第110話

 

 垂れる血と漏れていく空気。

 カイスの身体の中に詰まっていた赤い液体が、開いた穴から溢れていく。

 撃ったのはアスタゴ兵士だった。

 発砲音と共にアーキルは反射的にカイスの元から飛び退く。情報源となり得たカイスは背中に二発。

 偶然か、奇跡か。

 脳に穴が一つ。


「次は、お前だ」


 銃を構えた彼は狙いをアーキルに向ける。敵意を隠す事もせずに。銃を構えた自らの動きの方が、無手のアーキルよりも優れていると考えたのだろう。


「…………」


 何とすればいいのか。

 何と言えばいいのか。

 アーキルの感情を言語化するのは難しい。殺すつもりはないと今更、甘ったれた事を吐くつもりはなかった。

 極力、人が死ぬ事を避けるつもりでいた。これは彼の信ずるアダーラに則っての事だ。ならば、最善はアサド一人の命で済むという事。

 しかし、こんな物は実現不可能である事も分かりきっていた。


「ああ」


 唯一無二の親友を失って悲しいと言う気持ちも、裏切りアサドの側に付いた敵なのだから仕方がないという理性も。

 この一瞬で全ての感情に決着ケリを付けるのは難しい。アーキルは機械ではない。アーキルの感情は人のモノだ。

 神の如く、俯瞰するような立ち位置には存在していない。


「やはり、私は──」


 大きく息を吸って、吐く。

 震えが止まる。

 心の震えも、声の震えも。


「──神の子なんかではないんだよ」


 誰もが崇拝する神の子などなれるはずもない。公正に公平に。人情など知りもしない神でなければ誰にも公平にはなれないだろう。不滅である神でなければ、滅びのある人間を冷徹に裁くことはできないだろう。

 赤色が所々に見える白衣をはためかせ。


「ふっ……!」


 銃を構えた男の視界から隠れる。


「クソッ!」


 悪態と共に、銃声。

 揺れる白衣に直径大凡一センチメートルの穴が開く。


「……悪い」


 これは八つ当たり、なのだろうか。


「なぁっ!?」


 謝罪の言葉を吐きながらも身体は止まらない。先程のアスタゴ兵士二人の時よりも力が込められている。

 頭を鷲掴みにし、勢いよく地面に叩き伏せる。抵抗する間もなく。この間、三秒。

 

 ──ドゴォッ!

 

「かっ、は……ッ」


 砂煙が晴れ、泡を吹きながら倒れた男を見下ろして、アーキルは自らの右手を握っては開いてを数度、繰り返す。

 死んでは居ない筈だ。

 地面と後頭部の衝突の直前で、力を逃した。そのまま行けば殺してしまうところだった。


「カイス……」


 アスタゴ兵に背を向けて、もう息をしていないだろう友に目を遣る。

 涙が静かに頬を伝った。


「──さよなら」


 初めて出来た親友を失う痛みをアーキルは確かに理解できたのだ。

 これが彼が人間である証明。

 人は悲しみに涙する生物だ。

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