第44話

「竹崎」


 とある部屋の前で、一人の少女が心配そうな声色で扉の奥にいるであろう少女に呼びかける。


「出てきてよ……」


 扉を叩くこともせずに、彼女はただそう呟くだけだ。その正体はやはりというべきか川中だった。

 扉の奥からは答えが返ってこない。


「……松野のことは、その」


 言いかけて、何といえば良いのかが分からなかった。どんな言葉をかけても竹中の心に傷をつける結果になってしまうと、川中は悟ったのだ。


「でも、閉じこもってばかりじゃ何も変わらない、んじゃないかな……」


 声をかけても、いくら呼びかけても彼女の声は聞こえない。

 扉の奥にいる竹崎は感情を失い蹲っていた。泣いて、泣いて、泣いて。虚無感が心を襲って、再び彼女は独りになってしまった。


「…………」


 外から呼びかけてくる川中の声はただの雑音にしか聞こえない。誰が竹崎の心を開けるのか。

 彼女は失ってばかりだ。

 守ってくれた姉を失って、せっかく手に入れた大好きな友人を失って。何もかもを失って、そんな自分が嫌いになってしまいそうだった。


「約束したじゃん……。独りにしないって言ってくれたじゃん……」


 首にかけていたネックレスを彼女は首から無理やりに取って放り投げようとして、振り上げた右手が止まった。


「助けてよ……」


 独りに戻りたくなんてない。

 強く願っても、彼女は独りに戻ってしまう。殻に篭ってしまう。どうにもならない現実に心を打ちのめされてしまう。

 ベッドの上で膝を抱え込みネックレスを強く握り込む。

 この世界は最低だ。

 折角手に入れたものを、無慈悲に奪って行って、弱いものはどうにもできないまま絶望の海に投げ出されてしまう。


「嘘、つき……」


 涙を流しながら彼女はしゃくり上げる様な声でそう呟いた。


「あ、ああ……」


 生きる価値を見いだせず、彼女には生きる理由もなくなった。死んで仕舞えばいいのか。死んだら、姉に、松野に、大切な二人にまた会えるのだろうか。

 震える手が自らの首に伸びて行く。


「ぐぅっ、……はっ、ゔっ」


 気道が閉まり、呼吸は段々と浅くなって行く。ああ、もう直ぐ死んでしまう。そうすればきっと、楽になって、こんな理不尽に悩まされることはない。

 そう思い込むことで、今の苦しさに耐えようとしていた。恐怖よりも、竹崎の頭の中には二人に会いたいという意思が強くあった。


「かはっ……、こひゅっ」


 苦しげな吐息が漏れる。

 その瞬間に扉が開かれて、川中が入ってきた。


「何してるのっ!?」


 急いで駆け寄ってきた川中が竹崎の両手首を掴んで壁に押し付けた。川中の焦った様な顔が竹崎の瞳に映った。


「はぁ、はぁ、……なんで……」


 死人のような生気の宿らない瞳が、川中の目を覗く。


「何で死のうとしてるの!」

「……なんで、生きるかちがあるの?」


 舌ったらずな、呂律が回っていないような、幼い子供のような声で竹崎は感情もなくそう尋ねた。


「生きるりゆうなんて、もうないんだよ」


 川中の拘束を振り解こうとするが振り解けない。竹崎の力では川中の力に適わないから。


「なんで、えらばせてくれないの?」


 自由にさせてくれないのだろう。

 ただ、普通の生活がしたかった。姉と一緒に買い物に行って、友達と笑っていられる環境を求めていた。


「死なせてよ。もう、生きてたくないのっ」


 涙が頬を伝った。

 それを見た川中も心を痛めて、涙を流す。


「──辛かったよね……。頑張ったよ、竹崎は。真衣は頑張った」


 拘束する手を離して、川中は竹崎の体を力強く抱きしめた。


「でも、まだ頑張るんだよ。生きてるんだよ。真衣はまだ生きてるんだ。生きる価値ならここにあるよ」


 温もりが竹崎の体を包み込む。

 温かな優しさに、体の力が抜けた。


「私は真衣に生きて欲しいんだ」


 より一層強く抱きしめると、竹崎はその温もりに縋るように、川中の背中に手を伸ばした。



「────あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」



 優しさなど信じてしまうと裏切られるというのに、また竹崎は縋ってしまう。それは悪いことなどではない。人は優しさに弱い生き物なのだから。


 泣き叫ぶ竹崎の背中を、優しく川中は叩いてやる。その様子は母親が子供を慰めるようであった。

 月明かりが照らすとある夜の話であった。

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