329. 何度だって間違えられる


 憚らず涙を溢れ返させる瑞希を腕中で慰め続けて、どれくらいの時間が経っただろうか。大量の水分でぐっしょりと濡れてしまったシャツは、暫く使い物にならないだろう。


 過呼吸気味だった息遣いも落ち着いて来た。少し眠たそうな細い目を見る限り、だいぶ泣き疲れてしまったのだろう。たったこれだけの出来事で、彼女の抱えるすべてを洗い流せるとは思っていないが。



「…………もう、大丈夫……っ」

「強がるなよ。まだ震えてるぞ」

「ううんっ……ほんとにへーき」

「でもっ」

「また甘えちゃうから。大丈夫っ」


 ゆっくりと腕を離し久しぶりに見据えた彼女の面持ちは、ほんの僅かな名残惜しさを滲ませつつも、その言葉通りの強い意志を感じさせた。



「…………ハルの言う通りだよ。ハルのこと大好きだけど、まだ区別出来てないんだと思う。彼女にもなりたいけど…………友達のままでいたいっていう気持ちも、やっぱりあるから……っ」

「…………ん。そっか」

「でもさ……友達なんて、もっと弱い関係じゃん。それだけじゃハルのこと繋ぎ止められないっていうか……だから、ひーにゃんにすっごい嫉妬した。ひーにゃんよりもっとすごいことすれば、もっとあたしのこと見てくれる、気にしてくれるって…………さいてーだよな」

「んなことねえよ。誰でも思うことやろ」


 ありふれた肯定の言葉に、瑞希は首を強く横に振ってハッキリとノーを示す。

 少しずつ。少しずつではあるが、彼女の隠していた思いが雪解けし露わになっていくようで。嬉しかった。

 


「ううんっ。結局、ただのエゴなんだよ。あたしがみんなの中心で、みんなよりちょっとだけハルと仲良くて……そーゆーみんなより「ちょっと良いところ」に居たいっていう、ワガママ。そんなのさ……本物の友達でも、仲間でもないじゃん」

「全部が全部、嘘だったわけでもねえんだろ?」

「それはそうだけどっ……でも、やっぱりそれじゃダメだし、あたしが納得できないもん。全然だめだよっ……あたし、みんなから今日みたいにお祝いされるほど……愛してもらえるほど、大したこと出来てねえし」


 本当にそう思っているなら。

 それはちょっと、過小評価し過ぎだ。



「馬鹿言うな。確かにフットサル部は、誰が抜けても足りねえチームやけど……お前がいるといないじゃ、全然違うんだよ。俺らが俺ららしくあるのは、瑞希のおかげや。みんなそう思っとる」

「…………ほんとにっ?」

「当たり前だろ。今までの自分に納得いってなくても、俺は、俺らはそういうお前に何度も何度も助けられてるし……メチャクチャ感謝してるんだよ。それだけは忘れんなよ。なっ?」

「……マジで照れるからやめんそういうの?」

「泣き止むまでずっと言い続けっからな」

「もっ、もう泣いてねーし……!」


 美しいゴールドの光沢に触れると、彼女はくすぐったそうに息を漏らして居た堪れなく鼻を鳴らす。


 偶には悪くないだろう、こんな汐らしい瑞希も。むしろ普段より扱いらしいくらいだ。



 ずっと、偽り続けて来たんだな。

 彼女らしい彼女を。自らも気付かぬうちに。


 俺たちが見て来た瑞希は、彼女の本物の姿であって、そうではない。両親との微妙な距離感。居心地の悪い家族の環境で育まれて来た、瑞希っぽい何かで。


 そんな呪縛に覆い隠された、本物の姿を再び取り戻すには……俺という存在は勿論として、フットサル部の持つ結束や温かさが、まだまだ必要なのだ。



「あれや。ちょっと脱線したけどな。瑞希、俺は……お前の両親にはなれねえけど、それ以上の何かにはなれる自信あっから。そんだけ覚えとけ」

「…………どういうこと?」

「あんときはあんとき、今は今、そういうことや。理想はあくまで理想……俺らは俺らで、自分たちなりにファミリーになればいいんだよ。そうだろ?」

「……うん。そーだねっ……」


 信頼できないものなら、そうなるように努力していくほかに道は無いのだ。どれだけ血が通えど、結局は他人と他人の集合体に過ぎない。


 言葉に頼るようでは、まだ駄目だ。


 作るにも、続けるにも。互いが同じだけの熱量を持って、それを維持するための努力を重ねなければならない。



「それと……まぁ、無理する必要はねえけどよ」

「……うん?」

「母親のことも、改善する努力はしろよ」

「…………良いじゃん、あの人のことなんて」

「良いこたねえよ。今は嫌いな、苦手な相手かもしれねえけど……お前の母親は、その人しか居ねえだろ。家族は家族や。自分の意思で作ろうと、そうでなかろうと、な」

「…………あんま期待すんなよな」

「俺も手伝うから。みんなで協力する」

「…………なら、ちょっとだけ頑張る」

「ん。えらい」

「こっ、子ども扱いすんなし……ッ!」


 今一つ納得いっていない様子ではあったが、優しく頭を撫でると目を細め反論の意思も無くしてしまったらしい。



 こんなこと、本当は言える義理じゃないんだけどな。本物の家族を蔑ろにしているのは、俺も一緒だ。


 少なくとも知らぬ間に、勝手に形成されるほど、曖昧で優しいだけの存在では無い。家族というモノは。俺もいつかは解決しなければならない。


 まだまだ問題は山積みだ。

 それでも、前だけは向き続けなければ。 



「……じゃあさ。フットサル部では、あたしがママ役でもいい?」

「ええけど、茨の道やぞ。たぶん」

「自分で言うんだ。そーゆーこと」

「しゃーないやろ。もう知らんふりは出来ん」

「……ハルの癖に、カッコいいこと言うじゃん」

「これくらいの成長は許せ」

「うん、分かった。じゃあ、許すっ」


 なんの躊躇いも無く交わされた軽い口づけは、きっと、初めてのそれとはまったく意味合いの違うもの。互いにそれがしっかり分かっていたから、抵抗する必要も無かった。


 第三者から見れば、歪な関係にしか見えないのだろう。まともな答えも提示せず、ただ彼女の愛情を享受するだけ。流されているだけの意志薄弱な人間だと、俺は笑われるに違いない。


 構うことは無いのだ。俺は俺なりに、彼女に。彼女たちに、自分が受けて来た以上の愛情を返したいし、返さなければならない。


 その最善がこの形だと。

 今は本気で思っているから。



 いいじゃないか。家族ごっこでも。

 傷の舐め合いでも。おんぶ抱っこでも。


 心から大切に思う存在を、自分なりのやり方で、大切にしていく。それでまた間違えてしまったなら、もう一度やり直せばいい。一度や二度の失敗で壊れるほど、俺たちの絆は脆くない。


 今までと何も変わりはしない。

 このままどうなるか、様子を見るだけだ。



 そこに愛があるなら。

 愛があると、信じ抜くことが出来るのなら。


 俺たちは、何度だって間違えられる。

 間違える勇気を持つことが出来る。



「……ハルのことも、ちゃんと教えて?」

「……俺のこと?」

「いや、ちょっと思ったん。あたしもあたしで、ハルのこと全然知らないんだよなぁって…………ハルの好きなもの、嫌いなもの、得意なこと、苦手なこと……全部素っ飛ばしてあたしたち、友達になっちゃったじゃん。だから、そーゆーところからだよなって」


 言われてみれば、俺も自分のことを誰かに話したりしないよな。どちらかといえば、話す理由が無い、話す価値も無いなんて思っていたけれど。


 今は反対だ。

 隠す理由もなくなってしまった。

 それどころか、聞いて欲しいとまで思う。



「これから幾らでも教えてやるよ。全部な」

「うんっ。あたしも、いっぱい教えるねっ」

「んっ。楽しみにしとるわ」

「んふふっ…………あーっ、やっぱ好きだわぁー……! なんでこんなタイプじゃない顔なのに、こんなカッコよく見えるんだろ……?」

「オイ待て。タイプではねえのかよ」

「うん。もっと濃い顔がタイプ。パパみたいな」

「結局ファザコンかい」

「まだまだパパンには敵わねえってわけよ!」


 ニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべ、軽口を飛ばす。すっかりいつもの瑞希に戻ったみたいだ。



 そう。本物の、俺が知らない瑞希に。

 だからこそ、こんなに嬉しいんだよ。 



「でも、パパとは違うから。それが好きなん」

「…………ずっるいわ、お前。ホンマに」

「にゃふふふふっ! はいっ、あたしの勝ちっ!」


 控えめに言って本気でウザイ。

 けれど、それを咎められない自分もいる。


 こんなに可愛くて愛おしいお前だから。

 つい甘えたくなっちまうんだよな。



「ところでハル。帰りどうすんの?」

「えっ? ……………………あっ」



 気付かぬ間に日付が変わっていた。

 12時を回った時計の針を前に、言葉を失う。



「…………泊まる?」

「すまん。本意でないことだけ理解してくれ」

「うん。いいよ。延長戦だねっ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る