483. 優しい思い出
その後は目立ったアクシデントも無く、新年早々賑わいを見せる天王寺近辺まで出向き二人きりで羽を伸ばした。
こっそり後を着けているのだという文香の両親にも一言声を掛けたいところだったが、気を遣ってくれたのかこちらへ顔を出すことも無く。
「ふんふんふ~ん♪ なにが出るかな~」
「お菓子詰め合わせとかそんなとこやろ」
「戸建ての権利書とかがええなあ」
「誰が混入すんだよ」
立ち寄った百貨店で売れ残りの福袋を発見し、物は試しと揃って同じものを購入する。貰ったお年玉が綺麗サッパリ無くなってしまった。まぁ使い道としてはさほど間違っていないだろう。
だが決して安くはない買い物だ。せめて電化製品でも入っていれば良いが……あまり期待は出来そうに無いな。持った感じ割と軽いし、サイズも小さめと見た。
「げえッ、 i○od!? いらんいらんっ! 今どき必要無いてッ!?」
「しかも初期型か……」
小中の頃に英語のリスニング用に使っていたやつと一緒だ。イヤホンもご丁寧に同封されている。最近はワイヤレス型とか流行ってるし今更これがあってもな……。
「かぁーっ、大外れもええとこや……ほんではーくんは? どんなんやった?」
「多少はマシって程度やろ」
袋から出て来たのは……なんだこれ。意外と包装デカいな。簡易的なカメラとかそんなところか?
「はえ~、一眼レフか~……ってこれ、去年出たばっかのやつやん! コマーシャルで見たでっ!」
「ほーん……まぁまぁ当たりやな」
「こんなん普通に買うたら5万は下らへんねんで!? おかしいやろこの差っ!? 手抜きや手抜きっ!」
「福袋に文句付けんなよ……」
怒りに荒れ狂う文香はともかく。
パッケージには去年の西暦と最新型の文字が踊り、初心者にも使いやすいなどと調子の良い言葉ばかりが並んでいる。
恐らく文香の言う通り、一万円では本来手に入らない代物なのだろう。早速今年分の運気を使い果たしたか。
「あー、でもカメラなぁ。はーくんにとっては外れかも分からんなぁ」
「え。なんで」
「だってはーくん写真写るの大っ嫌いやん。ママがカメラ向けてもすぐどっか隠れてまうし……アルバムなん酷いモンやったろ?」
卒業式の日にプレゼントしてもらった例のアルバムを指しているのだろう。確かにまともなのが無かったな。だいたい顔を背けているか見切れているかで。
ガキの頃は嫌いだったな。写真撮られるの。理由までは覚えてないけど、まぁ恥ずかしいとかその程度のモンだった気はするが。
「別に構へんで。ちと気になっとったし」
「へっ? 欲しかったん?」
「そう言われると微妙なところやけど……あってもええかなとは思ってた。最近妙に縁があってな」
印象深いのは比奈に連れていかれた写真館だが、琴音ともコラボカフェで一枚撮ったな。あとはシーワールドで瑞希と動画、有希と行った夏祭りもそうか。
すっかり録画魔と化している瑞希のせいで、放課後や練習後も見返す予定の無い写真や動画がドンドン溜まっている。そういやハロウィンでも比奈とそんな話をして、ちょうど一眼レフを勧められたんだ。
「うしっ、ちょっと待ってろ。ある程度バッテリーあるやろし…………ん、これで行けっかな」
中身を取り出しテキパキと設定を済ませスイッチを入れる。なるほど、確かに簡単だし、軽くて持ち運びも楽そうだ。
「ほら、こっち見いや」
「うっ、うん……こうでええか?」
写真嫌いだった当時の俺が染み付いているのか。抵抗も無くカメラを構える姿に、文香はやや気後れしているようだった。
が、そんなことを気にしていても立ち止まれば通行の邪魔なわけで。構図がどうとか背景がイマイチとか初心者の俺が考えても仕方ない。さっさとシャッターを切る。
「おお、ええ感じやん」
「ほーん……いつもの五倍増しってとこか?」
「こんなええカッコしたらな」
「それもそうやけど……はーくん才能あるんとちゃうか? ほら、全然手ブレしてへんし。アーティスティックな感じせえへん?」
「すまん。まったく分からん」
「にゃははっ。ほなあきまへんな」
互いに茶化し合うなんの気無い空間だが、決して悪い写真ではないと思った。良くも悪くも等身大の文香がしっかり残っていて。
感傷に浸るわけでもないが、やはり良いものだと思う。この日、この瞬間は二度と訪れない。それをこうして形に出来るのなら。
「…………写真を撮っておきなさい。どうせ、みんな忘れてしまうんだから」
「……ほえっ?」
「比奈に教えてもらった。写真家の言葉らしいな」
「ふーん……まぁ確かになぁ。ウチもホンマに小さい頃のことなん大して覚えとらんし……しわくちゃのババアになったら色々忘れてまいそうや」
「……でも、写真を見返せば」
「思い出せるっちゅうわけやな」
満足そうに微笑む文香に、思わず似たような綻びも生じる。振袖とスニーカーの相性は最悪だが、足取りは今日一で軽々しい。
生憎にも記憶力には自信があり、ただでさえ人間関係の希薄な俺だ。こんな幸せな時間を忘れろという方が無茶な相談である。
だが彼女の言う通り、歳を取れば今日の出来事も。彼女たちと過ごした濃密な日々も過去のものとなり、やがて記憶も薄れて、忘れてしまうのかもしれない。
……そう。あの人のように。
「文香。ちょっと付き合ってくれんか」
「ほん? ええけど、どこ?」
「近場やから安心しろ。明後日には帰るし、スケジュールカツカツやねん。なる早で行っとかなアカン思て」
もっともなことを言っているようだが、年末をぐうたら過ごし過ぎたせいで実際のところ忘れていた。ホント当てにならないな。なにが記憶力には自信があるだ。
まぁでも、文香を連れていくために仕組まれた予定調和ってことにしておこう。俺も大概だが、コイツもよく可愛がれていたからな。きっと待っている筈だ。
「年始の挨拶や。花屋も開いとったしな」
* * * *
最低限の買い物を済ませ、最寄り駅から数分ほど歩いたところにある霊園へ向かう。
元々人で溢れ返るような場所でないのは間違いないが、やはり元旦にわざわざ足を運ぶ者は少ないようで。俺と文香を除き人の姿は見えない。
「いやぁ、来るの自体は文句あらへんけどな? 流石に振袖で墓参りはどうなんかなぁて……しかもゴリ正月やし」
「ええねん気にせんで。一年で最もめでたい日にわざわざ来とるんや。むしろ丁重にもてなすべきやろ」
「どうなんかなぁ……」
やや気乗りしない様子の文香であったが、もう着いてしまったのだから仕方ない。別に正月は来ちゃいけないとかそんなルールは無かったはずだ。あっても従うつもりは無い。
似たような並びで象られた細道を抜け、ようやく辿り着いた二人の元。かれこれ10年、この場所で仲良く眠りに就いている。
掃除は頻繁に行われているようで汚れらしい汚れも見当たらなかったが、せっかくの機会だ。借り物の柄杓で墓石を洗い流し、供えのスイートピーを添える。
毒性があり仏花には適さないようだが、冬の間に限っては問題無いと店員に教えてもらった。
冷たい風が吹き抜け、花びらが揺れ動く。
まるで二人が笑い掛けているようだ。
あの頃と同じ、優しさに満ちた笑顔。
「門出、永遠の喜び、優しい思い出……スイートピーの花言葉やってな」
「ほえー……正月にはピッタリやん」
「今の俺たちにも、な」
「……まーたそういうこと言う」
「照れんじゃねえよ」
「んなんはーくんも一緒や」
手を合わせ暫しの沈黙。
脳裏に蘇る、懐かしい記憶。
「……ウチずーっと勘違いしとったんよ。幼稚園迎え来るのも、遊び連れてくのもこの二人やったろ。はーくんのパパとママ、エライ歳行っとるんやなぁて」
「あの頃もう80過ぎやからな」
「ホンマなっついなぁ……ほら、覚えとるか? 永易公園に試合観に行って、はーくんはおじいちゃんと応援団の方に混じってな。ウチはパパとママと、はーくんのおばあちゃんと一緒に傍の植物園でお散歩して」
「いねえのに覚えてるわけねえだろ」
「にゃははっ。確かになっ」
俺にとっての思い出は、試合を観に来てくれた二人の姿がほとんどなわけで。下手したらその隣で俺を応援していた文香の方が、よっぽど記憶に残っているのかも。
いやまぁ、決してそんな筈無いんだけどな。勿論覚えていることも沢山あるけれど。忘れたものの方が多いような気はする。
「……ばあちゃんはな。死ぬ直前まで割と元気やった。長いこと病気しとったけど、症状の進みも遅かったし。死ぬ二日くらい前に「そろそろかねえ」とか抜かしよるしな。でまぁ、別れの言葉もちゃんと伝えられた。そこまで後悔はねえんだよ」
「……うん」
「ただじいちゃんは…………やっとばあちゃんのことが片付いて、もうすぐ入学式ってときに、いきなりやったからな。確か脳卒中やったと思うけど」
まさに後を追うよう死んでしまった。身体の調子が悪いことだけは知っていたが、命にかかわるような状態にまで悪化しているとは露にも思っておらず。悲しむ暇も無いくらい、あっという間に逝ってしまった。
「いやな。それはもう起きちまったことやし、仕方ねえんだよ。でも……」
物心つく頃には、既に認知症の傾向が出始めていた。
俺の名前や顔を忘れるのもしょっちゅうで、それこそ亡くなる半年前くらいには覚えて貰うのも半分諦めていた。
元々口数の少ない人だったから、俺を孫として認識しているのか、近所の子どもが遊びに来たと思っているのかさえ分からなかったけど。
「……倒れる一週間くらい前なんてさ。もう笑っちまったよ。こっちも努力はするんだけどな。で、一瞬だけ思い出すんだけど。でも少し経ったら忘れてやがる。キミはどこの子だって…………これが病気かって、身の毛もよだつ恐ろしさやった」
「…………そっか……」
「いくら頑張っても、忘れるモンは忘れんだよ。大事な孫の顔も、名前も……そんな姿見せられて、俺だけは絶対にそうならないとか、口が裂けても言えねえよ」
幸せな思い出も、いつかは忘れてしまう。
写真に残したところでなんだ。
自分の姿さえ認識出来なくなっては。
怖いな。
当たり前の死が迫り来るなか。
俺は人生の最後に胸を張って。
自らの意思で、言葉で。
幸せな人生だったと、断言出来るのだろうか。
「……忘れてもうたらな。もっかい同じことすればええねん。海で遊んだこと忘れたら、また海に行って……何年前の誕生日パーティーがどんなんやったか忘れたら、その年もまたお祝いすればええ」
「…………文香……っ」
「嫁はんと子どもの顔を忘れたら、また一から、はじめましてからやり直せばええだけや。そうやって、ずーーっと繰り返して……死ぬまで思い出を作り続けるんよ」
目立ちの悪い八重歯を光らせ、無邪気に笑う。
「はーくんがお二人さんのことをちゃんと覚えとるように……きっと天国ではーくんのとの思い出を、楽しそうに語り合っとるよ。そーゆーもんや」
「……忘れんことが大事なんちゃうで。いつどんなときも、心の内側に置いておくのが大切や。その気持ちがきっと、はーくんの幸せに繋がるって。ウチは思う」
決して忘れることの無かった。
忘れられなかった。あまりにも眩しい笑顔。
「しっかりせえや、はーくん。ったく、昔のこと想い出しただけですーぐ弱気になって。ウチのこと笑えんで」
「……悪い。そうだよな」
「まっ、はーくんの愛がビンビン伝わったっちゅうことで、ここは大目に見たるわ」
そうだな。文香。
お前の言う通りだ。
例え忘れてしまっても。記憶が薄れてしまっても。お前がここにいて、これからも隣に居続けてくれるのなら。
この愛おしい気持ちを、いつまでも伝え続けることが出来るのなら。いつどんなときも。何度だって思い出せる。
大事なことは二つだけ。
ありがとう。そして、大好き。
「……暗なって来たな。そろそろ帰ろか。ええ加減お二人さん引っ張り回して怒られてまうわ」
「別に一緒でええんに」
「アホっ、気ィ遣ってくれてんねん、黙ってスルーしてやってや……みんな朝すぐに出て来てな。おせちゴリゴリに余っとるんやけど。どうする?」
「食いに行きゃええんやろ」
「にゃふふっ♪ おおきになぁ」
身体を冷やす空風が隙間を縫うように互いの髪の毛を揺らした。不思議と寒気は訪れず、繋がれた右手の暖かさだけが染み渡る。
木々が穏やかに波を打ち、背後から二人の新たな門出を祝う優しい声が聞こえて来る。単なる勘違いに過ぎないが、どうやら空耳というわけでも無さそうだ。
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