第40話【ショッピングモール⑤】

 硬く閉ざされた従業員通路へと続く扉は、高身長の外国人でも無ければ頭部をぶつけることは無いだろうサイズをしており、鍵穴が付いているにも関わらず鍵は開いていた。ゾンビにどれほどの知能があるかは分からないが、この扉を開けるほどの知能は持ち合わせていないように思える。


 扉は火事の際も対応できる作りとなっており、力任せに開けるのは難しい。つまり、ゾンビから逃げる場所としては理想的だ。


 その扉をゆっくりと開けていく。


 中に入って行くのは、リアとカオリとツキだ。


 内装は日常的に目にするLED蛍光灯が一定の距離間で天井に設置されており、段ボールや小道具が大量に詰まれている一本道だ。店舗が並んでいる三階の通路ほど綺麗な場所では無く、ステージホールの裏側にいるような気分になった。


 そして従業員通路は一階から屋上まで全て繋がっているようだ。一本道の先には階段やエレベーターが設置されており、二階と続く通路が用意されていた。この様子だと裏口から外に出る事も可能だろう。


 そしてエレベーターの手前に開いたままのドアが見えており、その隙間から眩しい光が一本道を照らしていた。男性の声や女性の声が聞こえるような気がする。


 その声にツキの表情が青白くなっていき、体中が震えていた。


 耳をすますと、聞こえるのは男性の怒鳴り声と女性の泣き叫ぶ苦痛の声。リアは目を見開き、徐々に表情が険しくなる。そしてカオリはドアの先で何が行われているのか理解出来てしまい、眉間にしわを寄せていた。


「死にたくねぇ、死にたくねぇ! 死にたくえぇぇええよ!? クソが!」


「やめて、お願い。やめてください……きゃ!」


 肌と肌を打ち付け合う音には、水面を手で叩いていたような水気が混じっている。そして時々聞こえて来るのは、喘ぎ声に似た卑屈な懇願だ。聞いているだけでカオリは、嫌悪感を隠し切れない表情を浮かべた。


 そしてリアはため息交じりに呆れた表情を浮かべながら、照らされている部屋へと向かう。その表情には嫌悪感以上に、同情に似た感情が見え隠れしている。カオリはそんなリアの表情と言動が理解できなかった。


「はぁ、本当にくだらない事をしている。人間の生存本能なのだろうか? 私には理解できないね。まぁ、これに関しては私の方が間違いなのかも知れないが」


「リアちゃん……? 何言ってるの?」

(だって、中で行われてる事って……)


「ただの独り言さ。カオリとツキはここにいて構わないよ? 正直、見ていて気持ちの良い物ではない。絶望した世界では、誰もが被害者なのだから」


「「?」」

(誰もが、被害者?)


「他者から受けた不満は、別の他者へとぶつけられる。それが過激であろうと無かろうと、元の世界と何も変わらないのが人間という事さ。アダムが知恵の実を食べなければ、そんな未来は来なかったかもしれないのだよ」


 リアの言っている事をカオリもツキも内心では受け入れていない。しかし、それを批判する言葉を持ち合わせていない為、沈黙するしかなかった。


「安心したまえ。ミカと言う少女は私が何とかしよう」


 その言葉にツキは少しだけ肩の荷が下りた気分だ。


 動けない二人を扉の出入り口付近で待機させ、リアは明かりが付いている部屋の中へと入って行った。そこは酷い匂いと裸で馬のような体勢を取っているミカの姿が映り込んだ。


 ミカと言う少女は長い後ろ髪で表情は見えないが、体の所々を激しく叩かれたようなあざがいくつも出来ていた。性行為を行っている男性はリアの冷たい表情に気付き、恐怖で気を狂わせたような表情を浮かべながら驚愕していた。


 まるで見られたくない物を見られた子供のような動揺の仕方をする。


 従業員用の個室で体中を縄で縛られていたミカは両手両足の自由を奪われており、ろくな抵抗も出来ずに大切な物を次々に奪われたに違いない。地面に溜まっている涙の池が、それを痛いほど痛感させる。そして裸で立っている男性は自分のやってしまった事に後悔しながらも、それを肯定させるように怒鳴り散らす。


「だ、誰だてめぇ!? 見てんじゃねぇよ! 犯すぞ」


「私でも許容できないのだよ、さすがにこれは。女は道具ではない」


 エクスプロージョンを握りしめて男性へと近づく。リアがこちらに向かってくることに動揺しながらも、所詮は小さな少女。力で自分が負けるとは思えず、リアの頬に平手打ちを食らわせようとした。その状況を、ミカは倒れ込んでぼやけた視界で一瞬だけ見つめる。


 それは綺麗な金髪の妖精。

 少し強気な言動や危険に真っ直ぐと突き進むその姿は、そんな風に感じさせた。


「うっるせぇぇええ!!」――怒鳴り声と共に鋭い平手打ちがリアを襲う。


 しかし、化け物と殺し合いをしてきたリアにとって、大人の平手打ちなど赤子も同然。自分の体勢を少し後ろへ倒すだけで回避できてしまい、そのまま振られている最中の中指を握りしめた。そして自らの力で男性の中指が逆方向にへし折れる。


「ぎゃぁぁァァアア! イッテェえ!!」


 平手打ちをした瞬間に中指がへし折れた。そんな意味の分からない状況に叫び声を上げる。そのまま両膝を付いて、折れた指を抑え込んでうずくまった。


「安心したまえ、私も鬼では無い。それに君の気持ちが理解できないわけでも無い。しかし、物事には対価を平等に支払うべきだと私は考えているのだよ。片方が得をするのはあまりにバランスが取れていない。その結果がこの世界の現状なのだろうが」


「なに、訳が分からねぇこと言ってんだ。殺すぞぉ!」


「君のような反抗的な人間は嫌いではないが、今は不愉快だ。少しだけ黙っていてもらおうか」


 リアの蹴りで男性は仰向けとなり、振り上げられた足が男性の大切な部分を貫いた。そのまま泡を吹きながら気絶する。


「――が!? っうぅ、あ」


 多少の罪悪感は残しながらも、その隣で倒れているミカへと視線を向けた。ミカは泣きながらこちらを見ており、互いに視線を重ねる。そしてリアはその顔に見覚えがあり、目を見開きながら口を開いた。


 それはリアが『一方的に知っている人物』だったからだ。


「はは、まさかここで君に。いや、ミカに会えるとは思わなかった」


「――?」


「どうしたものか。これも運命と言う奴なのだろうね」


「あの、どういうこと?」


「気にしなくていい。私は君を助けに来た。そう、ただの『英雄』なのだよ」


「英……雄? 妖精じゃ、ないんですね」


「? ――まぁいい。ミカに言いたいことは一つなのだよ」


「何ですか?」


「生きていてくれて、ありがとう」


 ゆっくりとリアは手を伸ばし、ミカを優しく抱きしめる。本来、感情的に行動するタイプでは無いのだが、この瞬間だけはそうしてしまった。我を忘れたように体中の力を抜いて泣き出すミカを、リアは愛おしく感じている。


 それは学校から気付かぬうちに脱出した後、見知らぬ住宅で目を覚ました時に見た姿だ。リビングに飾られていた『5月02日』と日時が記載された誕生日の写真に写るミカの姿。それが今まさに、目の前にいる。


 そしてその時、自分自身が約束した言葉を思い出す。


 ――もしも君が生きていたら、私は命がけで君を守ろう。――


 そんな小さな約束をリアは守る。何故なら、物事には平等に対価を支払うべきであり、それが最終的には素晴らしい選択になると信じているからだ。それは一人ではなく、皆が幸せになる魔法の方程式なのだから。


■□■□

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る