315. 優しくすんじゃねーよ


「あー、つっかれた……ッ」


 前例の無い異様な空気に包まれたフットサル部の練習は、ミニゲームの勝敗を決定付ける愛莉のネットをブチ破らんとばかりの痛烈な一撃と共に、待望の下校を促すチャイムを持って締め括りとなる。


 三人は比奈を取り囲んでさっさと撤収してしまった。なんでも昨日の出来事について更に追求するつもりらしい。



 早々にノノに捕まってしまい、昨晩の事情を観覧車以降の出来事を抜きにして、ほとんど暴露する形となってしまった。


 比奈の言う「元カレ」とは読んで字の如く「今日だけは恋人役になってね」という意味で、それ以上でも以下でもない。というそれらしい言い訳で全員納得してくれたようだが。


 結託するまでもなく口裏を合わせる彼女のにこやかな装いを横目に眺めていると、なんだか妙に寒気がするというか。少なくとも気温のせいでないことは確かだろう。


 

 そんなこんなで、今日の練習は終始居心地の悪い微妙な空気が流れていた。と言っても、比奈は比奈で何も変わらないし、変化があったとすれば俺に対する皆の刺々しい態度だけなんだけれども。



 事の流れが増してしまったのは、瑞希がついぞ連絡無しに練習を欠席したところも大きい。何度かメッセージを送ったが、未だに返信が帰って来ない。


 瑞希さえいれば、適当な物言いのおかげで場の空気も多少は和やかになっただろうに。なんでこんな時に限って無断でサボるんだ。説教してやる。



(にしても珍しいな……)


 荷物を纏めバスの停留所へ向かう最中、念のためともう一度チャットアプリを開いてみる。が、相変わらず既読のマークは付いていなかった。


 文化祭の準備期間に委員会の仕事で欠席していた頃ならまだしも、暇な時間のほとんどをフットサル部で過ごし、隙あらば授業をサボって談話スペースで怠けている彼女の行動とは思えない。


 まさか瑞希の癖に体調不良なのか、とも思って峯岸にも確認してみたのだが、授業には普通に出ていたらしい。つまり意図的に練習にも出ず、俺からの連絡をスルーしているということになる。



「あっ」


 と、ここでようやく既読が付いた。

 最初に送った文面からもう半日は経っている。



『まだ学校いんの?』

『バス待ってる』

『分かった』


 これも彼女にしては珍しい、スタンプも何も使わない素っ気ない対応だった。普段なら「おはよう」打つだけで有料のよう分からん絵文字使って来るからなアイツ。


 他の面々にも似たような対応を取っているのか。それとも俺に限った話なのかと頭を捻っていると、瑞希が姿を現した。

 特にマスクを着けていたりとか、体調的に問題があるようには見受けられない。



「よう。どうしてん今日」

「んっ。いやまぁ、ちょっとね」

「休むなら連絡くらい寄越せよ。心配すんだろ」

「あー。ごめんごめん、長瀬には送ったんだけどさ……ていうか、普通に練習あったんだね」

「普通にもなんも、活動日やろ今日」

「それはそーなんだけどさ」


 となると、返信してないのは俺だけか。

 なら、グループチャットで言えば良いものを。



「……なんか気に障ることでも言ったか?」

「へっ? 誰が?」

「俺が」

「誰に?」

「お前に」

「……いや、別にそーゆーのじゃないけどッ」


 会話の導入としてはなんてことないあり触れたものだが。口にした途端、瑞希はそりゃもう分かりやすく、露骨に目を泳がせるのであった。明後日の方を向いて、気紛れに頬を引っ掻く。


 決まりだ、間違いない。

 今日一日、意図的に俺のこと避けてたな。


 なんの目的や理由があるのかは分からんが、無性に苛付いてしまう。その理由さえ自分でも分かっていない節はあるが。



「……てゆーか、あたしのこと待ってたの?」

「偶々やけどな。みんな比奈連れて先帰ったし」

「……ひーにゃん?」

「あー、いや、別にそれはええんやけど」

「じゃあ、もうみんな知ってるんだ。なら気ィつかわなくても良かったかな……ハルもあたしじゃなくてひーにゃんと帰れば良かったんに」

「……はあ?」


 どうにも噛み合っていない。

 いつも通りかと言われればその通りだが。


 しかし、違和感は残る。その言葉は、まるで自分より優先すべき相手が居るだろと言わんばかりの内容だ。普段の瑞希からはまず出て来ないフレーズである。


 昨晩の出来事は練習に顔を出していた奴らにしか知れ渡っていない筈だが……まるで彼女も知っているかのような口ぶりである。誰かが話してしまった、というわけでもないだろう。



「…………え、なに、どういうこと?」

「気付いてないん? 昨日会ったの」

「昨日? 瑞希と? 学校でも顔合わせとらんやろ」

「いや、普通に。コスモパーク」

「……………………は? どこ居ってんお前」

「観覧車。夏休み終わってからバイトしてんの。短期だからもうすぐ辞めるけど。別に言い触らすようなことでもねーし、みんなにもなんも言ってないけどね」


 相変わらず視線を合わせてくれない瑞希は、少しぶっきらぼうというか、乱暴な物言いでそう呟いた。


 衝撃的な告白に、声も出ない。瑞希がバイトなんて出来るのか、とかそんなしょうもない理由でもなかった。



 確かに、そう言えばそうだ。

 観覧車に乗る前に案内されたスタッフ。


 思い返せば、あのときも瑞希に似ていると思ったんだ。ハロウィンの仮装かなんかで顔が上手いこと隠れていたから、当人とまでは断定できなかったが。


 言われてみれば、仮装とはいえ客に相手に顔が見えないほど深くフードを被るのも接客業としてどうかと思う。咄嗟に顔を隠した……ってことか。



「フツーにビビったし。なんか、めっちゃデートしてるし。ひーにゃんクソエロい格好してるし。ヤバイとこ見ちゃったなーって」

「いや、待て瑞希。アイツらにも話したけど、あれは別に変な目的じゃ……」

「分かってる。あれでしょ。ひーにゃん、意外とそーゆーとこ積極的だし、ハルも誘われた側なんでしょ。分かってる分かってる」

「……納得できねえって顔されながら言われても」

「んな顔してねーし」


 いやいや。めちゃくちゃ拗ねとるやんお前。

 だから今日練習来なかったのかよ。



「…………まー、あたしもさ。ハルと夏休みに二人で遊び行ってるし、別にそれは良いんだけどさ。似たようなことしてるし。それは、それは良いんだけどっ」

「……お、おう」

「ハル、めっちゃ楽しそうだったじゃん。あたしのときと、全然違うじゃん。すっごいフツーに笑ってるし、なんなん?」

「…………まさか、妬いてんのか?」

「ハァっ!? 馬鹿なんハルっ!?」


 全力で罵倒される。

 それに続く言葉も、だいたい予想は着いた。


 けれど、外れた。



「妬いてるに決まってんだろッ!」

「…………え、そっち?」

「分かってるって言ったけど、ジッサイどんな感じかなんて、あたしでも分かってんだからなっ! んだよホントにさぁ! 付き合ってんなら付き合ってるって、早く言えッつうの!」

「いや、だからそういうのじゃ……」

「嘘吐くなバカ、死ねっ! そうでもなきゃあんな雰囲気になってねーだろッ! あたしはっ、自分の目で見たんだからなっ! みんなは騙せても、あたしは違うかんなっ!!」


 怒っているのか、それとも俺を馬鹿にしているのか。今一つ分かり兼ねる、なんとも言い現し難い微妙なテンションだ。


 けれど、いつものような馬鹿騒ぎのソレとは違う類であることくらい、態度を見ていれば分かる。



「バカみたいじゃんっ! ひーにゃんはいいよ、いっつもあんな感じだし、なんとも思わないけどッ! 文化祭のときとか、あんなこと言って、あたしのこと馬鹿にしてたんだろッ! 一人で勝手に舞い上がってるとか思ってたんでしょッ!?」

「み、瑞希……っ!?」

「結局ハルも、と一緒じゃんっ! あたしのことなんてほったらかしで、勝手にどっか行っちゃうんだっ! あたしなんてどうでも良くて、勝手に……あたしの知らないとこで、勝手に……ッ!!」

「落ち着けって! ちゃんと話聞――――」

「なんで……なんでこうなんだよッ!!」



 荒ぶった叫びと共に、鞄を投げ付けられる。

 痛みは感じない。

 けれど、何か良くないものが響く。


 呼吸を乱し、ようやくこちらを向いてくれた彼女の頬は……涙でしっとりと濡れていた。薄いメイクが僅かに流れて、色の付いた水滴が滴り落ちる。


 どうにか留めていたものが、再び溢れ出してしまったかのように。一向に止まる気配を見せない。



「…………頼むから聞いてくれよ」

「やだ。絶対に聞かない。分かってるもん。ハルとひーにゃんが実際どんな関係とか、あたしには関係無い。あたしがそう思ったら、そうだってだけ」

「それじゃ俺が納得できねえよ」

「いいじゃん分からないままで」

「俺が知りたいっつってんだよ。なあ、瑞希」

「……………………優しくすんじゃねーよ」



 落ちていた鞄を乱暴に引き上げて、そのまま何も言わずにやって来たバスへと乗り込む。


 俺たち以外に生徒は見当たらない。運転手は呆然と立ち尽くす俺に「乗らないのか」とアイコンタクトを送って来たが。


 流れるような仕草で視線を逸らすと、やがてバスは彼女一人を乗せたまま発車して行った。それが自然な成り行きであるとでも言いたいように。



「…………瑞希……っ」



 彼女の怒りの理由がなんなのか、そのすべてまでを窺い知ることは出来ない。

 ただ一つ分かっていたのは、彼女は俺の所為で傷付き、深い悲しみを追っている。それだけ。



 あんな彼女を、俺は見たことが無かった。


 お前なら、いつどんなときも。

 どんなことだって笑い飛ばしてくれると。

 そう思っていたのに。



 何かが動き、何かが始まり、何かを手に入れた。

 その代償に、俺は失ってしまったのだろうか。


 それが事実かどうかも分からない。

 答えすらも見えて来ない。



 瑞希、お前は――――――――


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る