602. そーゆーところっすよね
どことなく昭和と硫黄の漂う街並みの外れに、その池はあった。と言ってもホテルの前にある湖とはてんで比較にならず、子ども用の遊戯プールよりほんのちょっと広いくらいの小さな池だ。
これといって柵のようなものも見当たらないので、中へ入るのは極めて容易だった。釣りを楽しむ人も居なければ、観光スポットに当てるには少し弱い。
「おおっ! 余裕で立てる!」
「体重掛けたら穴空くからな、あんまはしゃぐなよ」
「ひゃっほおおおおォォーーーー!!」
「言ってる傍からお前な!?」
リュックを置いて少し助走を取ると、お尻から飛び込んで軽やかに氷の上を滑っていく。何度も何度も往復してすっかりハマってしまったらしい。
「センパイっ、これメッチャ楽しいですよ! さあさあ、ノノを迎えに来てください! 今すぐに!」
「えぇー……」
対岸でぴょんぴょん飛び跳ねて俺の到着を待っている。俺の体重で氷が割れることは無いだろうが、あの滑り方したらお尻がビショビショに……これ以上着替えるのは勘弁願いたいところだが。
仕方ない、こうなりゃ徹底的に馬鹿になるか。最初から真面目な展開なんてお呼びじゃない。俺が望んだのだ。
カメラをリュックにしまって氷をパタパタと踏みつける。この硬さ、滑らかな表面なら……良し、問題無い。
「……ゴラッソオオオオ゛ォォーーーー!!」
「わおっ! まるでダビド・ビジャですセンパイ!」
膝から滑り込んで池を横断。脚の感覚が一瞬でなくなるほどの冷たさだが、もはや気にするほどでもなかった。アドレナリンが暴発しているのか。
対岸まで真っ直ぐ辿り着いて、ノノは到着した俺を抱き締めるように受け止めた。箸が転がったようにゲラゲラ笑い、今度は自分の番と再び氷の上へ飛び下りる。
「センパイ、これゴールパフォーマンスの練習し放題ですよ! 見ててください、次はクリンスマンです!」
「懐かし」
胸元から着地するヘッドスライディング。芝生を滑るセレブレーションは、あの人が自分のダイブ癖を自虐するジョークとして始めたのが広まったきっかけらしい。ノノのプレースタイルから考えたら満点のパフォーマンスだな。
気分も乗って来てしまい、ノノに続いて自分も氷へ飛び込む。もっの凄い滑る、なにこれ楽しい。胸元はビチャビチャだけど。正味どうでも良い。
「続きましてっ、失敗したロッベン!」
今度は膝から飛び込んですぐにゴロゴロと横転。滑り損ねて膝を打ったというあの有名なやつだ。見事な物真似だが、それ氷の上でやったら……。
「いっでえ゛え゛ええ゛エエ゛ェエ゛!!」
「でしょうね」
池のド真ん中で悶絶するノノ。そりゃそうだよ。失敗例を真似たら痛いに決まってるって。氷割れるぞ。
「立てるか」
「…………死ぬゥ゛……ッ!!」
「バカなんちゃうお前」
厚手のボトムスで良かったな。
膝小僧丸出しでやったら血塗れだわ。
そのままコートごと引き摺って池の外まで連れ出す。ノノのハイテンションに引っ張られて馬鹿みたいにはしゃいでしまった……楽しかったら良いけど。
段々と人が増えて来たようだ。池で遊んでいる俺たちを怪訝な目で見つめる観光客がチラホラ。ふざけるのはここまでにしておこう。
「歩けるか?」
「……おんぶしてください」
「その台詞が出てくる辺りとっくに心配はしていないが、まぁ気分が良いから乗せてやろう」
「やった~」
リュックを背負うと自分もリュックだと言わんばかりに背中へ飛び乗って来る。ペット云々というより、挙動が動物。
人目を気にするべきと言った傍からこれだ。懲りないな。お互いに。メチャクチャ楽しくて、正気に戻るのが惜しく思えてくるくらいだ。
「ホンマ軽いなお前」
「ノノの体重を知っているような口振りですね」
「前に怪我したときもこんなんやったやろ」
「あ~、お姫様抱っこされましたねえ。やっぱそっちにしてくれません?」
「やなこった」
「い~け~ず~」
「うるせえな叩き落とすぞ」
「だわわわわ゛わっ!? ちょちょちょっ、揺らさないでくださいっ!?」
背中のノノをグリグリ揺すりながら温泉街のメインストリートへ戻って来る。やはり観光客からすると相当おかしな奴らに見えているようで、噂するような視線が絶え間なくぶつかって来る。
「ところで、背中に伝う感触について一言どうぞ」
「最高」
「ちょっとは恥ずかしがりましょうよ」
「そんな次元はとっくに超えたわ」
「むっ、意外と強敵でした」
「帰ったらしこたま揉ませろ」
「うわあ。最低」
「だったら降りれば?」
「嫌です。もっとムラムラしてください」
もうどうでも良いな。なんもかんも。俺とノノ、二人だけの世界にどっぷり浸かってしまえば、他の要素はすべて意味の無いものに見えて来る。
人前でイチャつくカップルの気持ちが今なら分かる。あれは見せびらかしているのではなくて、二人にとっては当然のこと。単なる日常に過ぎないのだ。そう考えれば、これからは余計なところで気を荒立てることも無くなる。
「どこに行くんですか?」
「土産屋。そろそろ開いとるやろ。室内おれば服も乾くし」
「名案ですね」
おんぶしたまますぐ近くの土産屋を目指す。クスクスと溢れ出るような笑いが耳元を通り抜け、続けてノノはこんなことを言い始めた。
「センパイの何だかんだノリの良いところ、ノノ結構好きですよ」
「結構?」
「あ、はい。物凄く、に訂正します」
「良かろう」
「んははっ。そーゆーところっすよね。ノノのテンションに着いて来れるの、普通に凄いことなんで。自信持ってください」
「換金出来るのならそうしたい勲章やな」
「えぇ~扱い雑ぅ~~」
振り返らずとも彼女の笑顔が脳裏に浮かぶようだった。どうやらデートの相手として不足は無いようで、一安心。
無理をしているというわけでもなかった。何もかも正反対に見える俺たち二人だが、意外と共通点は多かったりする。
サッカーの趣味も勿論そうだし、フットサル部へ身を置くことになった動機とか、普段のだらしなさとか。或いは奥底に秘めた自己顕示欲であったり。
とは言え彼女の相手をするのは骨が折れるのだが、そんな面倒くさいノノを前にすると「みんなも俺相手にそう思ってるんだろうな」と、ある種の達観が芽生えて、一本綺麗に道筋が出来てしまうようで。
「マジで好きです。センパイ」
「あいあい、あんがとさん」
「ノノの抱えている色んな衝動に、センパイはイヤな顔しつつも全部付き合ってくれます。ノノの色んな顔を、センパイは全部受け止めてくれます。だから好きです」
「……急に真面目な話すんなや」
「いえいえ。これもおふざけの範疇ですよ?」
どこまで本気なのかサッパリだが、それもそれで悪い気はしなかった。このくらいの曖昧なやり取りが、やっぱり俺とノノには一番似合っている気がする。
「ノノがこうやってふざけていられるのは、センパイが絶対にノノを離さない、見放したりしないって、信じているからです。どんな姿を見せたとしても、ノノはセンパイのものだって、自信を持って言えるからなんですよ」
「偶に諦めたくなるけどな」
「まっさかー。センパイも自覚したほうが良いですよ。本当に都合の良い存在はノノじゃなくてセンパイなんですから。ねっ?」
……まぁ、言われてみればそうかもしれない。こんなじゃじゃ馬を文句の一つも言わず受け入れている時点で、俺も何かしら壊れている。
ネジが外れた者同士、見事にお似合いってわけだ。心地良いったらないよ。奇跡でも偶然でもなく、然るべくして結ばれた関係だよな。
「とーちゃーく! 良いですよ降ろしてもらって」
「残念やったな。このまま徘徊してやる」
「ええ?! ちょっ、それは流石のノノでもハズイですからっ! すみません、調子乗りましたっ! 一揉み110円で勘弁してくださいっ!」
「消費税まで取るのかよ」
慌てて飛び降りたノノを追い掛け土産屋へと足を進める。進めようとしたのだが、彼女ではない誰かが、俺の両肩を力任せにグイっと引き寄せた。
「はい、捕まえた!」
「待ち伏せ作戦、大成功ですっ!」
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