第10話
幸いなことに、学校の先生方には気付かれていないようだった。空き地に停めた車の中で震えながら呼吸を整える。
普通の神経だったら、きっとこんな悪魔の所業は思い付かなかったであろう。けれども、精神的に追い詰められ、そして鬼に取り憑かれていた梢は、ここでとんでもないことを思い付いた。
屋上から見た感じでは、まず遼子は助からないであろう。これをお悔やみ様の仕業にしてしまえば――。これまで散々と送ったメールに加えて、さらに噂を大きくできるのではないか。
自分が学校にいたことを知っている人間はいない。葛西達には仕事に向かうと言ってしまったが、学校には教師の一部が集まっていた事実であるし、そこに疑いを持たれることはないだろう。屋上にだって自分がそこにいた証拠など残っていないと思われる。そもそも簡単にフェンスが外れてしまったのが悪いのであって、当たり前ながら自分に殺意はなかった。
これはきっと事故で処理される。ならば、これをお悔やみ様の仕業ということにして、さらに噂が拡散するように仕向けてやろう。スマートフォンを取り出してメールを作成した梢は、これまでと同じようにお悔やみを申し上げた。
今になって思い返せば、本当に馬鹿だったと思う。事故とはいえ自分の生徒を屋上から転落させ、怖くなってその場から逃げ出した。救護をしようともせず、自身の保身のためだけに逃げ出してしまった。それだけでも最低だというのに、挙げ句の果てに梢は遼子の死までをも利用しようと考えたのだ。この時の梢にとって優先すべきは娘の死の真相であり、それ以外のことがまるで見えていなかったのである。
学校は休校中ではあるが、遼子の死は嫌でも連絡網で知れ渡ることになるだろう。そうなった時、自分の受け持つ三年一組の生徒は何を思うのだろうか。こうも不吉なことが続けば、きっとお悔やみ様の存在を認める者も出てくることであろう。
メールを送ると同時に、電話がかかってきた。副担任の関谷先生からだった。何も知らないように装って電話に出た梢は、遼子が屋上から転落したらしいとの報告に、わざとらしく驚いてみせた。今から学校には向かうと告げ、車の中で時間を潰した。
救急車のサイレンが近付いてきて、そしてしばらくした後に遠ざかっていく。それでも、まだ梢は静まり返った車の中で息を潜めていた。ようやくハンドルを握ったのは、さざ波の音のみが夜の空に響くようになってからだった。
何事もなかったかのように取り繕って、今度は堂々と正門のほうから車で入り、未だに騒動のざわめきが残っている玄関口から中へと入る。その足で職員室に向かうと、もはや廊下の辺りから重苦しい空気が漂っていた。短期間のうちに多くの生徒が命を落としてしまったのだ。この事態を喜んでいる人間などいない。
特に校長先生はかなり憔悴していて、まとまりのないまま今後の対応についての話し合いが行われた。ここまでくると、いっそのことお祓いをして貰ったほうがいいとの意見が出るほどだった。
多くの生徒が命を落としてしまったが、このままずっと学校としての機能を停止させておくわけにもいかない。話し合いの末に、来週の月曜日から授業が再開されるということになった。こんなタイミングでテストを行うのはどうかと思ったが、無理矢理にでもスケジュール通りに敢行するとのことで意見が一致した。いや、一致せざるを得ない空気だったと言うべきか。
警察がやって来て、現場検証を始めていた。警察がどのような判断を下すのか、梢は気が気でなかった。話し合いの内容だって、要所を除いてはほとんど覚えていない。捜査が終わった警察が職員室に寄り、事件のことを校長先生に話した時は、安堵の溜め息を堪えるので必死だった。
ざっと現場を検証した所感では、恐らく事故の可能性が高いとのこと。日頃から屋上の扉には鍵がかけられていなかったのか、今日は誰でも学校に出入りすることができたのか――。補足事項として諸々のことを聞かれた校長先生が、今にも倒れそうなほどに真っ青になっていたことが印象的に残っている。
警察の見解では、劣化していたフェンスのボルトが切れてしまい、フェンスごと生徒が落ちてしまったのであろうとのこと。学校側の管理体制には目を向けられてしまうことだろうが、とりあえず事故ということで処理される流れとなった。
改めて明るくなってから再び現場を調べるとのことだったが、おおむね事故で済まされることは確実だった。間接的で殺意はなかったものの、自分の手で一人の生徒を殺してしまったというのに、胸を撫で下ろした自分がいた。
遼子の葬儀関係は、本来ならば担任の梢に出番が回ってくるのであるが、不吉なことが立て続けに起きていたこともあり、対応は校長などのお偉さんがすることになった。もっとも、遼子の両親は親族だけで葬儀を行う意向を示したため、学校からは香典を出すという対応だけで終わったらしい。
梢にとって実に濃い内容の一週間も、ようやく週末を迎え、約束通りに娘の幼馴染達が片付けの手伝いに来てくれた。その厚意にはありがたく甘えたわけであるが、お茶を飲んでいる際の話題を聞く限り、彼らは娘の死の真相を追い続けているようだった。これは噂が拡散されているであろうバロメーターとみなしてもいい。遼子の死が後押しをする形で、きっと近隣の市まで噂は広がっているに違いない。平静を装いながらも梢は確信した。
片付けが終わり、梢は三人を食事へと誘った。なんだかんだで片付けが忙しかったせいで、三人の詳しい進捗状況を聞き出せずにいたのだ。しかしながら、それは遠慮されてしまった。仕方なく、その日は大人しく三人と別れ、荷物を積んだ軽トラックと共に自宅へと戻った。荷物自体が少なかったおかげで、娘の遺品を家に運び込むのは女手ひとつで充分だった。
着実にお悔やみ様は噂となり、近隣の高校生の間でささやかれている。一日中動いたせいか、ほどよい疲弊感に包まれながらも、梢は床へと就いた。
再び月曜日――。これまで機能を失っていた学校が、久方ぶりに活気を取り戻した。遼子が墜落したであろう辺りも、何事もなかったかのごとく綺麗に片付けられていた。
遼子の死は正式に事故として処理された。ただ、学校の責任問題はまぬがれないかもしれない。そう聞かされたのは、職員室で行われた朝の会議でのことだった。すっかりと小さくなってしまった校長先生の姿に心は痛んだが、しかし自分のやったことが闇に葬られる流れになっていることに、改めて安堵の溜め息が出てしまった。
お悔やみ様は悪鬼に祟る。娘を死へと追いやった犯人を、着実に追い詰めている。まだ姿も見えぬ犯人ではあるが、この学校で起きている奇妙な事件に、きっと肝を冷やしていることであろう。まるで死者が――お悔やみ様が血眼になって悪鬼を探し回っているかのように感じていることだろう。
月曜日も緊急全校集会から始まる。もはや、緊急全校集会自体が日常の一部へと溶け込もうとしていた。教室に入って点呼をとると、まるで自分は一切関与していないと言わんばかりに、沈痛な面持ちを作って遼子の死をクラスメイトに伝えた。我ながら役者も随分と上手くなったと、冷静に自分を見つめるもう一人の自分が呟いた。
しかしながら、ここで梢にとって最大の問題が発生してしまう。ホームルームが終わり、体育館に移動する最中に、娘の幼馴染達の会話が耳に入ってきたのである。
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