第74話
始まってしまった。
未だ遠くに聞こえる戦の音に眉根を顰めながらも腕を胸の前に組み、アーキルは考える。
「戦争を終わらせるにしても、だ……」
それが正義であったとしても何をすれば良いのかが思い浮かばない。例えばアーキルが素直にアスタゴ側に協力を申し出ようとしたところで話をする前に射殺されてしまう可能性も低くない。
では単独で戦場を隠れながら他のアンクラメトの穏健派の民衆をどこかしらに保護し、犠牲者の出ないようにしながらアサドを探すことにするか。
いや、そもそも単独で動いてはアスタゴの投入した兵士の数から考えても間に合わない可能性の方が高いか。
「アスタゴ側に味方が欲しい……」
アーキルが表立って動いてもアスタゴ側に殺されないと言う事を確約する立場が欲しい。戦争を長引かせたくないと言うのはきっとアスタゴ軍に取っても共通の認識の筈である。
「条件として考えられるのはアサドの居場所を教えろ……だろうか」
生憎だがアーキルにもアサドの居所が分かっていない。分かっていれば苦労はしない。分かっていたらアスタゴとの戦争が終わるまでの間に被害は幾らか出るだろうが、それも最小に収まる筈だ。
何と言おうと、もしかしたらなどという話は役に立たない訳だが。
「一先ずは相手の警戒を解く……これが基本だな」
相手にとってプラスになる事をすれば良い。
方法は簡単だ。
アーキルは医者で彼等は軍人。
こんな環境では傷は絶えないだろう。彼等は攻撃を仕掛ける側で十分な治療を受けられないだろう。何せ、ここは彼等のホームではない。
彼等に協力的な環境では無い。
「負傷兵の治療か……。まあ、医者に国境など関係ないしな」
患者を選り好みしていては医者失格という物だ。打算ばかり、と言う訳でもない。医者としての矜持もたしかに存在する。
白衣の袖を捲り戦線に近づいたところで観察する。
「…………」
声を殺して。
足音を殺して。
また少し戦場に近づけば。
『……アンクラメト民か』
背後に気配を感じて振り返る。
アサルトライフルを抱えた軍服の男性の姿。おそらくアスタゴ兵。
「あ、あー、すまない。私はアーキル。アーキル・サイイド・カースィム。アンクラメトのしがない医者だ。敵意は無い、分かってくれ」
流暢に母国語でも無い言語でアーキルは説得を試みるが顔を隠した軍人は銃口を下す様子を見せない。
「悪いけどな、戦場では疑わしければ殺すべきだと……少なくとも俺はそう思ってるんだよ」
トリガーに黒の手袋に包まれた指がかかった、コンマ数秒。
判断を下したのはアーキルも同じだ。
アーキルに医者の矜持があると言えども、流石に自らの身に迫る危険を素直に受け入れるつもりはさらさら無い。
相手の喉仏に向かって手刀を突き刺すが、感触がおかしい。何とも言えないような、違和感がある。ゴムに跳ね返された様な。
「おっえ……。こんなん真面に食らったら意識はなかったな。すげぇな、エクス社の強化アンダーウェアってのは」
この強化アンダーウェアはアスタゴ軍人の多くに配布された装備だ。『牙』には及ばない物の、防刃、防弾、耐火、耐電性能に優れた高性能装備。
衝撃吸収力において抜群の性能を誇る。
「アンダーウェア……。ああ、成る程。君が身につけている物か」
目には見えないが。
恐らくは迷彩服の下に着込んでいるのだろう。感触からして打撃を加える技は通用しないはずだ。
アサルトライフルは再度、アーキルに向けられるが瞬時に近づいて銃口をずらす。
炸裂する様な音と共にライフルは銃弾を吐き出すが、発射された弾は砂に埋もれてしまう。
「君は気が付いていないかもしれないが……多分、それ関節技は有効だろ?」
アーキルは相手の右肩に腕を回して思い切りよく奥の方へと捻った。
ボゴッ。
アーキルとしては中々に聞いたことのある音。
「ぐ、あ、ぁぁああああ……っ!」
男には予想は出来ていなかったのかもしれない。
骨を外したのだから銃を手放してしまうのは仕方がない。持っていたとしても数秒では持ち上がらない。
流れる様に今度は首へと腕を回してリア・ネイキッド・チョークを極める。
「あっ、ひゅ…………」
ダラリとだらしなく男の身体から力が抜けた。意識は無事に奪えた様だ。
「はあ……神経使うな」
ぱっと腕を解いて再び戦線を確認する。
変化は大して見られない。
一対一であれば確かに対処できるかもしれないが、軍人でも無いと言うのに命を奪い合う真っ只中に飛び込んでいくとなれば、それは命を顧みないただの馬鹿というものだ。
「それに、前途多難そうだ」
何より、アスタゴに近づく手段が思い浮かんだ所で上手く行くという保証が一切ない。
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