第17話「趣味じゃないわ。もう人生をかけてる」
衝撃の告白にヴェルナーが固まっているのをみて、ヤスミンカは説明の必要性に気づいたらしかった。
取り立てて表情を変えることなく、今夜は星が綺麗ね、という程度の口調でいう。
「ロケット開発って、思った以上にお金がかかるのよ。
わたしはごらんの通り子どもだから、どこも雇ってくれなくて。
一番価値のあるわたしに値段がつかないなら、二番目に価値のあるものを売るしかないじゃない?
家、というか土地が、まとまったお金になるって知識はあったから。
案外簡単に売れたわよ。
仲介業者を探して、契約書を調えて、サインしておしまい。
わたしひとりなら、工房で寝泊りすればいいだけの話だし、誰にも迷惑はかからないから、気楽なものよ」
絶句しているヴェルナーに、ヤスミンカは言い添える。
「だから、お金の心配は、あまりしなくても大丈夫よ。試作機なら、あと一台くらいは作れるはずだから」
ヤスミンカから語られるのは、ヴェルナーには及びもつかなった怒濤の現実である。
ヴェルナーは天を仰いだ。星が、申しわけなさそうに光をはなっているのがみえた。
「まって。本当に話について行けていない。ヤースナ、家族は?」
「家族もなにも、わたし、この国にきてからずっと一人暮らしよ」
「なんで」
「家庭の事情というやつよ」
ヤスミンカはあっさりといった。
「君、お嬢さんだろう?」
途端にヤスミンカの動きがとまった。顔の右側だけが、ランプに照らされている。ヴェルナーは、愛らしく整った顔のなかに、空色の瞳のなかに、挑戦的な色が見えた。
「わたしはお嬢さんなんかじゃないわ。
だって家族がいないんだもの。
ひとりで生きていけるよう、自分を鍛えてきたのよ。
だからわたしは、誰かにかしずかれてしか生きていけない、情けない生き物なんかじゃない。
だいたい、突き詰めるとひとは、ひとりで生きて、ひとりで死んで、ひとりで塵になるのよ」
「それは極論だよ、ヤスミンカ」
「わかっているわ。
でもわたし、極論が大好きな人間なのよ。困ったことに」
そういうと、ヤスミンカは静かにスカートの端を握りしめる。手が白くなるまで。
その様子が、自分自身を傷つけているようにみえて、痛々しかった。
「教えてくれ、ヤースナ。なにが君を、そこまで駆り立てるんだい?」
「それを話すとなると、すっかり日がくれてしまうんじゃないかしら」
ヤスミンカが冷たく言い放つ。
とっくに陽がくれていることは、ヤスミンカも承知している。帰れ、と言外に主張していることは明白だった。
ヴェルナーは複雑な気持ちで、ヤスミンカをみつめた。
ロケットに掛ける行動力に尊敬の念が二割に、困ったなあという気持ちが七割。残りの一割はよくわからない。
たぶん、目の前のヤスミンカという少女の気持ちの深い部分が、ヴェルナーには理解できないのだ。
ロケットのために平気で家を売る。
機械が好きで、基地に泊まることをなんとも思わない。
家族の話をすると怒る。
友だちもいない。いるかもしれないけど、うんと少ない。
でも、自分と会話をしているときのヤスミンカは、とても楽しそうにみえる。
自分には帰る家があり、自分の半分くらいの年齢の少女に、帰る家がない。
この状況でどうするかなんて、問うべくもなく。
ヴェルナーは、ため息をついていった。
「とりあえず、今夜は僕の家においで」
ヴェルナーが提案する。
ヤスミンカは露ほども想像もしていなかったようで、先ほどまでの怒りは鳴りを潜め、きょとんとした顔で青年を見上げ、真意を探るような視線を向けた。
言葉の意味がじわじわと彼女の心に染み入るにしたがって、彼女の顔にかすに喜びの色があらわれた。
深い輝きをおびた瞳は、さきほどまでの、すれたところも斜にかまえたところもない。一途で、純粋で、まっすぐで、まるで別人のような印象すら抱かせるほどだった。
それから、自分の心の緩みをかき消すかのように、両の手で顔をこすると、顔をしかめてみせた。ヴェルナーに挑むような口調でいう。
「迷惑になるわ」
「むしろ、君がひとりになる前に気づけてよかったと思ってるよ」
ヤスミンカは、探るような視線を向ける。
「変なことするつもりでしょう?」
すこし考えてからヴェルナーは尋ねた。
「変なことって?」
「男のひとって、わたしくらいの歳の子をみると、野獣になるんでしょう?」
誰だ、年端のいかぬ少女に、馬鹿なことを教えたのは!
ヴェルナーは胸のうちで、影も形もしらぬ誰かを呪った。
そこでふと、気づく。ヤスミンカは天才だ。でも、どうにもその知識は、書籍で手に入れたような、不自然な偏りがあるのだから……。
「今夜は月が出ていないよ、ヤースナ」
「そうなんだ。それじゃあ、あと半月は、大丈夫ね」
ヴェルナーのその一言で、ヤスミンカは納得したらしい。
ヤスミンカはなんのためらいも迷いもなくヴェルナーの手を握りしめる。というより、全身で左腕に抱きついている。
「さあ、はやく行きましょう。あなたがどんなボロ屋に住んでいるか、わたしが直々にみてあげるんだから」
無邪気な表情を見せるヤスミンカは、まちがいなく、野獣という表現の正しい意味を知らないでいる。
どうにも、この少女は危うい。決断が常軌を逸している。誰かが引き止めることを教えなければ、この少女はどこまでも進み、倒れてしまうだろう。
誰かが守ってやらねばならぬ。
誰も手を差し伸べないのなら、自分が。
その気持ちがどこから来たのかは、ヴェルナーにも説明できない。ただ、そうしなければならないと、自然と思ったのである。
自転車を押しながら、工房をあとにする。繋いだ手の中の温もりを感じながら、ヴェルナーはしみじみといった。
先ほどからヤスミンカは、はやく行こうと袖をひっぱっている。
青年を見上げるヤスミンカの表情は、信頼に満ちていた。
「まったく、世も末だね。なんで未成年が家を売れるんだろう」
「世の中はお金さえ出せばなんでも解決してくれる大人が、一定数いるからよ」
斜にかまえたことを、純粋な少女が口にする。それがおかしくて、ヴェルナーはくすりと笑って、彼女の考察の漏れを指摘する。
「趣味のために家を売っ払う子どもがいることにもびっくりだよ」
ヴェルナーの進言は、しかしヤスミンカの胸には届かなかった。彼女は、あっけからんとした口調でいったのである。
「趣味じゃないわ。もう人生をかけてる」
ヤスミンカの答えは、彼女の無謀な生き方そのものだった。
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