第71話

 何かが変わった。

 もしかしたら。

 銃声がスタートを告げたのかもしれない。


「……止めたんだ、俺は」


 分かっていたから。

 失いたくなかった。


「怖かったんだ。こんな事になるって……だからっ! 嫌だったんだ……」


 自分の部下を失いたくなかった。だから、あの時も。あんな選択をするしかなかった。勘づかれる前に、最悪を避ける様に。


「フィ……ンさ、ん。今日、寒い……ですね。冬が来た、みた……いで」


 減らず口と、強がり。

 どこか満足した様で。

 彼の言葉に余計に苦しくなる。息が詰まりそうになる。


「フィン、さんは……間違えて、ない。俺……が間違ったん、です」


 降り頻る雨と、止めどなく流れる血と。


「違う」


 傘もささずに苦々しく、言葉で表すこともできないほどにぐちゃぐちゃになった顔で拳を握りしめて、フィンはリチャードを見下ろした。

 雲が日を隠して、昼を過ぎて間もないというのに薄暗い路地に人は居ない。


「お前は正しかったんだ。正しすぎた。優秀な刑事だった。何も、間違ってない……!」


 何もかもが遅い。

 取り返しがつかない。だと言うのに、リチャードは誇らしげに笑って。


「ねえ、フィンさん。……俺、立派な警察に成れて……ましたか?」


 ズキリとフィンの胸の奥が痛んだ。

 恐れていたのに。


「……っ、ああ」


 部下は正しかった。

 なら、自分はどうした。悪に屈して、目元のものばかりだ。壊されたくないから。今、守るモノが手元にあるだろうか。

 何か守りたいものは。


「──お前の想いは、俺が引き継ぐ」


 正しく生きていたいだとか。

 自分は警察官だからだとか。

 もうきっと何の役にも立たなくなった言い訳を捨ててリチャードの手からメモ帳を取る。


「それは……良かった」


 生きる理由も、戦う理由も曲げられなくなった生き方も、彼が選んだのだ。部下の信頼を、部下の直向ひたむきな善性を彼は肯定してやりたくなった。


 ──否、しなければ、彼には生きていていいと思えなくなったと言うべきか。


 生気を失ったリチャードの目を手で覆い、瞼を被せる。


「リチャード……。クリストファー、アーノルド。俺は逃げてばっかりだった」


 何も知らない二人に、謝罪をしよう。

 ファントムの捜査を進める彼らがいつの日か殺されてしまうかもしれないと恐れて、警察を辞めさせた自らの判断が間違っていたのかは分からない。

 それでも逃げていた事実に。

 悪に畏れを抱いた自身に。

 今更ながら最大の嫌悪を抱く。


「チャンスなんだ。俺はまだやり直せるんだろ、リチャード」


 雨が頬を濡らす。

 乾かぬ顔は決意を固めて。血が染みたメモ帳をポケットに入れて重く歩き始めた。


「やってみせるさ」


 約束しよう。

 絶対に、もう二度とリチャードの期待は裏切らない。

 フィン・ロペス警部補のリスタートだ。

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