176. 好きになっちゃいそうです♪
「さっきのロングパス、凄かったですねっ!」
「……あん、そりゃどうも」
「やっぱり、隠してましたねっ」
後半開始のホイッスルを待ち望む最中、対面に立つ市川ノノが声を掛けて来る。まだまだお喋りが足りない様子だ。太陽の光が反射し、髪色はなお一層輝きを放っている。
「やはりノノの目に狂いはありませんでしたっ。ほとんどノーモーションからあの鋭いボールっ! 何故サッカー部に入らなかったのか不思議でなりませんっ!」
「……まあ、色々とな」
「その色々とを聞きたいのですがっ、まぁ良いでしょう!」
キラキラと目を輝かせ、一人満足そうにウンウンと頷く市川ノノ。
どうやら、俺がそれなりの経歴を持った人間であることは知らないようだ。まぁ名字はまだ名乗っていないし、当然か。そもそも顔を見ただけで思い出した当時の峯岸がおかしいのである。
様子を窺うに、どうやら前半ラストのプレーは、彼女にとってさほど大きな問題では無いのだろう。
口ではこう言うが、本当に感心しているのならわざわざこうして褒め称えるような真似はしないに決まっている。
あくまでも、余裕はある。
むしろ、強みを一つ晒してくれてありがとうと。
そう言わんばかりのお気楽な口ぶりだ。
「後半はサイドなんですねっ。助かっちゃいます」
「……あ?」
「あの小さなセンパイがフィクソなんですよねっ? そりゃ有難いですよっ。だってあのセンパイ、どう見ても一番下手くそですからっ」
後方に立ち構える比奈にも聞こえそうなほどのボリュームで、さも当たり前のことであると宣言するかのように声を弾ませる。
カチンと来た。いや、怒った。
挑発に過ぎないことは分かっている。
でも、黙っていられるほど、お利口じゃない。
「馬鹿も休み休み言え。お前より上手えわ比奈は」
「むっふっふ♪ まぁすぐに分かることですよっ」
「安心せえ。お前が入っても、ええとこ記録員や」
「それは困りますねえ。試合が成立しませんっ」
口が減らない後輩だ。
勝たなきゃいけない理由がドンドン増えてくわ。
「怒った顔もカッコイイですねっ、好きになっちゃいそうです♪」
「俺はお前の泣き顔が見てみてえけどな」
「むっふっふ! 負けませんよっ、センパイっ♪」
「掛かってこいや、後輩」
そして、ホイッスルが鳴り響く。
* * * *
「ハマり出したな」
「はいっ。なんだか前半よりいい感じですっ!」
顔を見合わせることも無く、同時に小さく頷く有希と峯岸。後半開始から1分と経たず、前半と打って変わって、試合は丸きり異なる展開を見せていた。
両サイドに重心を置く瑞希と陽翔が、リスクを垣間見ずドリブルで一気に仕掛ける。多少の引っ掛かりがあっても、お互い巧みにフォローし合いボールを渡さない。
既に一本ずつシュートを放っている。
ゴールこそ生まれないが、時間の問題だろう。
「やっぱり、どんどんドリブルして行っているのが良いんですかっ? 前半より、相手の選手たちが慌てているような気がしますっ」
「そりゃそうさ。テンポが違うからな」
「テンポ、ですかっ?」
ゴレイロの琴音を除き、フィールドの最後尾でパスを受ける比奈を見つめながら、峯岸はスタートダッシュの要因を語り出す。
「前半の廣瀬を起点としたポゼッションは、少ないタッチでボールが動いていく半面、常に一定のペースでパスが回っていた……どれだけ流動的に回しても、常に同じペースじゃ相手も慣れて来る」
「対する倉畑は、トラップからボールを出すまで少し時間が掛かるけど……それが結果的に、Herenciaのプレスを惑わせている。遅いは遅いが、下手じゃあないからな。意図せずとも守備の重心がブレてるんだよ。だから、廣瀬と金澤のボールを呼び込む動きに一歩遅れている」
「それに、廣瀬の変化を付ける動きも、一歩……いや、三歩は抜けてるね。わざと余計にボールを持ってマークを引き付けたり、簡単に手放したり……相手の13番なんて、全く着いて行けていない。ここまでの試合、ずっと配給役だったからな、廣瀬も。この動きは相手も予想してなかっただろ」
相手陣地、中央からやや右寄りで比奈からの縦パスを受けた陽翔が、斜めにドリブル。
相手を十分に引き付けたところで、ボールを置き去りにするような左脚踵でのヒールパス。場外がどよめきに包まれる。
どうにか反応した瑞希。そのままダイレクトでシュートを放つが、ゴレイロの右手によって防がれる。ラインを割り、コーナーキックが与えられた。
「ああっ! 惜しいっ!」
「いつの間にパスをっ……背中に目でも付いてんのか?」
感心しているというよりは呆れた様子の峯岸が、そのままコーナーに歩み寄る陽翔を苦笑いで見つめる。どうやらサッカー部戦で負った怪我も、まったく問題無いようだ。
(相変わらず次元が違うな、廣瀬)
峯岸が考えるに、陽翔のプレーヤーとしての魅力は他の追随を許さない、圧倒的な視野の広さにある。
一切のブレが無い、ミリ単位の正確なボールタッチ。一瞬で相手を置き去りにするクイックネスは勿論のこと、360度全てを掌握しているかのようにすら思わされる、自由自在な身のこなし。
予知能力でも持っているのかと市川ノノを褒め称えた峯岸であったが、彼が見せるものはまさに、天賦の才としか言いようのない圧倒的なバランス感覚。
ボディコンタクトもまるで意味を持たない。
ボールを奪おうとした次の瞬間。
彼はもう、そこに居ないのだ。
ほとんどの時期を上の世代のチームで過ごしながら、常に優れた活躍を見せて来た理由は、このような彼特有の回避能力によるところにある。
エアポケットを埋めるように現れ、決定的な事をこなす。そんな彼を、誰も捕まえられない。故に次元が違うのである。
(ただ、懸念があるとすれば……)
本気でゴールを狙い始めた陽翔のプレーぶりは、明らかにコート上で異質な存在となっていた。Herenciaの強固な守備網も、彼を捉え切ることが出来ていない。
だが、それはフットサル部とて変わらない。
彼のスピードに、誰も追い付けていないのだ。
先ほど瑞希が放ったシュートに至るまでの、一連のコンビネーションにしても。明確な意思を持って行われたというよりは、たまたま近くにいた瑞希が「辛うじて」反応して、シュートを撃った。とも言えなくもない。
思い返せば、彼にしてはらしくないプレーだと、峯岸も一人思考を張り巡らせていた。サッカーと違いゴールまでの距離が極端に短い以上、一人でシュートまでやり切るのにリスクがあるのは致し方ない。
しかし、それにしたって反応できるか分からないパスを、あの局面で彼が出すだろうか?
(ここまで考慮した上での前半、ってことか……?)
だとすれば、良くない傾向かもしれない。彼がリスクを負ったことで、どのような展開になるのか。陽翔自身、勿論分かっていて。
分かっていての、このポジションチェンジなら。
当人はともかく、チームとしては。
「……ここで決め切らないとな……ッ」
「ここで……ですかっ?」
「あぁ……多分、アイツも分かってるだろ」
彼が何故、リスクを負い前に出ているのか。
それがただ単に、ゴールに近づくための最善策ではなく。試合をどうにか有利に運ぼうと、早めに手を打ったのだとしたら。
センターサークル付近で、肩をし切りに揺らしながら汗を拭き取る背番号2番。誰よりもコートを走り抜き、チームの歯車として躍動してきた彼女。
そんな彼女を、大鷲のような鋭い瞳で捉える背番号8番。試合がついに動き出そうとしていた。
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