351. 転がり続けるだけ


「本当に……本当にさぁっ! もう、なんなのよっ! 結局いつもと同じじゃないっ! 私がどうにかしないと、アンタなんて……アンタなんて、全然、わたしのこと見てくれない癖に……ッ!」

「……愛莉」

「言いたいことは全部言った!? 知らないわよそんなのッ! アンタがどう思っていようが、私には関係無いのっ! 何度も言わせないでッ! 私はただっ、アンタに…………ハルトに好きだって……私だけだって、私だけが好きだって、言ってほしいだけだもんっ……!」


 涙と鼻水交じりの怒号を浴びせられたところで、シリアスな雰囲気や緊張感を演出するには不十分である。どう対応したらいいか分からなくなるし、彼女も似たような状況に陥っていることは確かだが。


 棚上げにするわけでもない。

 こんなときだからこそ、分かることもある。



「……ズルいのよ、全部……っ!」


 噛み締めるような一言と共に、涙が頬を伝う。

 塞き止める術を、俺は持っていない。

  


「分かってる、分かってるの! ハルトも辛いんだって、苦しんでるんだって、分かってる! でもわたしがっ! 私が納得出来ないのッ……! だって、なにも変わらないんだもんっ!!」

「…………そう、かもな」

「もう、昔の自分に戻るのはイヤ……っ!」


 ……昔の愛莉?


 何気ない言葉がどうにも引っ掛かって、もう一度しっかりと彼女の泣き面を観察してみる。大人の身体で子どもみたいに泣きじゃくる歪さに変わりは無いが。



 あぁ。でも、知っているかも。

 前にも見たことがある。こんな姿を。


 あの日も同じようなことで悩んで、傷付いて、こうやって泣いていたんだ。それをバッチリと見られていたことを、お前はきっと知らないだろうけれど。



「…………自信が無いの。今まで通りで……ハルトと同じくらい、みんなのこと大事に出来る自信が……っ!」



 藁にも縋る、そんな面持ちで見つめ返す。

 軽率なフォローさえも、上手く出て来ない。



 長瀬愛莉に巣食うもう一つのトラウマ。

 それは救いようの無い、エゴイズムへの恐怖。


 あの日、談話スペースで彼女が皆へ告白した、中学時代の挫折と失敗。理想の自分へと近付こうとするあまり、周囲を顧みず暴走を続けコースアウトしてしまった、苦々しい日々の記憶。


 克服した、という言い方も正しくなかったのかもしれない。俺たちは彼女の理想に近付いてあげたという、有り体に言えばそれだけで。彼女自身はそれほど変わっていない。


 あのときとは違う。

 彼女のエゴは、これから必ず誰かを傷付ける。

 すべて理解しているのだ。



 だから「ズルい」のだろう。恐ろしく自己評価の低い自分へ、こうも簡単に好意を明け透けにしてしまっている俺に対しても。それを抵抗無しに受け入れようとしてしまっている自分自身も。


 そして、既に始まりつつある「今までと少し違う日常」のなかで、必然的に訪れるエゴイズムという名の暴力を抑え切れないことを悟った、自身の浅ましさを。



 勿論、彼女はなにも悪くない。

 こんな状況を生み出した俺に責任がある。


 そうでなければ、愛莉にしろ思い出したくもない過去に苦しめられる必要も無かったのに。わざわざ掘り返して場を荒らしているのは、俺の方だ。



 でも、それでも。

 進むんだろ。前を向くんだろ。


 やるしかないんだろ、愛莉。

 お前が言い出したんだぞ。



「……本当は……本当はもう、良いかなって、思ってた。ハルトのこと好きだけど……みんなと一緒にいる時間も、同じくらい好きになっちゃったから……だから、私じゃなくてもいいのかもって。私の隣じゃなくても、近くにハルトが居てくれるなら、それでいいって……!」

「…………愛莉……」

「でも駄目だった……自分でもバカだなって思ってる、でも抑えられないのっ! 本当にバカだった! ハルトがいなきゃ意味無いのに、それで満足するなんてあり得ないって、分かってるのにっ! 分かってるのに…………分かんなくなっちゃうよ……ッ」



 そうか。お前も。

 同じことで、ずっと悩んでいたんだな。


 俺のことを想ってくれる気持ちと、フットサル部への愛情に偽りは無いけれど。けれど、どうしても同じモノには出来ない。釣り合いが取れない。取れるわけ、ないんだよな。


 すべては必然だ。

 いつかはこうなってしまうことも含め、全部。



 起こってしまったものは、もう仕方が無いのだ。


 神は乗り越えられるだけの試練しか与えないと言われるように、こうやって苦しむ時間も、俺には。彼女には必要なモノなのだろう。それが必ずしもプラスに転じるかどうかなんて知ったことではないが。



 少なくとも、今ばかりは享受するべきだ。

 身を切り裂くような痛みも、現実も。


 それにしたって過酷な試練だと思うけれど。



「……その。雑な返しをするようでアレやけど」

「…………なに……?」

「……取りあえずさ。やってみるしかねえよ。やらない後悔よりやる後悔っつうだろ。まぁ、そういうことだろ、たぶん…………俺も嫌だけどな。もう、そんなこと言ってる場合じゃねえよ」

「…………うん……っ」

「キツイんだよ。ぶっちゃけ。誰か一人とこうやってると、今までの六人で過ごして来た時間が前振りみたいに思えて来て……いや、んなわけねえんだけどな。それはそれで、全然別物の筈なんだよ。ただ……みんなにも、自分自身に対しても、裏切ってるって気になる」


 これはこれで、俺が抱えている大きな問題だ。

 誰か一人に入れ込むことを、未だに恐れている。



 全部。なにもかも欲しい。確かにそう言った。

 嘘偽りない、俺の本心だ。


 けれど、愛莉はそうではない。平等に切り分けられる愛情を、すべて享受したがっている。今でこそ落ち着きを見せているが、比奈や瑞希にしたって同じことだろう。無論、他の連中も変わらない。


 与えた分だけ期待していたものが返って来る保証など無いのだから。こんなことで悩み続けるのは、きっと無駄なことなのだ。いつかは壊れてしまうモノ。



 それでも、希望は捨てずにいたい。

 どこかに抜け道があると信じている。


 これってさ、愛莉。お前の抱えているエゴと、そう大差無い気がするんだけど。どうかな。


 所詮、エゴのぶつけ合いだろ。

 友情も、愛情も。知らんけど。



 無様に転がり続けるだけだ。

 それはそれで、結構面白いと思う。


 目まぐるしく、慌ただしい俺たちの日常。


 答えなんて大それたものは期待していない。

 でもあるとしたら。

 きっとそんな感じなんだと思う。



「しょうがねえよ。もう。転がり続けてここまで来たんだから。俺らは俺ららしくやっていくだけや。下手に知恵絞ったってどうにもならねえ」

「…………でも、変わんないじゃん。なんにも」

「ええよ。変わらんで。もしお前が、しょうもないことで誰かを傷つけたり、それで自分が後悔したとして……それで壊れるほど軟な関係じゃねえだろ。だとしたらとっくに破綻しとる。それはみんな一人一人が持っとる力で……愛莉、お前にもあるんだよ。なんか、そういうのが」

「…………分かんない。そんなの」

「構わん。別に知ろうとしなくてもええ。そういうお前にみんなが救われとるし、俺も好きになったんだよ。それだけ分かってれば、ええから」

「…………また難しいこと言ってる……」

「ならもう理解力の問題や。アホ」

「アホじゃないし……っ」



 纏めると、また先送りだ。

 誰かに聞かれれば、いい加減にしろと言われるだろう。



 だからなんだ。俺たちは、俺たちだ。

 俺がそう思ったらもう正解なんだよ。


 愛莉。お前も、ちょっとは分かってくれるんだろ。ならきっと、そこまで間違っているわけでもないと思う。


 そう信じられるなら。

 俺たちは、ずっと俺たちのままで居られる。



「こっち見ろ、愛莉」

「……な、なに……っ?」


 袖で涙を拭い、少し困った表情を浮かべ顔を近づける。目元が真赤だ。いったいどれだけの水分を消費したのか。



「落ち着いたか」

「…………ちょっとだけ」

「もっかい言うから。一回で覚えて納得しろ」

「……う、うんっ……?」


 取りあえず、これだけ辛い思いをさせてしまったのだから。多少は見返りがあっても良い筈だ。

 当然、それは俺にとってもご褒美なわけだけれど。ツッコまれたら負け。


 あー。改めて言うのも辛い。

 ホント柄じゃねえよなあ。

 人って変わるもんだわ。



「好きだ、愛莉。愛してる」

「うぐゥっ……! あっ、あぅぅッッ……!」

「言葉で言い表せないくらい、本気でお前のことが好きだ。でも、恋人とか、付き合うとか、そういうのは出来ねえ。何故なら他の奴らも、同じくらい好きで、愛してるから」

「……ぁぅぅ……っ!」

「だからもうちょっとだけ我慢してくれ。いや、これも違うな…………あれや、俺はいつでもウェルカム状態やから、遠慮せずガンガン来い。二人で居るときだけ、恋人ごっこでもなんでもしてやる。で、俺の気をドンドン惹け」

「ひぅぅぅぅ……っ!」

「それで本当に、愛莉のことだけが好きだって、本気でそう思ったら…………もっかい俺から告白してやる。この俺が。俺からだぞ。もっかい言うわ、俺からな。ええな、分かったな?」


 なんでここまで来て強気に出られるんだと自分でも思う。でも仕方ない。こういう風に言わないと、こっちもこっちで恥ずかしくてどうにかなりそうなのだ。


 それに、案外悪くない言葉選びだと思う。


 だってお前、そんなに顔真っ赤にして。

 ニヤニヤしてんじゃねえよ。チョロいな。



「この件はこれでおしまい。で、どうする?」

「…………へっ!? ど、どうするって!?」

「二人きりやろ。なんでもできっぞ」

「…………な、なんでも……ッ!?」

「恋人ごっこでも、さっきの続きでもええ。好きなだけイチャイチャさせてやる。死ぬ寸前までヘッドロック掛けられんのは勘弁やけどな。ちなみに俺は普通に寝たい。割と疲れた」

「……ちっ、ちょっ、ちょっと待って!!」


 慌てて壁際へと後退りし距離を取る愛莉。

 分かりやすくアワアワしている。ム○クかよ。


 遠慮無しなのはどっちの方だと言われてもおかしくないが、俺よりもよっぽど正常さを失っているコイツが目前で身悶えている手前、あまり非は感じない。


 どうにかクールに抑えようとあれこれアイデアを練っているようだが、何やら想像するたびに頭をブンブン振り回して顔を赤らめて、また考え直して。


 無限ループが始まっている。

 なんだこの光景は。微笑ましさすら覚えるわ。



「…………じゃあ、えっと、その……っ」

「纏まったか?」

「色々考えたけど、難易度高いっていうか……」


 なんやねん難易度の高いイチャイチャって。

 逆になにするつもりだよ。



「……わたしも疲れちゃったから、その……さっきにみたいに強くしないからっ、だからっ…………普通に、あのっ……」

「普通に?」

「…………ぎゅーっ、てしながら……一緒に寝たい、かも……だめ……?」



 駄目ではないけど。

 その上目遣いは駄目だろ。


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