第37話

「あんまり手に入らなかったな」


 芝浦が川谷に向かって地面に並べた缶詰を見ながらそう話しかけた。


「まあ、でもいいんじゃないか。雨も降ってるし、さっさと戻ろうぜ」


 二人はリーゼの方へと視線を向ける。しかし、リーゼに搭乗しているのは山本ではなく松野のため、何を求めているのかが理解できない。


「雨降ってんだから早くしろよ!」


 川谷が叫ぶ。


「早く膝を着けって!」


 芝浦がそう指摘してようやく理解したが、松野は横暴な態度に嫌な顔をしながら、渋々としゃがみ込む。


「何だよ、このポンコツ……」


 ブツクサと彼らは文句を言いながら缶詰を持ち上げる。


「早く手出せっての!」


 雨に濡れているからか、川谷は苛立ちを見せる。

 先ほどから、松野は彼らの言動に対して気分的に良く感じない。

 しかし、文句を言うのも疲れる。

 そう思い、雲に覆われて暗い居住区の中ゆっくりとリーゼは腰を下ろして、膝を着こうとした。


「遅えんだよ」


 やれやれと言いたげに芝浦が肩を竦めた。どこか演技らしさを感じさせるその動作に腹を立てるのも仕方がない。

 しかし、松野の目に映り込むものは断じてそんなものではない。

 見たことがない。

 赤い巨体がそこには立っていた。

 暗い世界に夕陽の様な赤さを見せたそれは巨兵の様で、右手には巨大なハルバード、右腕には盾が装備され、左手には重厚感のある巨大な銃を握る。

 赤色の巨兵。

 拙い。

 直感は逃げろと叫ぶ。現在、気がついているのは松野ただ一人。

 赤い巨人の緑の目がジロリとリーゼにあった。その瞬間に松野の脳には鮮明な死のイメージが溢れる。

 ハルバードに切り裂かれる。

 ハルバードに貫かれる。

 銃で撃ち抜かれる。

 恐怖が思考を覆い尽くし、瞬間的に思考が止まる。


「おい、早くしろよ!」


 急かす声が足元から響くが、そんな物が松野に届くわけがない。

 逃げる。

 そう思いリーゼは起立する。

 その時には既に赤いソレは松野が乗り込んだリーゼの前に立っている。

 あと十秒も経たないうちに接敵する。


「逃げて!」


 松野は外にも聞こえる様にスピーカーの電源を入れて、芝浦と川谷に叫ぶ。


「お、おいおい。何だよアレ……」


 彼らも目の前に迫ってくる巨神を見たのだろう。見慣れない赤い姿。


「聞いてねぇ……。聞いてねぇぞ……」


 譫言の様に川谷は呟く。

 ぼんやりとしている川谷の左腕を引いて缶詰を投げ捨てて芝浦は逃亡を開始する。


「おい、川谷! マジで死んじまう! 走れ、走れ!」


 必死に走る。

 そんなのは巨人のたった一歩で縮まってしまう。


「ははっ……。おい、何で逃げる必要があるんだよ」


 川谷の言葉を聞いて芝浦は目を見開いた。何で。どうして。

 そんなこと決まってる。


「俺たちがいても意味ねぇからだろ!」


 あんな金属の塊の中に突っ込んでいくなど自殺行為だ。見たはずだ。中栄国の兵士が手も足も出ずに潰される姿を。


「リーゼがいれば勝てんだろ?」


 乾いた様な笑いと、盲目的なまでのリーゼへの信頼。


「そうじゃねぇ! そうじゃねぇだろっ!」


 実際、勝てたとして自分たちが生き残っていられるかどうかと言う話だ。


「俺は死ぬつもりはねぇ!」


 芝浦は生き残ろうと必死に足を動かす。なによりも自分の命が可愛いから。

 走れ、走れ、走れ。死にたくないなら、無理をしてでも、死ぬ気で走れ。

 後ろがどんな惨状だろうと気にするな。

 その瞬間にゴオオオオンと、鈍い音が響いて巨大な影がこちらに向かってくる。

 吹き飛ばされたのはリーゼである。木々をなぎ倒して、黒色の巨神は木に寄りかかる様に座り込んでしまった。


「おい、川谷! 自分で走れ!」


 芝浦が叫んで手を離した。

 しかし、川谷はその場に立ち止まってしまう。それを信じられないと言いたげな目で見ていると、立ち上がろうとするリーゼの近くに赤い巨人が走り寄ってきて、その瞬間に地面に落とされた赤い巨大な足に川谷はアリの様にあっさりと潰されてしまった。

 その時、どんな音がしたのか。プチと破裂する様な音だったのか、それとも骨の砕ける音だったのか。それはわからなかった。巨大な足が地面を踏みつけた音が、その音をかき消してしまったから。


 その光景から目を逸らす様に芝浦は恐怖の色を顔に浮かべて走る。

 リーゼが立ち上がった瞬間にはもう目の前にいたそれが、巨大なハルバードをリーゼの胸に突き刺した。

 ハルバードが突き刺さったのは、コックピットがある位置。

 パイロットスーツを着た松野の腹にハルバードの穂先が突き刺さり、骨も肉も何もかもをすり潰していく。


「ああああぁぁあああああああ!!!!」


 

   痛い。痛い。痛い。


 イタイ。   イタイ。


     イタ、い。

               いた、痛。

    痛いタ

      イタイタイ。


 

 脳の処理が追いつかない。痛みで埋め尽くされて、熱さが体を支配する。


「い、や。嫌だ。嫌だ、死にたくない。死にたくない!」


 首に掛けていたネックレスが揺れる。

 親友から渡された『願い』が揺れる。

 


 ──明日も、明後日も俺たち三人でここで何かを食う。

 


 約束が。

 


 ──みんなで生きるぞ。

 


 約束した。

 死ぬわけには行かない。死んでしまってはならない。


『ふむ、生命維持は困難……。残念だな、松野くん』


 ヘッドギアの向こうからは声が聞こえてきた。松野には聴き慣れた岩松の声だ。

 残念だと言う言葉とは裏腹に、その声には喜色のようなものが感じられる。


「管理、長……」

『ここで君とはお別れだ』


 カチッ。


 何かを押す様な音がして、強烈な衝撃が松野の体を襲った。

 何が起きたのか。

 それは単純で、簡単で、誰にでもわかる話。リーゼが自爆をした。装甲を吹き飛ばすほどの爆発。内部からの破壊。

 頑丈な装甲は爆風によって、敵に向かって吹き飛んでいく。

 これが岩松の仕込んだ武器。

 役立たずを有益な道具にする方法だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る