475. 黙ってないで
「――――――――ハルトっ!!」
崩れ掛けた身体を支えてくれたのは、物陰から一目散に飛び出して来た愛莉だった。続けて傍へ駆け寄る皆に体重を預け、やっとの思いで地面を掴み直す。
「落ち着いて、深呼吸して! 大丈夫、ちゃんといるから……絶対に離さないから。無理しないで。ほら、ゆっくり……」
言われるがままに呼吸を整え大きく息を吸う。ボヤけていた視界が鮮明さを取り戻し、釣り気味の美しい瞳がいっぱいに写り込んだ。
右隣にノノ。左に瑞希。背中を支えてくれるのは比奈と琴音。手を握ってくれているのは文香だろうか。
全身の力が抜けて、頭もボーっとしている。少し余計な、昔のことを考え過ぎたようだ。彼女たちの心配そうな表情を見て、ようやく現世へ帰って来れたような、そんな気もする。
情けない、支えられてようやく立ち上がる程度の脆いメンタルと軟弱な身体か。過呼吸なんて入院していたあの頃以来久々だな。
ああ、でも、悪くない。
一人で無理して立っていた、あの頃より。
ずっと弱くて、ダサくて、どうしようもないけど。
嘘みたいに心地良いから困るんだよ。
「…………もうええ。落ち着いた」
「ダメ。まだ心拍数上がったまま…………もっと甘えていいんだよ。大丈夫、安心して。よく頑張ったね。えらいえらい」
腕を伸ばして優しく頭を撫で上げる比奈。幼子を寝かしつけるような母性溢れる振舞いに、首筋まで真っ赤に染まった。
「……ちょっと甘く見すぎてたかも。結局最後まで話そうとしねえんだから、こうなることくらい分かってたよな」
「仕方ありません、瑞希さん。誰が悪いというわけでもないのです…………腕に胸を押し当てるのは辞めてあげては如何ですか」
「無いもん当てても問題無いっしょ」
「何故ここで自虐を……」
いつも通りに振る舞おうとするのも、また優しさか。まったく柄でもない。無理やりに笑うんじゃねえよ。この程度で、安心しちまうじゃねえか。
「センパイ。少し休憩したら、あともう一息です。昨日ノノ言ったことを覚えていますか?」
「……ノノ?」
「ちょっとだけ妥協してください。適当にしてください。優しくしちゃってください。そうしたら……ちゃんと、許せるようになりますから」
右隣のノノも可憐に微笑む。こんなときばっかり真面目ぶりやがって。あとで死ぬほど甚振ってやる。覚悟しとけ。
「…………はーくん……っ」
文香も心配そうに見つめている。だから、お前が悲劇のヒロイン気取ったところで絵にならねえんだよ。もっといつもみたいにタヌキ面噛ましとけ。そっちの方がよっぽど安心するんだよ。
驚いた様子で事の顛末を見守る二人。ただのチームメイトと思っていた連中に、すっかり顔を見せなくなった幼馴染。いったいどういう関係なのかと不思議で仕方ないのだろう。
まぁ、ええわ。教えてやるよ。
耳かっぽじってよく聞け。
「…………ホンマに、もう大丈夫やから。一旦退け。シャワーも浴びんと汗臭くて堪らんわ」
「ちょっ……ここでそれだけは言っちゃいけないでしょぉッ!?」
「ええから、取りあえず放せ。別に嫌いでもねえからよ。また今度余裕のあるときに嗅がせろ」
「尚更気になるんだけどその発言……」
渋々といった様子で引き下がる愛莉を筆頭に皆少しずつ距離を置く。再び捉えた二人の輪郭は、どうしたって曖昧なままだけれど。
心配は要らない。
俺はもう、一人じゃないんだ。
自分の足で立っているように見えて、こんなにも大切な仲間に。チームメイトに。友達に。恩師に。家族に支えられている。
それを認めることが出来たから。弱くて情けない自分でも、夢を見て良い。明日を待ち焦がれても良い。期待しても良いって。思えるようになったから。
もう、大丈夫だ。
そして願わくば。
もっともっと、甘えさせてほしい。
他でもないアンタらに。
俺の唯一足りない部分を。
今度こそ、預けさせてほしい。
「…………どっから話せばええもんかね。まぁ、あれや。コイツらは俺のチームメイト。フットサル部の仲間。親友とか、彼女とか、そういう当たり障りのない関係も悪くねえけどな。でもちょっとだけ違うんだわ」
「……どういう、こと?」
「家族や。俺の」
驚いたように目を見開き、顔を合わせる二人。
まだまだだ。この程度でビビってる場合か。
「夢も希望も無い、逃げることだけが目的やった。この街と、サッカーと、アンタらと。距離を置きたいが為の、なんの意味の無い上京や」
そう。俺は逃げ出した。
ところが逃げた先が、思いのほか楽園だったんだよ。それもただ与えられただけではない。手探りで藻掻いて藻掻いて、ようやく掴んだんだ。
一人だけではない。
みんなと一緒に掴み取った幸せだ。
「でもコイツらと出逢って……サッカー抜きの俺を、俺という人間を見てくれて……やっと気が付いたんだよ。理解出来たんだよ。俺が欲しかったもの、望んでいたもの……」
「……お前……ッ」
「俺はずっと、家族が欲しかった。いや、ちゃうな……もっと概念的なモノなんだよ。分かるか? 分かんねえよな……俺やって結論は出てねえよ。でもこういう曖昧で、目に見えない何かが、俺にとって一番必要で、何よりも欲しかったもの。少なくともこの街では……アンタらじゃ理解出来なかったことや」
唇を噛み暗い影を落とす二人。
そう落ち込むな。まだ話の途中だろ。
この程度のすれ違い、なんだというのだ。
これから幾らでも埋め合わせてやる。
少なくとも俺にはその気がある。
後はアンタら次第だけど、どうすんだよ。
「ところがしかし、血の繋がりは抗えないモンでな。別にコイツらじゃダメだとか、満足してないとか、そういう話でもねえんだよ。ただ……本物の家族にしか出来ない、分からない、伝わらないものがあるんじゃねえかなって」
「俺にとってのコイツらは、とっくに家族なんだよ。それだけはホンマのことで、絶対に変わらない、一生掛けて続いていくものだって、そう信じとる…………けど。けどな。それじゃ足りねえんだよ」
「本物の家族を知らねえのに、どうしてコイツらのことを信頼出来る? 実の両親から逃げ出した俺を、コイツらは本気で信用出来るか? 死に別れしたわけでもあるまいに。んなモンな、所詮は甘えなんだよ。弛んでるんだよ……ッ!」
「…………俺は、俺に納得出来ねえんだよッ! 不安なんだよッ! 分かるかッ!? また同じ過ちを繰り返すんじゃないかって、怖くて怖くて仕方ねえんだよッ! アンタらと俺で、三人で作り上げた呪いなんだよッ! 分かっか!? 全員バカで、悪くて、けどどうしようもなかったんだよッ!!」
はじめから存在さえしないものに期待していたのだ。裏切られたわけでもない。なにも無いところへ手を伸ばして、当然のように掴み損ねただけ。
だったら、無理やりにでも近くに置いてやる。
手の届くところで、もう一度足掻いてみせる。
無理をしているわけではない。かといって、すべてを許すことは出来ない。俺がいつまでもこんがらがっているのは、他でもないアンタらの責任だ。
だから、ちょっとだけ許すんだよ。
正直になるんだよ。
もっかいだけ、ちゃんと、期待するんだよ。
「…………出来んだろ、やれば出来んだろ……ッ!? 仕事抜け出してわざわざ観に来たんだろッ!? 俺のために来てくれたんだろッ!? ならもっと、嬉しそうな顔しろよッ!! 喜べやッ!! お前らのそういう顔が見たくて、見たくて、見たくて、夢にまで出て来るんだよッ!!」
「ああ分かったよ、なら呼んでやるよッ! 父さん、母さん、ほらどうだッ!? ええ気分かッ!? 生まれてこの方一回も呼んだこと無かったなッ! でもなっ、呼ばねえだけだよ! 恥ずかしいに決まってんだろッ!! アンタらがどう思っていようと、愛してなかろうと……俺にとっての親は、家族は、お前らなんだよッ!!」
「――――黙ってないで、名前くらい呼んでみろやッ!!!!」
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