81. アァーン!?


「愛莉」


 職員室の扉を開け出て来た背の高い女子生徒が、行き場も無く立ち尽くしていた。無論、彼女であることに疑いは無いのだが。どうしたものか、やたらと小さく見えるその姿にどこか懐かしさも。



「あっ……ハルト」

「峯岸は見つかったか」

「ううん。さっきまで居たけど、ちょうど帰っちゃったって」

「……そうか」

「……なに? どうかしたの?」


 話題を変えようとでもしているのか。

 無理やりに口角を吊り上げ、不自然な笑みを浮かべた。


 似合わないことをするもんじゃない。

 分かりやすく落ち込みやがって。



「一応、気ィ遣ってきたつもりやけど。その態度は露骨過ぎやろ」

「あははっ……やっぱ、分かる?」

「……金、無いのか」

「ご名答っ……どんなに安くても、お金使うことに変わりはないから、さ」


 今度はよっぽど優れない様子だが、今さっきの作り笑いよりかはだいぶ綺麗なものだ。



 思い返せば、この長瀬愛莉という女。

 いつも金に困っている。それも、かなりの頻度で。


 コート代を俺が立て替えたこともあったし、クレープだ、ゲームだという流れに一人だけ着いていけないときもあった。アルバイトをしているのも、知る限りでは彼女だけだ。


 しかし、その実態を全て知るわけでもない以上、迂闊なことは言えない。なんというか、彼女の醸し出すそれは女子校生の言うあり触れた「お小遣いが少なくて」というどころの話ではないというか、そんな気がしていた。 



「……とりあえず、居ねえなら練習戻ろうぜ」

「……うんっ」


 肩を並べて廊下を歩く。

 喧しい蝉の鳴き声ばかり聞こえてくる。


 調子狂うんだよな。ホントに。

 もっといつも通り、可愛い顔しろよ。



「どれくらいやってん。バイト」

「あそこのコンビニは週3で……高校入ってから近所のファミレスで働いていたんだけどね。最近、シフト削られるようになっちゃって。そこ辞めて、一本にしようかなって」

「ガッツリやな」

「うん。練習無いときは、だいたい」


 口ぶりから察するに、土日もしっかり働いているようだ。


 休日までバイトに明け暮れる高校生なんぞ珍しくもないが。だが、さして学生生活に縁が無い俺だって分かる。小遣い稼ぎで早坂家に出向いていた自分とは、事情がまるで違う。



「その、嫌なら答えなくてもいいけど」

「うん」

「それで、月どれくらいになるんだ?」

「……10万は行かないくらい、かな」

「……それでも、足りないのか」

「私のために沢山使ってくれたから……その分は、ね」


 彼女が中学まで通っていたという、女子サッカーの名門。常盤森学園。極めて整った設備を持つ有名私立であり、いくらその一員だったとはいえ、家計に掛かる負担は決して無視できない金額だろう。


 実を言えば、似たような境遇は俺も経験している。プロクラブの傘下とはいえ、全てが支給されるわけではない。遠征費はクラブ持ちだが、道具は自分で用意するし、交通費も馬鹿にならない。


 幸いなことに俺は、同世代のなかでは頭一つ抜けた存在であったため多少優遇されている部分もあり、そこまで両親へ負担を掛けず済んだが。



「元々、ちょっと貧乏なだけっ! 散々我が儘言ってきたんだから、流石にもう甘えてられないしっ! だから、ハルトが気にすることじゃないからっ!」


 だから、空元気でそんなことを言われても。


「安い民宿なら、交通費合わせて2.5万ってとこかしら。まぁー、なんとかなるっ!」

「……別にええで。貸すくらい、ワケなっ」

「それは、だめっ!!」


 先ほどまでとは違う、張り詰めたような叫びに思わず足を止める。愛莉はすぐさま、やってしまったと口を小さく開いて、慌ただしく続ける。



「……ホントにっ、大丈夫だから! ごめんこんな話して。早く練習戻ろっ!」

「いや、言い出したの俺だけど」

「ほら、行くよッ!」


こちらに振り向きもせず駆け出した彼女を、俺はただ見つめることしか出来なかった。



 清々しい快晴に恵まれ、フットサル部の練習は実に捗った。


 先日の試合では人数の都合上、ゴレイロだった琴音も足元の練習に混ざる。既に比奈とも遜色ないレベルだ。頭が良い奴は何をしても習得が早い。


 ようやく全力で走れるようになった俺も、ミニゲームで快活に動き回る。左足を使うことも、今となっては怖くもなんともない。


 瑞希が華麗なドリブルから簡単にゴールを奪ったかと思えば、比奈の美しいフォームから繰り出されるシュートがネットを揺らし、みんなして沸き上がったり。


 琴音はまだまだ拙い動きだが、シュートが枠に飛ぶようになり、終わり頃には顔が少しニヤけていた。主に、比奈に褒められたのがその要因だろうが。



 さて、問題の彼女。


 動きそのものは相変わらずだが、表情はやはり、どこか浮かない。たまに大きな声を出して、いつも通り、平然を装ってはいたが。休憩中、誰かから「合宿」というフレーズが出るたびに、彼女は俯く。最後までその輪に入ろうとはしなかった。


 5時半のチャイムは、練習終了と下校を促す数少ない合図である。夕陽に照らされ、汗の色が似合わない美少女たちがコートから引き上げる姿は絵画にしても出来すぎだが、やはり不意に感じてしまう、歪な笑み。

 


「お腹すいたーっ。ごはん食べ行こうぜー」

「駅前のデパートにある中華屋さんって、そろそろオープンだったよね?」

「おっ、比奈ちゃん分かってるぅ! ちょーどあたしも気になっていたのさ!」

「比奈が行くなら、私も」

「たりめーだろっ! あぁ~くすみんいいな~っ! かわいい! 抱き締めたいっ!」

「むぐっ……も、もう抱き締めているのではっ、あのっ、ん、かふっ」


 息苦しそうな琴音はいざ知らず、瑞希は馬鹿にご機嫌であった。

 抱き枕にしたら丁度良さそうだ。

 羨ましいとか思ってない。思ってねーし。



「愛莉ちゃんはっ……あ、そっか。今日の曜日って確か」

「あっ、うんっ……バイトだから、ごめんね」

「よう働くねぇ。マジ接客とかぜってーできねーわ」

「そうですね。瑞希さんが働く姿はまったく想像がつきません」

「え、ひどっ」

「離してくれたら、撤回しても良いです」

「おっ。じゃあそれでいーや」

「むぐっ」


 一向に抜け出せない琴音は非常に可愛いとして。


 ご飯の誘いも気軽に乗れない愛莉は、その様子を苦笑いで見渡している。本当は行きたいのに、という思いがダダ漏れで、浮かばれない。



「ハルぅー、原付乗せてー」

「は? 免許は?」

「ちょっ、二人乗りに決まってんだろ! 後ろ乗せろって言ってんの!」

「え、やだよ。坂道は無理だって。つうか法律違反だから、それ」

「アァーン!? 女の子背中に乗せて走るのがライダーの夢ってもんだろッ!」

「お前が乗っても女だと認識できねーよ」

「もっぺん言ってみろテメェオラァァ゛ァァッッ!!!!」


 無いものは無いのだ。

 悔しかったらよく寝て牛乳を飲め。



「悪い、ちょっと用事あるから、今日はパス」

「じゃあ、また今度だね。ほら瑞希ちゃん、泣いちゃダメだよ」

「比奈ちゃぁ~ん! ハルが虐めるよォォ~~!」

「よしよーし。女の子の価値はおっぱいだけじゃないもんね~」

「えへへ~~っ! 比奈ちゃんもあったか~…………うん?」

「どしたの?」

「…………意外と……あるな……」

「へっ?」

「……比奈ちゃんきらーい」

「えぇっ!? そんな!?」

「瑞希さん、あまり気にしすぎるのもっ」

「くすみんはもっときらーい」

「えぇっ……」


 最貧民の心を抉ってしまった。反省はしていない。



 適当に声を掛け、バスに乗る4人と離れる。エンジンを掛け、道路に飛び出した原付は、喧しくうねりを上げ先へ進んでいく。


 本当はもっと静かだったのに。既に壊れ掛けている。

 安くは無かったのだ、もう少し持ってほしい。



(ガソリン代も馬鹿にならんよなぁ……)


 維持費も含めれば、バスに乗る方が圧倒的に安くつく。そもそもスクールバスは学生なら無料で乗れるのだから、そりゃ当然だ。


 移動が楽だからとわざわざ免許を取って買ったはいいが、前述の通り学校はバスで行けるし、買い物は大型スーパーがいくつかあり歩いて行けてしまう。


 唯一、登下校以外の使い道だった早坂家へのバイトも、今は「暇があるときで構わないのでっ!」と有希が言うものだから、いよいよ使う場所が限られる。



「……金、ねぇ」



 あるに越したことはないが、あり過ぎても使い道が無い。この原付も同じ。もっとマシな奴に使われた方が幸せなのかもしれない。


 使い道が無いなら、作ってやるしかない、よな。



「さらばだ、オーバメヤン1号。お前との時間は楽しかった」


「悪く思うな。もっとお前を活かしてくれるところへ行け」


 貧乏チームは、高額な移籍金で中心選手を強豪に引き抜かれるさだめ。しかし、その移籍金のおかげで、新しい選手を買えるわけで。


 別に買い替えるわけではない。溢れた金で他のことに投資したって、別に構わないだろう。必要な投資をする、それだけだ。



「……ブッ飛ばせッ! 法定速度以内でなッ!」



 ヘルメット越しの独り言は、置き去りにされた風と共に、どこかへ消えていった。


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