464. 機は熟した
ペナルティーエリア僅かに外。
大鷲の如く目を光らせ、腰を深く落とし一気にドリブルで切り込んで来るは、青学館の女王、日比野栞。
味方に預ける気は更々無い様子であった。細やかなタッチを駆使し強引に縦へスピードアップを図る。
(上手い……っ!)
ただ愚直に前進するのではなく、身体の力を抜き一旦晒し出すことで、俺がアタックを仕掛けるタイミングを冷静に見計らっている。
少しでも重心をズラしたら、彼女は確実にその逆を突いて来るだろう。右でも左でも、必ずシュートを放ってくるはずだ。間違いなく失点へ直結する。
(さあ、いつでも来いよ……ッ!)
ゆっくりと傾く華奢な身体。
縦か、中へ切り返すのか。
我慢しろ。
我慢しろ。
我慢しろ。
絶対に目を離すな。
最後の0.1秒まで食らい付け――――!
「ハルトっ!!」
激しく交錯する二つの身体。
結論から言おう。
この勝負、俺の勝ちだ。
ギリギリのところまで俺を引き付けたつもりの彼女だったが、結局最後まで隙らしい隙を見出せず。
日比野さんは中央への切り返しを諦め、右足インサイドでボールを押し出し縦への突破を選択。
言っちゃなんだが女子のスピードに敵わない俺ではない。力強く肩をぶつけ潰しに掛かると、彼女の細い身体はいとも簡単に吹き飛んだ。
「愛莉っ、セカンド!」
しかし寸前のところまで我慢を強いられたことで、俺の身体も急激なスピードアップに耐え切れず。ついぞバランスを失い日比野さんへ覆い被さるようコートに倒れ込んでしまう。
足元で交錯したボールは愛莉と14番の奪い合いとなるが、零れた場所が悪かった。先に触ったのは14番、一足早くスコップし右サイドを駆け上がり愛莉の追撃を躱してセンタリング。
「瑞希さんっ、クリアですっ!」
「分ぁってらあ!!」
軌道の低いクロスに、中央へ走り込む22番と瑞希が激しく競り合う。
ほぼ同じタイミングでボールに触れ合うと、ふわりと宙に浮き弧を描くようにペナルティーエリアを漂う。
…………不味い、コースが変わった!
「やばぁッ!?」
後方でサポートに入っていたノノだが、自身が思うよりボールが後ろへ流れていったことで、完全に逆を突かれてしまう。
前半終了間際の攻防と同じく、一気にカウンターの矛先となるべく準備を進めていたようだが……その前掛かりな姿勢が仇となってしまった。
「琴音っ!!」
縋るような声も彼女の助けとはなり得ない。
ゴール近く、ファーサイドへと流れていったボールへ先に反応したのは…………構えていた文香!!
「――――――――うぉっしゃああああ!!!! 今度こそ決めたったでええええーーっっ!!」
歓声を爆発させる青学館ベンチサイド。
サブアリーナが地鳴りのように揺れ動いた。
「しおりーん!! ウチやったでええええ!!」
「世良っち! よく詰めていました!」
歓呼の輪を作りながら、出場メンバー揃って肩を組み合いベンチへと飛び込んで行く青学館。電光掲示板に記された、2-2のスコア。
(あれだけ良い位置取られちまったらな……)
接近する琴音とのディフレクションを避けるため、宙に浮いたボールにヘディングで反応してみせた。トラップしていたらシュートを撃つ余裕は無かっただろう。
愚鈍にゴールを目指して来た文香の積極性が、ようやく実を結んだ形となった。先の決定機より明らかに難しいインパクトなのに、よく枠へ収めたものだ。
「すみません、ノノのマークだったのに……っ」
「……気にするな。元々文香に付いとったのは俺や。俺が日比野さんをあそこで潰しておけばこうはならんかった……すまねえ、みんな」
「クロス上げさせた私にも責任があるし……クヨクヨしてても仕方ないわ。切り替えましょ」
互いのミスを悔やむ俺とノノを愛莉がフォローするが、表情はやはり浮かばれない。残る瑞希と琴音も寄って来る。
「あたしも反応遅れちゃったからさ、みんな頑張ったし、みんなダメだったってわけよ。しゃーなししゃーなし。なっ。くすみんも全然悪くないから!」
「私も反応出来ませんでしたから……全員で取られたゴールということで、ここは一つ、お願いします」
瑞希は何も心配していないが、今まで失点を一人で背負い込むような仕草を見せていた琴音も、空気を察知してか気丈に振る舞う。
落ち込んでいる場合じゃないな。俺が出しゃばらなくても、みんなドンドン強くなっていって。嫌でも引き締められるよ。頼りになるチームメイトたちだ。
「琴音ちゃん、最初のセーブ凄かったわよ。あれで失点していたらもっと気落ちしていたと思うし……たかが2失点よ。これからもっと点取られるんだから、今のうちに慣れておかないとね」
「はい。私は大丈夫です……陽翔さんも、そう暗い顔をしていないで、次のことを考えましょう。どうすればもう一点取れるのか」
愛莉の手立てを受け音頭を取る琴音。グローブに包まれた右手で俺の腕をギュッと握り締める。素肌とは異なる柔らかな感触に包まれ、心体の痛みが薄れていくようだった。
「……あんがとな、琴音」
「別にこれくらいは……」
恥ずかしそうにそっぽを向く。
分かりやすく成長しやがって。苦労無いな。
「センパイ、提案があります。一度タイムアウトを取って、選手を入れ替えましょう。メンタル面の心配はノノ自身含めまったく必要ありませんが、このまま勢いに乗って逆転まで行かれるのは避けたいです」
「うむっ。市川にさんせー」
「あだ名どこ行ったんすか」
「なんかもうイイかなって」
「あっ、はい……」
ノノに続いて瑞希も賛同する。あれだ、愛莉を長瀬呼びするタイプのやつか。それはそれで瑞希なりの信頼の証だから、あんまり落ち込むなって。
というわけで、審判に声を掛けタイムアウト。
給水ボトルとタオルを用意した比奈が出迎えてくれた。
「……あれ、なんだか全然大丈夫そうだね?」
「ごめん。もう立ち直った」
「えー? せっかく励ましてあげようと思ったのに」
なんて嘘っぽく笑う比奈だが、内心彼女も安心していることだろう。
失点を境とした極めてネガティブなタイムアウトではあるが、6人揃って表情は悪くない。
「こっからどーする? ボールは握れてたけど……」
「途中からリズムも悪かったわね」
瑞希、愛莉と口々に試合展開を推察する。
後半を優位に進めていたのは俺たちだったが、ここぞという場面での決定力に欠けた印象だ
攻めているときこそ守備のケアを怠ってはならないという、フットサルに限らぬセオリーをまざまざと痛感する形となってしまった。
大まかな展開に変わりは無いだろうが、ますます勢いを付けた青学館のハイプレスに似たような後手後手の守備を強いられる可能性も少なくない。
「みんな、ちょっと聞いてくれ」
俺は今後の戦い方について、二通りのパターンを示した。
一つ目。ハイプレスにはハイプレスを。後半これまでと同じ戦い方だ。
このままノノを残し、俺がフィクソに入ってラインを押し上げることで、青学館の勢いをゴリ押しで正面から叩き潰すパターン。
そしてもう一つは、自陣からしっかりパスを繋いでプレッシングを回避し、相手守備網を丁寧に剥がしていくポゼッションスタイル。この場合、比奈をフィクソに入れて瑞希かノノを外すことになる。
「文香のプレスバックはかなりの脅威だ。比奈をフィクソの位置で晒すのは悪手かもしれん。事実この試合では上手く行っていない……」
「でも、それをわたしが出来れば……」
「ああ。間違いなく優位に進められる」
力強く頷いた比奈を尻目に、反対ベンチサイドで文香とやり取りを交わす日比野さんを捉える。
一人で強引に仕掛けた結果、最終的に同点ゴールへと繋がったあのプレー……愛莉にも、瑞希にも、ノノにも。大切なヒントが詰まっていると、そう感じる。
そして俺にも。
もう一つ、乗り越えるべき壁があるのだ。
「どこかで違いを作らねえといけないんだよ……そしてそれを実現させるには、比奈。お前のサポートが必要不可欠や。自分で仕掛けるのも悪くねえけど、何だかんだこれが性に合っとるやろ」
「そうだねえ……みんながプレーしやすいように動くのが、わたしも好きかな」
「よし、なら決まりやな……ノノ、一旦交代や。タイミングを見て瑞希と入れ替えるぞ。愛莉、お前はもう替えねえからな。死んでも結果出せ」
「そう言うと思ってた」
「まっ、かる~くやっつけるとしますか!」
「了解です! ノノ全然疲れてないんで、アウトプレーのボールぜんぶ拾いに行きます! 出場していなくてもお役に立ちますよ!」
晴れやかな笑顔で皆揃って答える。
そうだ。俺たちは決して、チームという枠組みのなかだけで藻掻いているわけでは無い。比奈へ明確な役割を与え、それが彼女にとって一番の強みとなるように。
「私には、なにも無いのですか」
「琴音の心配なんぞ万に一つも要らん」
「それは有り難いですが……もっとこう、なにか」
「一番頼りにしてんだよ。言われんでも分かれ」
「……では、取りあえずそれで」
誰もが絶対的なストロングポイントを持っていて、それも最も活かせるような形を作り出す。
このチームの武器は、正確なパスワーク、鋭利なカウンターなどという一言で言い表せるものではない。
一人ひとりの力を最大限に発揮した。
どんな敵をも打ち破る、最強の個性の集合体。
これこそが俺たちの強み。
唯一にして、最大の武器だ。
「…………勝つぞッ!!」
6人の声が木霊する。
さあ、機は熟した。もう一度突き放そう。
俺たちはまだまだ。どこまでも強くなれる。
【後半7分59秒 世良文香
山嵜高校2-2青学館高校】
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