399. まだ温かい、温かい


「にゃっはーっ! 懐かしいわぁーっ! なぁ見て見て、この壁のちょっと凹んどるところな? 幼稚園の頃はーくんがボールおもっきりばーん蹴ってもうて、部屋中メチャクチャにしてな!」


「ほらぁこれもこれも、はーくんが大事にしとったフィギュア。首のところな、ポロっと取れてまうねん。ウチが遊んでたら壊してもうてな。はーくんエラい怒りよって、ウチ一ヶ月出入り禁止になったんよお。一ヶ月と一日後にすぐ来たけどなっ?」


「おおっ、あったあった! はーくんが着とった歴代のユニフォーム! ほら見てみいや、この小っちゃいのなんジュニアの頃最初に着たやつやで? オークション出したらドエライ値段なるんちゃうか?」


「いやぁ、しっかし汚くなってもうたなあ。相変わらずママさんもパパさんもはーくんのこと全然気に掛けとらんのよなぁ。下手こいたらウチのほうがはーくんのこと詳しいんとちゃうか?」


「んんっ!? にゅむむむっ! お宝、お宝やっ! はーくんのワイシャツやで!? いやっ、まだ温かい、温かいっ! まさか昨日まで着ていたとでも言うんか!?」



 ……………………



「ど、どうするのよあの子……っ」

「うーん……そうだねえっ……」

「なんの遠慮も無く部屋入ったな。やば」

「同じことをしようとした瑞希さんが言っても」

「ノノより喧しい人も珍しいものですね」


 呆気に取られる5人の様子などいざ知れず。


 文香と名乗った少女は家に上がるや否や二階にある陽翔の部屋へと一直線に突き進み、遠慮なくドアを開いた。


 物置と化していた陽翔の部屋に足を踏み入れるのは、5人もこれが初めてだった。二階には何も無いから、滅多なことでは上がって来るなと彼から注意を受け、それを忠実に守っていたのだ。



 ところが文香というこの少女。


 なんの躊躇いも無く物置部屋を隅から隅まで探索し、時折声にもならない奇声を上げ当時の思い出を誰に語るわけでもなく喋り倒す。


 行動そのものに対して苦情の一つや二つ真っ当な代物ではあるが。それ以上に彼女たちの心を抉ったのは。



「……随分詳しいのね。ハルトのこと」

「ええっ? そりゃまあ、幼馴染やからな」

「いつ頃からの幼馴染なの?」

「ウチが4歳とか、それくらいやったかなあ。あ、でもキッカケはちゃーんと覚えとるで? 鉄棒の練習を年少さんと年中さんでペアでやるっちゅう時間があってな。ほんで、はーくんと一緒になってん。出来るようになるまでエライ扱かれてなあ」


 比奈の問い掛けに、陽翔の着ていたワイシャツを手に掛けニヤニヤと笑いながら答える文香。

 何の目的があってワイシャツを着ようとしているのか、ツッコミを入れる気力も5人には無かった。

 


「…………腑に落ちませんね」

「へ? くすみん?」

「陽翔さんからそのような幼馴染がいるといった話は、一度も聞いたことがありませんでした。当時の話を徹底して避けていたからこそかもしれませんが……」

「まぁ、はーくんからは言わんよ。そりゃあ。ウチのことたぶん嫌いやしな。顔合わせたら即追い出されるわ」


 息を吐くように宣う文香に、疑問を投げ掛けた琴音は更に難解な表情を浮かべ首を傾げた。残る4人も似たようなもので、その言葉の真意を一向に測り兼ねている。



「嫌われてんのに元カノ自称してんの?」

「はーくんは速攻否定するやろけど、小学生の頃からずーっと女の子にモテモテやったんよ。中学に上がったらもうエラいモンでな。ワールドユース終わった頃なん、関西一有名な中学生やったからな」


 文香のあっけらかんとした物言いに、瑞希は動画サイトで見つけた、僅か数年前の陽翔の雄姿を思い返していた。



 ワールドユースとは、二年前にイングランドで開催された17歳以下の世代で行われるワールドカップのことを指している。


 高校二年生の代が主要メンバーとして出場するなか、唯一の中学生として陽翔も選出されていた。


 そして、日本代表チームを歴代最高となる3位へ導く活躍を見せたのが、当時14歳。中学三年生の陽翔であった。

 ハイライト映像を含め彼の活躍は、今でも動画サイトに数多く残っている。



「追っかけみたいな子も仰山おってなあ。はーくんも困っとって。で、ウチがはーくんの彼女やー言うてずっと引っ付いとったんよ。それはそれでウザがっとったけどな」

「じゃあ、本当に付き合ってたんじゃなくて……」

「んっ。ホンマにウチが言うとるだけ」


 あからさまな態度を隠しもせず、愛莉はホッと息を吐いた。そんな彼女の姿を見て、文香はだらしなく頬を緩ませ5人へ問い掛ける。



「分っかりやすいなあホンマ。あれやろ、どうせみんなはーくんに相手されんくてここまで着いて来たんやろ? 無理ムリ、はーくん女の子の気持ちなんこれっぽっちも理解出来ひんから。逆レイプでもせな分からへんわ、あの朴念仁」

「そ、そうですねえっ……」


 昨晩の大事故を知る身の上として、滅多なことも言えずそれ以上は口を挟まないノノであった。



「で、ウチからも質問やねんけど……アンタらははーくんとどういう関係なん? まさかホンマにはーくんのハーレムかなんかなん?」

「間違っちゃいねえな。うん」

「瑞希は黙ってて」

「わたしたちは、陽翔くんと同じフットサル部なの。こっちで練習試合があって、今は陽翔くんのお家でお世話になってるんだ」

「…………フットサル?」


 比奈の返答に目をパチクリさせて驚きを露わにする文香。少し考えるような素振りを見せ、恐る恐る口を開いた。



「……まだ、続けとるんか? サッカーやなくても、ボールは蹴っとるちゅうことよな?」

「ええ。そうなりますね」

「はっはぁー……そりゃまぁエライ偶然も……」


 なんの気なしな琴音の同調に視線を落とす文香。半分ほど着込んでしまった彼のワイシャツの裾を握り締め、フローリングの床をジッと見つめる。



「…………そっか……そうなんかぁ……っ」


 先ほどまでの威勢の良さはすっかり衰える。

 暫しの沈黙を挟み、物憂げにため息を吐く。



「なら、変わってへんちゅうことやな」

「……どういうこと?」

「んー…………せやなあ。一言で説明するのは難しいんよ。こう、分かりやすいものがあれば…………あ、ならあれか。まだ置いてあるかな」


 愛莉の呟きを境に何か思い出したのか、乱雑に散らかっている部屋の奥へと足を踏み入れ、埃の被った本棚へ身体と手を伸ばす。


 あったあった、と足元のバランスを崩しながら文香が手に取ったのは。これとって表紙に記載や記名も無い、色の滲んだ分厚い冊子であった。



「言うて優しいんよなあ、はーくんも。ほとんどウチが押し付けたようなモンなのに、ちゃんと捨てへんと置いておいてくれるんやから。扱いは雑やったみたいやけどな。なははっ」

「もしかして、アルバムですかっ?」

「せやせや。ウチもまるっきり同じもの持っとってな。12歳の誕生日、小学校卒業するちょっと前までのなんやけど、わざわざウチのオカンが写真コピーしてくれてえな。無理やり渡したんよ」

「流石にノノも興味あるかもですっ!」

「にゃははっ。ほなここや狭いし、リビングでも行こか。お茶くらいもろても構へんやろ?」


 古ぼけたアルバムを片手に、文香はわざとらしく白い歯を見せびらかせ豪快に笑う。



「教えたるわ。はーくんの全部」


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