否定するのかって。

 説明が必要なのか?


 いくら風呂での遭遇が珍しくなくなって来たからって、お前だけは! お前だけは話が違うんだよ! 性欲に物理で殴られるんだよッ!!


 頼むッ! どうか琴音じゃありませんようにッ!!






「……あら、あらあらあらまぁまぁまぁ。こんなところでお逢いするとは。運命的なものを感じますね、ヒロくん♪」



 だからってなんでお前なんだよ。


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