第87話
「くそっ……中々、面倒だな」
アーキルは陰から戦場を隠れ見る。
怪我人の保護と言えど、戦火の中に準備もなく飛び出しては協力を取り付ける間もなく死んで全てが終わりだ。
先程から戦場に近づいては、離れを繰り返す。
先程と同じ事態になれば、一人であるのなら対処はできるが複数人に囲まれて仕舞えば対処不可能な事態となる。
そもそもの話で、一人ですら難易度の高い問題なのだ。相手は強化アンダーウェアと言った衝撃吸収に富んだ装備を身につけており、僅かではあるが運動補助も得られているようだ。
「まずいな、流石に」
アーキルとしては、そろそろ救助に入りたい、恩を売っておきたい頃合いではあるのだが、誰にでも分かるほどにリスクが大きすぎる。流れ弾に当たれば普通の人間の彼が死なないわけも無い。
ざり、と躊躇するように踏みしめた砂の音。
「誰か……いる」
存外、近くで女性の声が響いた。
冗談だろう。
アーキルの頬が引き攣った。
戦場では銃火器が鳴り響き、この程度の些細な音を聞き取ることなど並大抵の事ではない。それこそ、怪物じみている。
こんな銃声の嵐の中で女性の声を聞き取ったアーキルも並大抵からは外れているだろうが。
目を合わせて直ぐに問答無用と殺されてしまうのは最悪だ。
「……アスタゴの兵士か? 少し、話をしよう」
一先ずは、と話しをする雰囲気を作り出す。
「……話し?」
彼の目の前に現れたのは全身黒色の身体にぴっちりと吸い付いた様なスーツを着た少女だ。身につけたスーツは彼女のボディラインをくっきりと表している。
顔は蛇の頭部を思わせる様に丸く、それでいて鋭利さをも抱かせる様な形をしている。総評してしまえば無駄がない。無駄を削ぎ落とした様な、研がれたナイフを思い浮かべてしまう様な形状だ。
正直なところ、戦場に置いてこの様な姿はアーキルとしては異様としか感じられなかった。全身を包むこれが、他の多数のアスタゴの兵士として余りにもかけ離れている為だ。
感じるのは緊張。
黒色の持つ、艶やかさと冷たさ。
少女の片手には銃が握られている。
「……貴方は?」
この言葉には抑揚がない。
引き金に指を掛けたまま、銃を持つ右腕をゆっくりと持ち上げ少女はアーキルに銃口を向ける。
「敵ではない……と言ったところで、君の信用は得られると思えないな。私はアーキル」
戦場で敵の言葉を鵜呑みにするなど愚の骨頂。いや、アーキルとしては真実、敵のつもりではないのだが。
「少なくとも敵対の意思はない。私はどこにでもいるただの医師だ」
敵対意思に関しては、こちらには。
と、前提がつく。
証拠となるものは示す事はできない。
「貴方に確認したい事がある。首謀者はどこ?」
こうして理性的な話し合いに持ち込まれた時点で、想定はできていた。
「テロを起こした人間を殺す事で、この戦争は一先ず収束……すると思う」
それはそうだ。
戦争の終了はいつだって将の降伏か、或いは将が破られた時だ。
今回、この戦争におけるアダーラ教徒の将はアサドだ。
「……首謀者はアサド・アズハル・ガーニム。アダーラ過激派のリーダーだ」
「その男の所在は?」
「分からない。私も探している」
冷や汗が彼の背を伝う。
正直なところ、先程気絶させた男よりも目の前の少女と思われる黒の方が敵に回せば危険であると、アーキルは判断した。
「……貴方の目的は?」
また、質問。
これは仕方がない。
彼女もアーキルの事を信じるためには疑う他ないのだから。信頼、信用とは疑った先にあるものだ。
「戦争を早急に終わらせることだ」
「……分かった」
少女、エマはアーキルに向けていた銃を下ろした。
アーキルはほっと胸を撫で下ろす。
命の危機から一先ずは逃れた。
相手が理性的な少女で助かったと自らの幸運を誇るべきか。
エマも彼の反応を見て納得する。銃を下ろした瞬間に襲いかかる可能性も除外はしていなかったのだ。
「……約束。私は貴方を殺さない」
今のところ、ではあるが。
これはアーキルにも分かっている。
別に戦争と言えど、彼女は人殺しを趣味嗜好としているわけではない。殺人が避けられるのであれば、避けるのは多くの人間に共通しているだろう。
「ああ、助かるよ。出来れば他の軍人にも伝えて欲しいんだが……」
「皆んなにと言うのは約束しかねるけど、二人になら…………あれ」
そう言ってエマがアーキルの目の前で通信をしようと試みて、漸く一つの事実に気がついた。
「フィリップと連絡がつかない……」
確かに撃ち抜かれはしていたが、死ぬ事はないだろうと考えていたというのに。
彼女の不安と疑問の呟きはアーキルには聞こえていない。
どうしたのかとアーキルが反応を窺っているのがエマにも分かったのか、一先ず彼にと考え、返答する。
「……ごめんなさい。取り敢えず連絡はしてみるけど……期待はしないで」
「いや、大丈夫だ。君が敵でないのなら私も少しは安心できるというものだ」
敵として出会う事は流石に避けたい。
脅威として彼女の存在は大きすぎる。未知である事と、本能的な感情が彼女と敵対してはならないと訴えてくるのだ。
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