190. なにが綺麗かなんて


 やや駆け足気味の彼女に手を引かれ、やって来たのは。海浜公園から10分ほど歩いたところにある、みなと島シーワールドの最寄り駅。数週間前に瑞希と並んで歩いた、駅と島とを結ぶ大橋を渡り、園内に足を踏み入れる。


 人の影がほとんど見受けられなかったあのときとは違い、同じように浴衣を纏った若者が整備もあやふやな坂道を登っていく。


 辿り着いた先に広がる光景は、俺たち二人だけでは無いということを除き、あのときとさほど変わらない。色とりどりの花畑に囲まれる草原と、中央に鎮座する背丈の高い鐘。



「そろそろっ、始まりますよっ!」


 そんな言葉に釣られて空を見上げると。

 間もなく、大きな花火が宙に浮かび上がった。


 夜空に咲き乱れる大輪の花に、広場に集まった観衆からは歓声の声が広がる。次の瞬間には、遅れて大きな破裂音が響いて、そんな声も掻き消されてしまう。



「わぁ……! すごいっ、ハッキリ見えますねっ!」

「……だな」


 そう言えば、瑞希と来たときにもそんなことを話していた気がする。標高が高くて、尚且つ人が集まりにくい。花火を見るには絶好の穴場スポットであると。


 確かに、遮るものも無いし人の数もそれほど多くは無い。少なくとも、地上で人混みに揉まれながら空を眺めるより。風が吹いて来たこの夜に、砂浜でブルーシートを敷くよりもずっと良い。


 まさか、またここに来るとは思わなかったけど。

 それも、相手が有希だなんて。



「この場所も、エリちゃんに教えて貰ったんです」

「へぇー……なら、感謝しないとな」

「えへへっ……そうですね……っ」


 無論、俺がこの場に訪れるのが二回目だということを、彼女が知る由もない。それをわざわざ伝えるほど、空気が読めない俺では無いが。


 ただ、瑞希には少しだけ、悪いことをしたような気でもあった。別に、二人だけの秘密の場所なんて大したものじゃないけれど。瑞希は、俺が今ここに居ることをきっと知らないだろうし。 


 かといって、有希を責めるわけでもない。

 そして恐らく。俺に非があるわけでもない。


 それでもなんとなく。なんとなくではあるんだけれど。やっぱりこの光景をフットサル部の連中とも、見てみたかったな。なんて、柄でもなく思ってしまって。



 誰も悪くない。分かっている。

 なのに、この寂しさは、どうして。


 やっぱり、花火の良さは良く分からない。

 図らずもこんな気分になってしまえば、尚更。



「見てくださいっ! 廣瀬さんのと一緒ですよっ!」

「あぁ、ホンマや。キ○ィどこにでも顔出すな」

「いろんなところでコラボしてますからねえ」


 様々なキャラクターの顔を模した色鮮やかな花火が上がっている。花火の音よりも、周りの若者が撮る写真の音の方が気になって、いまいち集中できない。


 耳に飛び込んで来る話を聞く限り、花火を綺麗に写真へ収めるのは、結構難しいそうだ。まぁ、理想的な形はほんの一瞬で終わってしまうし、技術も必要だろう。



 それもそうだろ、とは思った。


 花火が花火たる瞬間は、全ての弾薬が完璧に散らばった、あの一瞬だけなのだから。それまでは、ただ火花が宙に上がっていくだけで、咲いたら咲いたで、後は地面に落ちていくだけ。


 美しいモノが本当に美しくいられる時間は、あまりに短い。どんなに綺麗に咲く花も、おおよその時間は不完全なまま一生を過ごし、僅かな輝きを持って、あっという間に枯れてしまう。


 人間だって、きっと同じようなものだ。下手すりゃ綺麗に咲かないまま、枯れてしまうことだって。



 みんな、終わったらすぐ忘れてしまうんだろう。


 何も無かったみたいに、家に帰って、眠って。起きて。ほんの少しの思い出話と共に、記憶の片隅に追いやられる。


 一年に一回、たったあれだけのために、花火職人がどれだけの労をつぎ込んでいるかなんて、俺には分からないけれど。


 終わった後に残るのが、達成感だったらまだ良い方だ。それとも大きな穴が空いたまま。過ぎ去った輝きを一向に忘れられないまま、生きていくのだろうか。



「やっぱり、違いますねっ」

「…………えっ」

「廣瀬さん、こうやって近くで花火観るのも初めてなんですよね? なら、分かり辛いかもしれないですけれど……同じように見えても、毎年咲き方のバリエーションとか、色々違うんですよっ?」

「……そう、なんだ」

「はいっ。それにっ、去年お友達のみんなと見た景色とは…………なんだか、全然違う気がしますっ。廣瀬さんと一緒だからっ、きっと、そう見えるのかなって……」


 我ながらクサイ台詞だとでも言い終わった後に思ったのか、恥ずかしそうに耳まで赤く染めながら、再び空へと視線を戻す有希。


 そりゃあ、毎年同じじゃ客も飽きるだろうし。主催者側も色々と趣向を凝らしているんだろうけど。



「…………わたしっ、パーって咲くところもよりも、火花がサーって落ちていくところの方が、好きかもしれないです」

「……なんでまた」

「理由は分からないですっ。強いて挙げるならっ」

「それが理由、ってか」

「そーいうことですっ」


 そうか。同じ花火を見ていても、何が良くて、どこに惹かれるかは、ソイツ次第なんだな。そう考えれば、もう少し興味も持てるかもしれない。なんて。



(……なにが綺麗かなんて、分かんねえよな)



 もしかしたら、とんだ思い違いをしていたかも。


 みんな、同じような景色を見上げているようで、実は全然違うところを見ていたり。全く違うことを考えていたり。美しさの捉え方は、それぞれで違っていて。


 きっと、花火だって同じことを考えている。綺麗に咲いた瞬間より、宙に向かって飛び上がっていく瞬間の方が、ずっとワクワクして楽しいなんて思っているのかも。


 少なくとも、有希はそうだと言った。

 なら、それはそれで、悪くないのか。



 もう、とっくの昔に咲いて、このまま枯れていく一方なのかと思っていたけれど。そんなことない、これから何度も、何度も綺麗に咲くことが出来る。仮に一度枯れていたって、終わりじゃない。


 むしろ、あの頃は七部咲きくらいで、満開なのは今なのかもしれない。だとしたら、こうして眺めている景色は。


 やっぱり、似ている。

 俺だけじゃない。誰だってそうだ。


 そんな風に考えられるようになったのは。やっぱり、俺だけのせいじゃなくて。有希もそうだし、きっと、アイツらのおかげなんだろうな。



「わっ、見てくださいっ。漢字になってますよっ」

「……分からん。読めねえわ」

「そういえば、眼鏡、してませんよね」

「文字読むときだけや、あれは」

「……眼鏡掛けてる廣瀬さんも、カッコいいですよ?」

「そりゃどうも」

「あぁっ、そうやって適当にっ!」


 悪い悪い、と右手をポンと彼女の頭の上に置くと、身体をビクンと跳ねさせて、あっさり黙りこくってしまう。お前のペースにゃさせんよ。大人しくしとけ。


 あれは、なんだろう。大、の字かな。

 いや、そんなに単純な字にするかな。



 言われてみれば、花火って人間が身体を大の字にするのと似たような見た目だよな。全身を使って、グッと、こう、伸ばしているというか。


 なるほどね。どれだけ職人が手を詰め込んだところで、最後に咲き開くには自分自身の力でってわけか。上手いこと出来てんな。



 これまでよりひと際大きな一発が打ち上がり、周囲からは再び歓声が。やがて、夜空に漂う煙が雲と一緒に水平線へと流れて行った。


 もうおしまいか。案外、早いもんだな。



「終わっちゃいましたね」

「どんくらいやってた?」

「30分以上は経ってますよ?」


 いつの間にそんな長い時間経過していたんだ。思っていたより、飽きずに眺めていたようだ。これは食わず嫌いだったかも分からないな。花火、意外と好きかもしれん。



「……もう、行くか?」

「あっ、いえ、その…………少し、ゆっくりしませんか……っ?」

「なら、ベンチでも座るか」


 瑞希と来たときにも座っていたところだ。他の見物客は、花火が終わった後すぐ傍の鐘を鳴らしていたり、記念撮影などをしていたが、やがて広場から姿を消していく。


 5分と経たず、広場は俺と有希の二人だけに。

 いきなり静かになってしまった。



「……お母さん、あと30分で駅に着くそうです」

「そっか。まぁ、中学生ならそんなもんか」

「……子ども扱いしないでくださいよっ」

「あぁ、ごめんて」


 スマートフォンを両手で握り締めた彼女は、どこか落ち着かない様子で画面と地面を交互に見つめている。


 理由は定かでは無いが、息遣いもどこか荒く、あらゆる所作が嫌に慌ただしい。



「……どした、有希。疲れたか」

「いっ、いえ、そういうわけではっ……」

「水でも買うか。降りた先にすぐ自販機が……」

「あのっっ!! 廣瀬さんっ!!」



 いきなり立ち上がって、俺の前までやって来て。屋台で見掛けたりんご飴より真赤に顔を染め上げて、こちらへ振り向く有希。


 まるで、この瞬間を待ち焦がれていたとでも言うような。けれども、なるだけ遠ざけておきたかったと、矛盾した二言を全身で伝えるようだった。




「…………お話がっ、ありますっ……っ!」


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