第67話

 

 駆け出したのはオスカーのみ。

 ユージンは子供が何をするのかを観察するように見ている大人のようである。

 火事現場でありながら、どこか命のやり取りとは程遠い感覚にユージンは浸り込んでいる。


「ふっ!」


 ユージンの鳩尾に右ストレートが突き刺さる。防御の姿勢を見せない彼にはまともな一撃が入ったはずだ。


「…………ま、こんなもんか」


 だが顔色ひとつ変えず、いや、結局は仕方ないが詰まらないと言いたげな顔つきを覗かせる。

 視認できない、反応できない高速の蹴りがオスカーの腹に入る。

 衝撃は最早、人間技とは思えないほど。

 それは喩えるならば大型車両に衝突されたような。台風に吹き飛ばされる木の葉の様にオスカーの身体が通路を真っ直ぐに抜けて、ゴロゴロと転がりながら、開けた部屋でようやく止まった。


「…………」


 ここでオスカーは考えを組み立て直す。

 別に目の前にいる怪物を必ず殺さなければならない訳ではない。エンジェルをエイデンの元に連れ帰れば、それだけで目的は果たせるのだ。

 真面目にこの男と戦うのも馬鹿らしい。


「どうするよ」


 次の行動をユージンは観察する様に、余裕が滲み出る様な微笑みを湛えて立っている。


「──あ? クソッ……、逃げんのかよ!」


 開けた部屋を抜けて、また通路に。

 組み立てた対ユージン用の手段。

 だが、ユージンとオスカーの走力では圧倒的にユージンが上。歳をも感じさせないバイタリティの怪物。


 だが、オスカーもそれだけではない。

 懐に忍ばせていた起爆装置を取り出して、ボタンを押した。エクス社製の小型爆弾は技能が詰め込まれている。

 スイッチにも同様。

 エリアごとに作動スイッチが分かれている。


 躊躇なく起爆。


 後方から熱と火の粉が背中に打ち当たる。爆音が耳の奥にまで響く。

 ただ、諸に爆発を受けたユージンは死んでいてもおかしくない。


「…………」


 後方を振り返るが、追いかけてきている様には見えない。煙も炎も晴れず、ユージンの姿も確認できない。


「死んだか……」


 であれば幸運。

 あとは時間が許すまでにエンジェルを確保してこの研究所を完全に破壊してしまおう。

 オスカーは少しばかりの晴れやかな気分と共に先程より走る速度を上げて通路を左に曲がって、正面の扉を開いた。


「この部屋だな……」


 辺りを見回せば阿鼻叫喚。

 絶叫、火炎、焦げ付く様な悪臭。

 白衣を着た男女は何かしらの下敷きになっている。

 今更、見つかったとして問題はない。

 障害は──。


「案内、ご苦労なこったな!」


 排除した、つもりであった。

 だが、油断大敵。

 オスカーの左側頭部に激痛が走った。

 原因は一つ、ユージンの後ろ回し蹴りだ。

 あまりの破壊力にオスカーの視界は歪み膝を付いてしまう。四つん這いになったユージンの脇腹を先程とは逆の足、左足でサッカーボールを蹴る様に振り抜いた。


「ごっ、ア…………」


 気持ちの良いくらいにオスカーの身体は転がっていき、数メートル離れた位置にある倒れた机にぶつかって止まった。


「はあっ、はあ……」


 痛みに喘ぎ、短い呼吸。酸素が少ない。

 まさか、こんな邪魔が入るとは。恨み言ばかりがオスカーの脳内を過っていく。

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