第38話【ショッピングモール③】

 そしてシンヤはそのまま紙袋に詰まっている衣服を片手に、一階の出入り口付近に設置されてる男性用トイレの中へと入って行った。トイレの中は波模様の白い石材でデザインされた床に、壁は床の色に合わせたタイルで出来ている。


 しかし。


「――……クチャ……クチャ……ァァ」


 タイルで出来た壁には大量の血痕が付着しており、そこではしゃがみ込んで何かを食している人の後姿が見えた。シンヤの視線が鋭さを増していき、紙袋を地面に置いてコルトガバメントを構える。


「グロいな」

(マジかよ。食うのか?)


 ゾンビはトイレの壁際に倒れている死体を獣のように食らい付いていた。そして床に広がる死体の内臓はシンヤの足元にまで届いており、肉片を噛み千切る音と血液が空気に触れて噴き出す音がシンヤの表情を曇らせる。


 そしてコルトガバメントの銃口をゾンビの頭部へと向けた。


 ゾンビは眠気を誘うようなゆったりとした動きでシンヤの方に首を曲げる。そして口から上着にかけて真っ赤な血液を浴びながら、その充血した瞳をシンヤと合わせた。


 そして、死体を爪でかきむしって爪が剥がれて皮膚が浮き出ている。


「ァァ……ぁぁァァアア!」


 立ち上がったゾンビがシンヤの元へと勢い良く走り出す。しかしコルトガバメントの銃口がゾンビの額に接触すると同時に引き金が引かれた。BB弾の銃弾がゾンビの額を貫き、体中が膨れ上がると同時に爆散する。トイレは一面が真っ赤に彩られ、それはシンヤが苦手なホラー映画でよく見る光景だ。


「ぅう」


 気分を害する鉄の匂い、嗅ぎ続けているだけで病気になりそうだ。


 倒れている死体は頭部を半分以上失っており、骨が丸見えになっている。そして足や腹部の皮膚も食い散らかされており、衣服を着用していなければ性別の判断もできないほど酷いありさまである。両手を合わせて、その死体に銃口を向けた。


(このままだと多分、この死体はゾンビになる)


 それは学校で嫌と言うほど見た光景だ。いずれこの死体は罪のない人間を襲う。なら、ここでしっかりと息の根を止めてやるのがせめてもの救いだと信じたい。


 それはただの建前で、偽善だ。


 引き金を引く。


 躊躇うことはなかった。


(俺は何様だよ。神様にでもなったつもりか? この武器が自分の元に届いてきたのは何故? 俺は悪いことをしているんじゃない。生存者を救うために、自分が助かるために化け物を殺す)


 そんなあなたは、人間?

『――鐘の音――』


「もとは人間……いや」


 引き金を引くと同時に食い散らかされていた死体が爆散する。コルトガバメントはゾンビや化け物しか殺せない。生きている人間には無害な武器である。


「今更考えても手遅れだよな」


 考えるのをやめたシンヤはトイレに設置されている洗面台で血を洗い流す。しかし、正面に設置されている鏡は自分の本心を裏切るように、悲しい表情を浮かべていた。


「はぁ、下らねぇ」


 不思議な感覚だ。


 全くと言っていいほど、表情と感情の整合性が取れていない。


 そして強奪した衣服を着用しようとした時、鏡の隙間から『枝木』のような物が視線に映り込み、違和感を抱いた。しかしシンヤがその違和感に気付くのは、異変が起きた後のことになる。状況が徐々に最悪な方向へと向かっている事に、リアを含めて誰も気づいていない。


 シンヤにとって大切なピースを失う結果になることも。


■□■□


「カツン……カツン」


 それはショッピングモールリオンと山を繋ぐ、森に囲まれた一般道路の真ん中で鳴り響く歯の音だ。リアが乗っていた自動車に潰され、体中の皮膚が熱で溶けたまま、足を引きずりながら歩くカブリコの姿があった。リアとの戦闘で負傷した傷は徐々に再生を始めているが、その再生の仕方は異質な物である。


 皮膚が綺麗に再生することは無く、肉片に肉片を無理やり繋ぎ合わせたような、再生と言うよりは進化の過程と呼ぶべき姿。


 そして覚えたての言語で自分の感情を口にする。


「カツン! コ、ロ、ス」


 その背後には、山で殺された大量のゾンビ達が並んでいた。


 そして問題はカブリコだけではない。


山中がゆっくりと動き出し、所々で真っ赤に充血した瞳を持つ鳥が声を上げながら、その場から離れようと鳴き声を発している。大地や樹木が山の頂上付近に集まり、それは『巨大な顔』の形へと変わった。枝木に吊るされている死体は干乾びて地面に落とされると同時にゾンビとなり、そのままカブリコの背後に並びだす。そして真っ赤に染また葉は、まるで秋に見せる紅葉のようだ。


【ラミリステラ】――それはオブ・ザ・デットの世界で最も巨大な化け物として登場しており、信条シンヤが苦手とする相手である。


 山はいずれ、人間の姿へと変わっていく。


 それは『小さな少女』の姿だ。


「あ、遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ……だだだ誰か?」


■□■□


 三階通路に到着したリア達が目にする光景は、酷いの一言に尽きる。所々で倒れている死体がゾンビ達に捕食されている光景だ。


 そしてカオリとツキの表情が固まる。


 腕や足が地面に転がり落ちており、数十体にも及ぶゾンビ達がピクニックで昼食を囲むように集団で死体を食していた。噛み千切られる皮膚にツキが目を逸らし、カオリは眉間にしわを寄せて口に手を当てている。


 しかし、そんな光景をリアはただ黙って見ていた。


 カオリやツキが頼れる唯一の存在であるリアは、ゾンビ達の元へと足を進めた。ゆっくりと近づき、リアと視線をかわした三体のゾンビが一斉にこちらへと走り出す。


「リアちゃん!」


「……」


 返事はない。しかしカオリとツキはリアの大きく見える背中に、どこか安心感のような物を抱いていた。表情は見えない。しかし黙って歩いているだけで心強く感じる。


「頑張って」

(リアちゃんなら、大丈夫だ)


 そう、思わせてくれる。


 しかしリアは、その光景にどこか恐怖していた。平静を装いながらも気持ちは限界を越えている。目の前の死体、そこに自分はいずれ立つのだろうと思えてしまった。


(これが、足掻いて、足掻いて、足掻いて……私に待つ未来の光景)

(死ぬ気は無い、しかし)


『人はいつか死ぬ』――その先の終着点がこの光景なのだろう。近い未来、病院のベッド上で皆に囲まれながら死ぬことは出来ない。どんな形であれ、死ねば自分自身の肉体はこのように片付けられ、いずれは人々を殺す化け物になるに違いない。


「これが未来の光景、可能性を残したくなるものだね」


 今までは自分のことしか考えていなかったリアだが、ツキを助ける選択を取ったためか、ここで久しぶりに我に返ったように他人のことを少しだけ考えた。


 しかし――パチ……。ノイズ音が頭に響く……


≪それは君には必要のない感情だ。目の前のゾンビを殺したまえ。君では信条シンヤのようにはなれないのだから、手元にある武器は『人』も殺せるのだよ≫


 それは深層意識の中で訴えてくる何かだ。まるでリアの大切な物を壊すような声が聞こえた気がした。


「ふぅ、誰だい?」


 それはただの独り言だ。深層意識でしか感じ取れない声に対して質問を投げかけた、ただの独り言だ。本来であればあり得ないことが起きているのだが、それを認識できる化け物は『未来の天能リア』だけである。


≪合格なのだよ。私にはもう無い物で、君がいずれ失う物でもある。今だけはその感情を大切にするといい≫


 そして大量の十字架がリアの背中に積まれていく感覚。走り出す一体のゾンビに回し蹴りを入れた。そのままゾンビの首が折れると同時に頭部がぶら下がる。そして飛び出してきたもう一体のゾンビが爪を立ててリアに近づくが、裏拳で伸ばした腕をどけて、柔らかな眼球に中指の関節を立てた拳で殴り飛ばす。


 二体のゾンビは、転落しないように設置された柵にもたれ掛かる形で並んでいた。そしてラストのゾンビがリアに突っ込んできたが、腕を掴んで勢いを利用し、空中を一回転させながら二体のゾンビにぶつける。


 重みに耐えられなくなった三体のゾンビが一斉に一階へとバランスを崩して転落した。そして一階から響き渡るのは、液体が地面に叩きつけられた音だ。


 カオリとツキは、そんなリアの姿に憧れのような物を抱きていたが、リアは更に重みを増した十字架が一滴の涙に変わる。汗と勘違いしてリア自身も気づいていない、無意識に流れる感情の欠片だ。


「さぁ、先を急ぐのだよ。この階は危険だ」


 振り返ったリアの表情は、普段通りの自信に満ち溢れた表情をしていた。自分のやる事に失敗はあり得ないと言い切ってしまいそうな表情だ。そんな人間が近くにいるだけで、カオリとツキの緊張感は和らいでいく。無駄な力が抜けていき、上がっていた肩がゆっくりと落ちる。


 天才とは、普通の人間以上に物事の本質を捉えることが出来るかもしれない。しかし、知識とは武器であり凶器だ。小さな出来事に目を向けた時ほど、その価値をしっかりと理解しなければならない。

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