第11話【絶望の始まり①】

 ろれつが回らないほど叫び声が出た。目が飛び出しそうな程開き……開き……そして口を抑える。


 それと同時に人間らしさを取り戻したと言いたくなる程の現実逃避が始まる。


 ――はは、いやいや、ありえないだろ……こんなの?


 体の力が抜けて膝が地面に付く。体を小さくして震えを抑える。血を見たせいか、指先にすら力が入らない。


 グロイ映画やアニメや動画は人生で1度は見る機会が訪れるだろう。そのおかげか、映画のグロイシーンを見たような感覚と、これはリアルで起きた真実だという気持ちがごっちゃになり、夢の中にいるような気分だ。


 ――パリン!


 窓ガラスが割れた音がした。多分、学校の中にあの化け物が入って来たのだろう。それと同時に先程と同じぐらいの地震が何度も起きる。ガラガラと継続的に起こる揺れは、地震などの災害とはまた違った揺れ方をする。工事現場の中心にいる気分だ。


 でも、俺には関係の無いこと……だ……?


 そこで常識的なことに気付く。現実逃避のしすぎで今の状況に頭が追い付いていない。人間はピンチになるほど余計な行動を取ると言うが、シンヤの場合は何もできずに状況が悪化していくタイプらしい。


 いや、違うだろ!? 学校に侵入したんだぞ!? ここにいたほうが安全か? だが、屋上って逃げ場がないって言うから……っく……どうする?


 相当自分が混乱していることに気付き、シンヤは自分の教室に戻ることにした。


 理由はない。人間は異常事態に陥った時、同じ状況に陥っている人間に会いたくなる。例えばギャンブルで大負けをした人間はネットでさらに負けている人間を探して救われたり、吊り橋効果で互いを求めあったりすることもある。


 学校に不審者が入ってきたら一人で取り残されるよりも集団で行動していたほうが安心する。理由があるとすればそんなところなのかもしれない。


 窓ガラスから再び階段通路に入るが、そこではすでに大勢の叫び声が4階にいるシンヤの耳にまで届く。足を止めて自分の教室である2階まで降りるか迷った。しかし状況が悪化する前に動いたほうがいいだろう。


 シンヤは4階から3階への階段を歩いていき、3階の様子をまずは見た。今年入学したばかりの1年生の教室が並んでいる。少し前までシンヤもそこで授業を受けていた。


 ざわざわと1年生の間で声が聞こえる程度で、人間関係もまだ出来ていない時期だ。下手な行動を取る生徒はいなかった。


 大勢の叫び声が反響し、化け物が1階にいるのか2階にいるのか分からない。3階から2階に足を進めるのが怖かった。化け物と出くわしたら確実にシンヤは死ぬ。


 次の瞬間には――壁が破壊される音と、人の叫び声……そして何かシャボン玉のように破裂する音……体の震えが止まらない。激しい学校全体の揺れ、ここにいる1年生たちは今の状況を理解していないためか、不安が大きい。中には泣き出す生徒もいた。


「「「「うわぁぁぁっぁぁぁっぁぁ」」」」


「「「「「きゃっぁぁっぁぁぁあぁあっ」」」」――……」


「っ!」


 はっきりとした叫び声が耳に入る。階段の真下に化け物がいることを理解したシンヤ。気になるのは女子生徒の声が1つ、途中で綺麗に途切れたことだ。テレビをいきなり消したように。


 その女子生徒がどうなったのか分からないが、想像がついてしまう。


 多分、殺された。


 1年生の生徒たちはどうしたらいいのか分からず、中には特別教室や職員室が並ぶ南校舎へ移動する者もいた。その選択は多分正しいのだろう……化け物から距離を取るのは選択肢としてありだ。


 しかしシンヤは動けずにその場を立ち尽くしていた。現状を知っているからこそ、恐怖でそこからなかなか足を進められない。そこへ教師からの放送が入る。


「ただいま学校に不審者が侵入! 直ちに学校のグラウンドへ避難してください! 繰り返す……」


 この放送を聞いた1年生生徒達のざわめきは更に増す。この学校にはテニスコートや第2グラウンドと言った場所が学校外にも存在する。


 グラウンドと言われて行動を移すにはこの学校での生活があまりにも足りていない。


 それに先生達は昼休み中南校舎にある職員室に集まっている。北校舎で現在起きている問題に駆けつけるとは思えない。ただの不法侵入者なら問題ないだろうが、今回はあの化け物だ。先生が逃げ出すのは火を見るよりも明らか。


 やばいやばいやばい……どうする? とりあえず自分の命が大優先……後輩のために動けない先輩を許してほしいが、自分の命は自分で守ってくれ……


 この状況をはっきりと理解している生徒はシンヤを含めても多くない。


 真下にいた化け物が離れていくのが分かる。叫び声が徐々に遠ざかっているためだ。今なら急いで1階に行けると考え、シンヤは行動に移して2階へと降りていく。ガタガタと震える足が階段を上手く降りることを許さない……老人になった気分だ。


 覚束ない足で何とかゆっくり、ゆっくりと、2階へと降りたシンヤが目にした光景は地獄と絶望をぐつぐつと煮込んだ後に、人間の血を上からぶっかけたような男料理に近い光景だ。


「エ……?」


 2年生教室が並ぶ2階は、血と肉と割れたガラスの破片、そして……死体。おまけと言わんばかりに廊下が崩落していた。1階と2階の廊下が繋がっている。


 ギリギリ崩落していない廊下の端っこ側に、裏門前で見た化け物の後姿が映った。過呼吸になりながらその化け物の後姿を視線に焼き付ける。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」鉄の匂いがする。人の死体がたくさん……うぅ


「おおぉぉっぉぉおおおえぇ……」


 胃の中に入っていたすべての物が嘔吐する。目元に涙を溜めて、気付かれるんじゃないかという恐怖がシンヤを襲い……体が動かない。化け物の正面には、女子生徒が腰を抜かして数名固まっていた。


 シンヤは『何やってんだ……早く逃げろ……死ぬぞ!?』と心の中で何度も叫んでいるが、声には出ない。


 化け物の右腕が巨大化し、腕を振り上げる。そして勢いよく振り下ろされると同時に、学校中が揺れる。シンヤは目を強く閉じてしゃがみ込んだ。


「っくくぅうう、なぁんだよぉぉ……ごれ!?」


 体中を震わせながら化け物から少しでも離れようと動こうとするが、立てない。体が言うことを聞かない、本物の恐怖を初めて知った。


 次の瞬間――重みに耐えられなくなった学校が悲鳴を上げるようにバキバキとコンクリートが割れる……亀裂が亀裂を生み、そして……シンヤを絶望に落とす。


 化け物の衝撃に耐えられなくなった北校舎の3階が崩落した。


 3階の崩落は2階の崩落へ、そして北校舎は壁を残して、地面だけが抜け落ちたように半壊する。生徒教室が並ぶ北校舎は使い物にならなくなっていた。


 シンヤは階段付近にしゃがみ込んでいたためか、崩落の影響を受けることは無く、何とか生きていた。しかしここも安全とは言い難い。今にも崩れ落ちそうな階段を使い、手すりにつかまって滑り落ちるように1階へと向かった。


 1階は壁がほとんど無くなっており、階段を降りた瞬間に太陽の光が差し込む。2階と3階の瓦礫が重なり、小さな山道が出来ていた。そして正面には化け物が入って来た学校の裏門が見える。外へ出るための出口が目の前にあるのだ。


 学校から出られる……はやく! 速く!? 早く!!


 体を引きずるように外へと向かう。恐怖で動かない体に鞭を撃つように、何とか学校の裏門から脱出しようとした。


 しかし――、シンヤは誰かに足を掴まれる。


「へ?」


 視線をゆっくりと向ける。


 そこには化け物に潰されたのだろう、下半身が存在しない女子生徒の姿があった。 内臓は飛び散り、動けるはずのないその女子高生はゆっくりとこちらを向き、白目でシンヤを覗いていた。


「ぁぁ……ぁぁ……アア……」


 空気をはく音と喉の声が重なり、まるでゾンビのような乾いた声が複数聞こえる。それは映画などでよく見る光景……あり得ない事実にシンヤは首を軽く曲げて乾いた笑みが漏れる。


「はは……」――ゾンビだ。


 シンヤは脱出することばかりに気を取られて気付かなかった。――死んだはずの生徒たちがみんな動いている。そして……ゆっくりと確実に、シンヤを囲んでいたことに。

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