265. 何よりも愛おしかった
「んん~~……疲れたぁ……」
チャイムと共に回収される試験用紙をボンヤリと眺めていた。
隣には身体を天井へグッと引き伸ばす比奈。一つ前に絶望の涙を流しながら机へ突っ伏す愛莉。
どこかで見たことのある光景だ。
だいたい夏休み前。
「自信あったんじゃなかったのかよ」
「あんなに難しいと思わなかったんだもぉん……」
「あははっ。ちょっと意地悪だったよねえ」
苦笑いで愛莉をあやす辺り、比奈にしてみれば大した問題でも無かったのだろう。峯岸の数学科の試験が決まって捻くれているのは今に始まった話でもない。
こんな調子じゃ愛莉はまだしも、瑞希は大丈夫なのだろうか。この時期の成績不良なら部活に影響が出ることも無いだろうが、留年されても困る。
ノノとキャラが被んだよ。
学年に二人もいらんわあんな奴。
「このあとどうしよっか。今日から練習?」
「構へんけど、コイツのフォローもしてやらんと」
「もう知らないしっ! 赤点ギリギリでもっ、進級さえ出来ればなんでもいいのよっ! 忘れたっ! 特に英語はっ!!」
三日間に及ぶ試験期間も今日で最後。
何かと入り用でバックアップもしてやれなかった前回と違い、馬鹿筆頭の愛莉や瑞希にもそれなりにフォローはしてやったつもりだが……恐らく点数や立ち位置的にはさほど変わらないと思われる。
なんというか、勉学に関してフットサル部の連中は意外とノータッチというか。
言われれば助けるくらいのことはするが基本的には自分で何とかしろという、割と冷たいところがある。
学力に差があり過ぎるのも理由の一つ。そもそもフットサルを除いて、共通事項が少なすぎるのだ俺たちは。改めて奇跡的なバランス感覚で集ったメンバーだと思う。
「でも愛莉ちゃん。もう三年も近いんだから。進学のことも考えなきゃだし、その場凌ぎばっかりじゃ後々大変だよ?」
「それは分かってるけど……そもそも大学行くかも分からないし」
「流石にこのご時世で高卒は不味いやろ」
「そうは言っても……別にやりたいこともないし」
教材を片付け帰り支度を進める最中。
少しやさぐれた態度でそんな風に言い放つ愛莉。
そう言えば、文化祭が終わってすぐ、進路希望調査書みたいなのを渡されたことを思い出した。提出期限は今週一杯だったか。
愛莉に触発されたわけでもあるまいが、似たようなことは考えている。
今でこそ束の間のモラトリアムを謳歌しているとはいえ、将来なにをやりたいとか、具体的な展望が無いのは俺も同じだった。
ただ何となく高校を卒業して、プロになるとばかり思っていたのだ。それが思いのほか現実的な未来だったから、あの頃は良かったのだけれど。
今となっては掴み損ねた架空の御伽話。
いい加減、真面目に考えないといけない時期か。
「比奈ちゃんは進路決まってるの?」
「わたし? そうだなぁ……大学は決めてないけど、看護学部のあるところがいいかなって。看護師さんちょっと憧れてるんだよねえ。絶対になりたいってほどでもないけど。資格さえ取っちゃえば色々と融通も利きそうだし」
「へぇーっ……なんか、それっぽいかも」
なんとなく絵が浮かぶようだ。老若男女問わず好かれそうだし、比奈には天職だろう。
「でも出来るならみんな一緒の大学がいいかな。今みたいに四年間、同じキャンパスに通って、ダラダラ過ごすのも楽しいんじゃないかなって」
「……私と瑞希には結構なチャレンジね」
「なら、もうちょっと勉強も頑張ってね?」
「身に染みるぅ……」
先の見えない未来に項垂れる愛莉であった。
しかし、そうか。大学か。
ホント、なんも決めてないんだよな。
高校生活も残り一年半。残された時間は長いようで、実は短い。それなら場所を変えてまたフットサル部の連中と過ごすってのも、中々悪くは無い。というか、そうであって欲しいと思う。
進路のことで悩むのも初めての経験だ。
高校はクラブと提携している私立に何も考えず入学したし、山嵜に編入する際もスポーツ実績と当時の成績がどうのこうので、一番条件が楽だったここを選んだというだけで。
ところが大学進学となると、その選択肢は無限にあるといっても過言ではない。近くにもそれなりに規模の大きい大学があるが、レベルは高くないんだよな。
五人揃ってとなると、やはり最低限、琴音が進学してもおかしくないレベルを目指さなければならないだろうし。そうなると案外難しいのかもしれない。
特に瑞希。
裏口入学を検討するまである。
「陽翔くんも特に決まってない感じ?」
「まぁ、比奈と似たようなもんや」
「ほんとっ? じゃあ一緒の大学受ける?」
「それもええな」
「陽翔くん英語ペラペラなんでしょ? 教師とか向いてるかもね」
喋れるからって向いているかと言われればまた別問題な気もするが。むしろ日本語の方が下手くそなんだから、そもそものコミュニケーションが取れんのだ。
「英語に限らんで。スペイン語もイケる」
「ハルトのこーゆーとこ嫌い」
「知るかんなもん」
ただ、参考にはしておくか。
役立つものは何でも使いたい。
「取りあえず、向こうに顔出すだけ出すか」
「三人とももう待ってるって」
一旦忘れよう。先の話は。
今に限れば、ここに六人揃っている。
それだけで、あまりに十分過ぎる。
* * * *
「進路ですか? 特に決めていませんが、ここから近いですし県内ではトップクラスなので、市大に行こうかと。学歴は高ければ高いに越したことありませんから」
「ノノはまだ全然考えてませんけど、せっかくならセンパイたちが行くとこに着いてこうかなーと。ぶっちゃけ大卒の肩書さえあればなんでもいいって感じですかねぇ~っ」
「んー? テキトーに生きてりゃなんとかなるっしょ。あれだよ、ハルが養ってくれればいいんだよ。くすみんか、ひーにゃんでもいいよ。お金困らなさそうだし」
最後の瑞希は論外として。
一足先に談話スペースで待っていた三人にも、今後の展望を聞いてみることにした。それぞれなんとなく考えていることはあるようだが、そこまで具体的な目標が決まっているわけではないようだ。
琴音の言う市大とは、山嵜高校のすぐ近くにある二つの大学のうち、頭のいい方として知られている難関校だ。
もう一つは、Fランとまでは行かないまでもあまり評判のよろしくない中堅校。ただ、比奈の志望している看護学部はそっちにしか無いんだそうで。
「みんなどっちかに進学したら、この辺りですぐに会えるかもね」
「瑞希だけその辺で働いてたりしてな」
「なにをぉッ!? 今ドキ名前だけ書いときゃ行ける大学なん沢山あんだからなッ! 舐めんなよッ!」
なんのフォローにもなっていない。
今回の試験も無事爆死したようで。不安だわ。
集まればすぐにでも練習するかと思ったのだが、何だかんだ疲れも溜まっているのか、ソファーにだらしなくもたれて時間を浪費する六人であった。
試験が終わったばかりとはいえ良くない傾向のような気はする。仮にも俺たちだってサッカー部に違わず全国を目指しているのだから。やることはやらないと。
が、そうは言いつつも身体が動かないのは俺も同じ。座り心地良過ぎんねんこのソファー。私立校ってすげえ。
「……なに撮ってんのよ、盗撮すんなっ」
「隠れてねえんだから盗撮じゃねえよ」
「小遣い稼ぎですかーっ?」
「そこまで性格悪ないわ」
「写真でお金を稼げるのですか?」
「長瀬みたいな奴は特に高く売れるんだよ」
「瑞希ちゃん、変なこと吹き込まないのっ」
何の気なしに取り出したスマホで、ポヤッとした表情の愛莉を写真に収める。本当に、それらしい理由は一つも無いのだ。ただなんとなく、隙だらけだったからという。
文化祭が終わった辺りから、こんな光景が増えていた。スマホのアルバムが彼女たちでどんどん埋まっていく。
どんな出で立ちをしていても絵になってしまう彼女たちが悪いのだと、半ば無理やり納得させていた。
或いは、卒業アルバムにでも載せる材料として集めているとか。まぁ理由はなんでも良いのだ。
あの日、比奈に教えてもらった写真家の名言を肯定するつもりはない。美しい瞬間を目に見える形で切り取っておきたいという、純粋たるエゴでしか無いのだから。
「あたしも動画撮ろっ。市川なんか踊って」
「ううぇぇっ!? ムチャ振り過ぎませんっ!?」
「アァン!? 先輩の言うこと聞けねえのか!」
「じゃあっ、琴音センパイも一緒でっ!」
「え。嫌です」
「わぁーっ♪ わたしも見たーい♪」
「ちょっ、比奈っ! やめてくださいって!」
無理やり立たされる二人。
同時に比奈がスマホから音楽を流し始める。
「ストップストップっ! ノノこの曲分かんないですって! 普通に面白くなっちゃいますっ!」
「それはそれでええんかお前」
「くすみんも真似して踊ってっ! ほらっ!」
「えっ、えぇーっ……?」
軽快なポップミュージックとは似ても似つかない、阿波踊りのような老獪な動きを見せるノノであった。釣られて琴音もぎこちなく身体を動かすのだが、あまりにも滑稽で仕方ない。
ゲラゲラと笑いながら動画を撮る瑞希とそう大差無く、俺と愛莉も腹を抱えている。あまりに無意味でしょうもないこんな時間が、何よりも愛おしかった。
「あー、おっかしい…………あれ、電話だ」
「アイツか」
「ううんっ、知らない番号。誰かしら」
ポケットで鳴り響いていたスマホに気付いた愛莉が着信を取る。
どうやら差出人は例の弟ではないらしい。日頃連絡を取り合う間柄も早々居ないだろうに、セールスの類いか何かだろうか。
「はい、もしもっ…………え? あ、はい……そ、そうです、姉の長瀬愛莉ですけど…………は、はい……はい…………えっ!? まっ、真琴がッ!?」
館内に響き渡るほどの大きな声。いったい何事かと、笑いこけていた残る面々も愛莉を注視する。
「わっ、分かりましたっ! すぐに行きますっ!」
「……………………なんや、どうしたん」
「…………真琴の中学から…………っ」
「はぁ? なんで?」
震える右手から、今にもスマホを落としてしまいそうな愛莉。その口から放たれた言葉は、あまりにも唐突で、予想だにしないものであった。
「真琴がクラスの子と喧嘩になって、怪我させたって……っ!」
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