549. 強い危機感
「それで、話ってなんですか?」
時間も時間なのでと駅前で皆さんとは解散です。愛莉センパイと瑞希センパイは最後のサプライズで相当キレ散らかしていましたが、どうにか比奈センパイが抑えてくれました。
下りの電車に乗るのはノノと陽翔センパイ、そして瑞希センパイ。最後まで騒がしいバレンタインになるかと思いきや。
思わぬ方から「話がある」と呼び止められました。そう、琴音センパイです。
お金返すの忘れてたので先に帰ってくださいと適当に嘘を吐くと、センパイたちは驚くほど簡単に信じてしまいました。ノノをいったいどういう人間だと思っているのでしょう。複雑。
皆さんが駅の構内へ向かったのを確認すると、琴音センパイは色白の肌にも劣らぬ真っ白な息を吐き、このように話を始めます。
「あまりに事がスムーズに運んでしまいましたので……まぁ、私たちの特殊な関係性故に見落としてしまったということならば、仕方ないのかもしれませんが」
「は、はぁ……?」
「市川さん。貴方は特に顕著なのです。偶々シルヴィアさんとの関係が表面化しただけで、根本的にはなにも解決されていません……お気付きですよね?」
「……………それは……っ」
「立ち話でもなんですから、ベンチに座りましょう。おしるこ飲みますか」
「そんなどこにでも売ってるようなものじゃないと思いますけど……」
駅に併設されたショッピングセンターの脇にあるベンチに腰掛け、琴音センパイは自販機で小さな缶を二つ買って戻ってきます。
コーンポタージュでした。
おしるこ、無かったんだ。
思い返せば、ノノは琴音センパイとお二人だけで何かをしたことがほとんどありません。
いつもセンパイたちが近くにいますし、センパイに限らず誰かと二人っきりという状況そのものが珍しいんですよね。
よりによって琴音センパイが相手だと、ちょっと緊張していまいます。内容が内容なだけに、尚更。
「さて。私の口から説明した方が良いですか」
「……いえ、ノノが話します」
どうやら琴音センパイは、ノノが抱いている漠然とした不安をいち早く見抜いていたようです。隠し事は出来そうにありません。
本当なら、ノノが一人で解決しなければいけない問題なのに。こんなときばかり頼りになるセンパイなんですから、まったく困りものです。
「ノノ、一人だけ置いてかれてるなって。そう思っちゃったんですよね。みんなが浮気だなんだって騒いでいるときに、ノノだけ本気になれなかったっていうか。まぁセンパイなら浮いた話の一つや二つあってもおかしくないって」
「……はい」
「いや、ノノも分かってるんですよ。最近のセンパイがちょっと連れなかったのと、シルヴィアちゃんのことを一緒くたにして。論点を挿げ替えていたのは自覚しています。ただ……」
センパイの浮気現場を目撃しても尚、本気で怒るに怒れないノノがいたのです。
皆さんがが怒り狂って我を失っているときも、ノノは一人だけ随分と冷めていたのです。いやまぁ、多少は怒ってましたけど。一応。
そう。なんていうか、ノノだけ本気になれていないんですよ。本気で陽翔センパイのことが好きなら、こんな感情は抱かなかった筈なんです。
自分だけ。自分たちだけを見て欲しいって、そういう気持ちになれなかった。同じ想いを共有出来なかった。それがどうしても引っ掛かってしまうのです。
「もしかしたらノノ、センパイのこと、本当は好きじゃないのかもしれません。ゆーてノノも恋愛とかしたことないし。なんか、分かんなくなっちゃって」
「……そうでしたか」
「あれ? 怒らないんですか?」
「怒るもなにも……誰を好いて誰を嫌うかなど、人の勝手ですから。私が強要したりするようなことではありませんので」
「それはそうなんですけど……」
てっきり「貴方だけ足並みが乱れていませんか」くらい言われるのかと思っていました。
センパイ、フットサル部の繋がりをすっごく大事にしているし。
何だかんだフットサル部って、陽翔センパイの好きな人しかいないんですよね。
だから琴音センパイ、曖昧な立ち位置を取っているノノが気に入らないんじゃないかって。でも、そういうわけでもなさそうです。
「お気持ちは察するに余ります。貴方と陽翔さんの関係は男女の間柄ではなく、気心の知れた友人という表現がよほどしっくり来るので」
「あー……やっぱそう見えちゃいます?」
「とはいえ、意味の無い考察です。我々がどう捉えていようと、貴方の答えは出ている筈ですから」
……ノノの、答え?
「恋愛経験が無いのは私とて同じです。皆さんも同様でしょう。しかし、これから私たちがどのような関係に落ち着こうと、彼の存在だけは無視することは出来ません。もはや抗いようの無い事実です。市川さん。貴方もそうでしょう」
「……でしょーね。たぶん」
センパイの言う通りなのです。恋愛感情かどうなのかはともかく、センパイがノノに与えてくれたモノはあまりにも大きすぎて。
そしてノノ自身も、陽翔センパイに。そしてフットサル部の皆さんに一生着いて回る存在なのです。勿論、絶対なんてことは無いですけど。
「……センパイも、なんですか?」
「当然です。彼には責任を取って貰わなければなりません。私の人生設計をメチャクチャにして、一人置いてきぼりなどと以ての外です」
鼻息荒くコンポタを啜り飲む琴音センパイ。
うわあ。愛が重い。重すぎる。センパイの容姿と性格じゃなかったらとてもじゃないけど言えない台詞ですね……。
「……なんか、面白いですねっ。普段あれだけしっかりしている琴音センパイが、陽翔センパイのこととなるとこんなに盲目になるなんて」
「……盲目? それが悪いこととでも?」
「へっ? あ、い、いや、別にそういう……」
「もうなりふり構っていられません。あれだけ私を振り回して、見知らぬ女性と勝手に……許し難い暴挙です」
熱々の缶をギュッと握り締め、センパイは地面をジッと見つめます。ある種の恐怖とでも言いましょうか。凄まじい執着心を前にノノは言葉を失います。
「……強い危機感を覚えています。シルヴィアさんだけではありません。世良さんのことだって、彼はまだ棚に上げたままです。これから先、今回と似たような問題が必ず再燃します」
「いえ……それ自体は構わないのです。我々の関係をより強固なものへ導くための必要な過程ですから。問題はいつだって私に、自分自身にあります」
「……もう、あんな思いはしたくないんです。互いの好意を裏切り合うような真似は。傷付いたのは私だけではなかったと、後になって気付くようでは遅いんです。意味が無いのです」
「貴方が本気になれなかったと言うのであれば、私とて同じようなものです。私も彼のことを、本気で信じたいんです。確固たる意志を、有り余る気持ちを。自信を持って伝えたいんです……っ」
あぁ、そっか。
センパイもちゃんと言ってないんだ。
そうですよね。確かに自己主張の強い人では無いですけど、他のセンパイたちと比べたらまだ距離を置こうとしているように見えます。
センパイもセンパイで、まだ闘っている最中なんだ。ちゃんと好きって言うために。自分の気持ちを正直に伝えるために、殻を破ろうとしていて。
「……そういうわけですから。市川さん。貴方ももう一度、自分の気持ちを。立ち位置をしっかり見直すべきだと思います」
「ノノの立ち位置……ですか?」
「はい。参考までにお伝えすると、私はもう、彼の前では自分を見失っても構わないと、ある程度の覚悟は決めているので。今日だって余計なことを言って、彼を困らせてしまいました。ああいうのは、出来るだけ無しにしたいんです」
コンポタを飲み干して立ち上がるセンパイ。ノノより身長は低い筈なのに、何故かセンパイが無性に大きく見えるのは気のせいでしょうか。
「盲目で結構です。私には、私のプライドがあります。自分の信じた道を突き進むのみです……例え比奈が相手だろうと、負ける気はありません」
「……センパイっ……」
「市川さん。貴方にもです。同じ土俵の上に立っているかどうかなど、さして重要ではありません。私はあの人の傍に居られるなら、手段は選ばない。選んでいる場合ではないというだけですから」
吸い込まれるような大きな瞳に、強い決意の色が窺えます。知らなかった。センパイ、こんなに力強い顔が出来るんだ。
そっか。センパイはノノに「恋愛か友情かどっちか選べ」じゃなくて、ただ単純に「覚悟を決めろ」って、そう言いたかったんですね。
凄い。これがこの人の本気なんだ。
これが、誰かを好きになった人の瞳なんだ。
ノノにも……こんな顔が出来るのかな。
「……なんか、すみません。敵に塩を送るようなことさせちゃって」
「敵? 貴方が?」
「え? 違うんですか?」
「そうであれば、わざわざ呼び止めて話をする筈がないでしょう……市川さん、貴方も自覚が無いのですね」
「ほへっ?」
空き缶を捨てて優雅に振り返ります。
黒髪が映えまくりです。
なにこのシンプルな美少女。こわ。
「私の人生に責任を取って貰うのは、なにも彼だけではありません。フットサル部に身を置いている以上、貴方にも一片を担っていただきます」
「……のっ、ノノもですかっ?」
「当たり前です。彼との関係はフットサル部のなかにあるからこそ機能しているのです。もっとも、それに甘えている間は私もまだまだですが」
「は、はぁ……っ」
「とにかく、市川さん。貴方は貴方で、やるべきこと。為すべきことをこなしてください。これでも信頼しているんですよ、貴方のことも」
「あ、はいっ……」
どうしよう。重いのは陽翔センパイにだけじゃなかった。
それだけノノにも期待しているってことなんですよね……やば、普通に惚れちゃいそう。なにかに目覚めちゃう。
「……他のなにかになれなど、滅多なことは言いません。貴方は貴方らしく、自分なりの答えを出してみては」
「…………分かりました。じゃあ、頑張ってみます。ありがとございますね」
「……これでも先輩ですから」
長々と失礼しました。そんな言葉を置いて構内へと消えていきます。
せめて改札まで一緒に行ってくれてもいいのに、こういうところは琴音センパイです。
一人残されたノノは余ったコンポタの残りを啜り飲み、今にも雪が降り出しそうな夜空を見上げ、それっぽく呟いてしまうのでした。
「……自分らしく、かぁ……っ」
終始喧しい面倒な後輩。偶に良いこと言って調子に乗るウザイ後輩。
フットサル部のエネルギー源。替えの利かないスーパーサブ。まぁ色んな見方がありますが。
それはともかく、一度確かめてみるべきです。求められている姿ではなく、ノノがなりたい姿。ノノが望んでいること。
(センパイは、ノノのこと……)
いやぁ。どうしたって最初に考えちゃうんですよね。センパイの隣にいる自分を。
やっぱそれが一番なんですかね。まぁいいや。一旦保留にしましょう。
取りあえず、ちゃんと向き合ってみたいですね。フットサル部のノノとセンパイじゃなくて、市川ノノと陽翔センパイとして。家族とか、恋人とか、そういうのも置いておいて。
ノノは今んところヤル気なんですけど、センパイはどうっすか?
ノノと恋愛、したいですか?
ノノの彼氏になりたいですか?
それとも友達が良いですか?
一回ガチで行きますから。
そしたら分かりますよね。センパイ。
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