アンクラメトの正義の信徒

 アスタゴ合衆国より大洋を超えて西の国。広大な大陸にある一つの国、国名をアンクラメトと言う。

 アンクラメトには一つの巨大な宗教が広まっており、アンクラメトの民の多くはその宗教の戒律を守り生活を行なってきた。


 アダーラ教。

 『正義の法典』と呼ばれる書物の教導に従い生活をなす。

 アダーラ教の信徒達は正義の民である。断じて悪などではない。彼らはそう信仰しているのだ。

 そんなアンクラメトにある一つの建造の中。泥のレンガで出来たそれは、アスタゴの建造と比べては幾分にも見劣りのする物ではあるが、独特の雰囲気を持つ。

 薄暗い屋内に、一人の男が座っていた。家具はほとんど見当たらない。


「アサド……」


 男は浅黒い肌、髭を蓄えた美丈夫。白のガラベーヤを身にまとい、頭にはターバンを巻いておりチラリと焦げたような茶髪が覗く。


「ワタシを呼んだか?」


 鋭い目を上に向け、名前を呼んだ者を視界に捉えようとする。

 アサド・アズハル・ガーニム。

 過激派の主導者である彼は、アダーラ正義という言葉に相応しいとは思えないほどの苛烈な思考を持つ男であった。


「ああ、呼んだ」


 アサドの名前を呼んだ男は問いに対し、簡潔に答えると、アサドは要件の確認をする。


「してどうした、サクル……」


 名を尋ねるとサクルと呼ばれた、アサドと同じ肌色の、鷹のような目のがっしりとした体つきの男が尋ね返す。


「俺で良いのか?」

「お前以外に適任はいないだろう。ワタシはそう思うがどうだ?」


 アサドはサクルという男を何より信頼していた。この男はどこまでも冷徹で、冷淡で、平然と自らの命も道具にできる男であるのだと、アサドには確信があったのだ。

 だからこそ、弾丸になってもらおう。


「なら、文句はない。アンタは賢い。俺にはアンタに文句をつけられる程の賢さもない」

「そうか。……ワタシはお前を祝福しよう。お前が希望の弾丸になることを祈ろう」


 サクル・ダーギル・アズィーズ。

 アダーラ教徒が一人。過激に冷酷に、残虐に。彼らの心は実に純粋だ。だからこそ見るものが見れば悍ましさすらをも感じただろう。過激派の彼らは最早、手段など選びはしない。


「我らの目的の為にも」

「ああ、アダーラの民の楽園の創造のためにならば、俺は喜んでこの身を投げうつことも受け入れる」


 喜捨とも言えたのかも知れない。自らの命を迷えるアダーラの民の為に使う。

 それは、あまりにも美しきザカートではないか。そう思うことで彼は酔いしれているのやもしれない。正義という感覚の甘美に。


「正義を掲げよう」


 アサドが唱える。


「正義に捧げよう」


 サクルが繋いだ。

 正義を掲げ、正義に捧ぐ。

 『正義』の信徒。

 正義こそが全てであり、正義故に傾倒するだけの価値がある。正義は理念であり、戦闘の理由である。


 幸福を求め、今は艱難辛苦にあってもアダーラの信徒はその時間を共有して、前へと常に進み続けるのだ。

 どれほどの辛酸も共有し、耐えればいつかは糧となるだろう。全ての行為も。何事も忍耐が求められるのだ。世界はそうして廻っていく。

 日は昇り、屋内に光が差し込み、アサドとサクルの横顔を仄かに照らした。


「サクル、お前は誇るといい」


 自らの正義を。

 アサドの言葉に覚悟を決めた戦士のように彼は頷いた。

 彼らは、アダーラの楽園を築く為であるのならば、この世界一切の不浄を排除する心算であった。

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