第9節 自由の風
―アルカディア大陸東北中部 湖水地方シルバニア―
『征服者』ディエゴ・ピサロは、己の執務室で激しく腰を打ちつけていた。
その顔は底なしの支配欲を満たそうと、醜悪に歪んでいる。
ピサロはどす黒い欲望を吐き出すように脈打つと、満足したように一息ついた。
そして、後ろから腰を打ちつけられていた副官兼愛人グウィネスは、息も絶え絶えにピサロの執務机に体を預けた。
このグウィネスは、ピサロによって滅ぼされたダークエルフの帝国の皇帝の異母妹、元皇女であった。
ピサロの策略に敗れ去った皇帝は、命乞いの為に大部屋を埋め尽くさんばかりの金銀財宝を差し出し、妹であるグウィネスをピサロの妾として差し出した。
しかし、ピサロはこれほど莫大な身代金を受け取ったが、皇帝をあっけなく処刑した。
さらに、抵抗を続けた帝国軍をことごとく退け、帝国は滅びた。
こうした事情があるにも関わらず、グウィネスはピサロに忠実に仕えている。
その真意が何なのかは、本人にしか分からないことだ。
「服を正せ。行くぞ」
「……は、い」
グウィネスは、ピサロに命令されるままに乱れていた衣服を着直し、愛人の三歩後をついて執務室を出た。
廊下を大股で歩いたピサロは、連邦軍の支援者フランクリンの実験室前にやって来た。
と、その時、実験室の中から何かが爆ぜる音が砦内に響き渡った。
連邦軍の兵たちは何事かと大慌てでやって来たが、その現場がフランクリンの実験室であったため、いつものことかとホッと大きく息を吐き出して、元の配置場所に戻っていった。
「ゲーッホ、ガッホ!」
「クックック。実験はどうであった、フランクリン殿?」
ピサロは実験室の中で大きく咳き込むフランクリンに笑いながら話しかけた。
フランクリンもピサロがやって来たことで、ニヤリと不敵に笑った。
「おお、ピサロか! ああ、大成功じゃ! カッカッカ、こいつで『雷帝』の力を削げるというものじゃ!」
「クックック。さすがは『ザイオンの民』最高の頭脳だ」
「侮るでないわ! わしの頭脳はァァァ、世界一ィィィィーーーーッ!!」
「お、おう、そうか」
うぬぼれの強いフランクリンに、ピサロは戸惑い苦笑いだ。
だが、ピサロはこの自己陶酔している老人の能力を認めていることも事実だ。
400年前の聖魔大戦の遺物である転送装置を小型し携帯可能にした。
ダークエルフの帝国を蹂躙した兵器の提供。
そして、聖教会へ対抗するための秘密兵器の建造など。
何よりも、この独立戦争開戦までの絵図を描いたこと。
その手腕は、策略家であるピサロですら舌を巻いていた。
「クックック。厄介なライネスを封じることが出来れば、この戦争の勝算も出てきたというものだ」
「だが、『神の子』はどうするのだ? まだ最強が残っているではないか。」
「フッ! あの小僧は恐るるに足らん。所詮あの小僧は、個人の戦闘能力が高いだけだ。いくらでも封じようがある」
「……ふむ。『征服者』の戦略というのを見せてもらおうではないか」
二人の暗い笑いが実験室内に低くくぐもった。
ちょうど同じ頃、サム・アダムスは『自由の子どもたち』と集会を行っていた。
その主要メンバーは、リーダーのサムを合わせて9名、ワトソンの孫娘イヴもサムの隣りにいる。
他にも、若い兵士たちも集まっている。
「なぁ、サム? 軍事会議は何か良い策はあったのか?」
サムの対面に座るスラリとした細面の美男子のジョージ・ハンコックは、静かにサムに問いかけた。
ハンコックは裕福な造船業者の跡取りであり、植民地最大の大学に通うことになっていたほどのエリートだった。
だが、2年前の軍による虐殺事件で両親を失い、幼馴染のサムとともに行動を共にしていた。
「特にいい話はないさ。ただ、ピサロ総督が自分の能力がいかに長けているのか雄弁に語っただけだったよ」
サムは皮肉に肩をすくめると、フッと鼻で笑った。
「なるほどな、あのゲスの極み野郎らしいぜ!」
ピサロに対する不快感を隠すことなく吐き捨てたのは、ジョセフ・オーウェンである。
正義感にあふれる熱い男であるため、手段を選ばない暴虐非道のピサロを毛嫌いしていた。
司令官のワトソンから一部隊を任せられるほどであり、少年兵達をまとめている。
「ああ、そうだね! あのヒヒオヤジは信用できないよ!」
男勝りの錬金術師ポーラ・リディアも同じ意見のようだ。
彼女の場合は、女の敵ということで嫌っている意味もあると思うが。
他にも、『自由の子どもたち』のメンバーは口々にピサロを罵っていた。
サムは苦笑いを浮かべながら聞いていた。
「ねぇ、サム? あなたの意見も聞かせて?」
イヴは上目遣いにサムへと問いかけた。
サムは、仕方がないとため息をつき、一段高くなるように木箱の上に立った。
「みんなは、大人たちの作戦にそれぞれ言いたいことがあると思う。オレたちの自由への戦いは今、まさに窮地に立たされている。この独立戦争が成功するかしないか、正義か悪かなんて今はまだ分からないことだ。でも、これだけは忘れないでほしい」
サムは言葉を区切り、集会に集まったメンバーたちを見渡した。
誰もが食い入るように真剣な眼差しでサムを見つめている。
「自由は、権力者たちだけの特権じゃないんだ。自由に生きるための人権は、みんな生まれながらに持っているんだ。国が、聖教会が出来る以前から、神に与えられた当然の権利なんだ。権力者達だけが特権を持つなんて考え方は、自由なんかじゃない!」
サムは何かが宿ったかのように熱弁を振るった。
その視線の先には、独立戦争の標語『
「自由の原則は、どんな身分の者たちも平民も貴族だって、神や自然が定めた絶対の法則で、王と同じように息をして、光を見て、風を感じることが出来るんだ! 食事をしたり、服を着たり、安心して暮らせる家に住める、それが自由だ! だが、そんな当然の権利すら、権力者たちに奪われようとしている! オレたちは、平民だからといって二度と泣き寝入りなんかしない! 何度踏みつけられたって、その度に立ち上がろう!
このアルカディアに、自由の風を吹かせよう!!」
サムが演説を終えると、集会場から大歓声が上がった。
そのサムを、父親であるアダムスは静かに見つめていた。
―アルカディア大陸南東部 大農園地帯、ニューオルレアン―
この街は、綿花、砂糖、タバコなどの大規模農園(プランテーション)によって大きく栄えている。
かつてはフランボワーズ王国領だったが、10年戦争を経て、現在はアーゴン王国領となっているが、フランボワーズ王国式の大きな尖った屋根、木造の壁、精巧な鉄細工のバルコニーで飾られている。
人々の表情は明るく活気があり、どこまでも発展していく街並は、
しかし、それは表向きの顔である。
その裏では、その何倍、何十倍もの多くの血と涙が流されていた。
ここにはアルカディア大陸最大の奴隷市場があり、暗黒大陸から連れ去られてきた魔族や獣人たちが、今日も家畜として鎖に繋がれている。
港では、鎖に繋がれた魔族や獣人たちが木造帆船の奴隷船から降ろされていた。
その姿は、衰弱しきって目には生気がなく虚ろである。
彼ら彼女らは、何ヶ月もの長い航海を熱帯気候の炎天下の中、貨物船室にすし詰め状態で閉じ込められ、鎖で繋がれていた。
暗黒大陸からアルカディア大陸への航海は、危険が多く、コストも高くついた。
全ては利益を増やすためだけに、まるで収納棚の中の衣服のように整然と詰め込まれたのだ。
そう、奴隷商人たちにとって、奴隷とは命ではなく、ただの商品としてしか見ていないのだ。
この過酷な航海の中、奴隷たちの扱いはひどいものだった。
奴隷たちの食料は1日2回でごくわずか、船の上で貴重な水は1人当たりたったの1日1リットル、多くの奴隷たちは脱水により亡くなった。
奴隷たちの繋がれている鎖は、反乱を防ぐための魔封じの魔道具でもあったのだ。
魔法による自己防衛が出来ず、この航海で1船当たり15%もの死者を出した。
もちろん、死者は飢えと乾きだけではない。
このあまりの密状態で、大小便の処理すらも行われなかったため、最悪な衛生状態の中、赤痢、壊血病、天然痘、梅毒、麻疹などのあらゆる病気が瞬く間に蔓延した。
奴隷船内は、男性奴隷と女性、子供の奴隷は別の貨物船室に分けられていた。
梅毒等の性感染症があったのは、女性や子どもたちが船員から強姦や性的虐待を受けたからである。
水食料を節約するため、病気にかかっていそうな奴隷には一切食べ物を与えないという奴隷船もあったほどだった。
中には、船員の命令に従わない奴隷たちもいた。
その度に、いろいろな理由で処罰を受け、殴られたり鞭で打たれたりすることはザラにあった。
最も重い処罰は、反乱を試みた奴隷に対してなされるものだった。
ある一例として、船長を殺して反乱を起こそうとした奴隷たちは、その仲間のバラバラにされた肉を無理矢理食べさせられた。
この地獄の航海によって、奴隷たちは心と精神を壊され、奴隷根性を刷り込まれるのだ。
こうして、従順な奴隷たちを作り上げ、奴隷市場へと卸されていった。
そして、各地のプランテーションへと最安値の労働力として買われていったのだ。
この非人道的な奴隷貿易が成り立つ最大の理由、それはとてつもなく儲かるからだ。
この奴隷貿易は3つの側面があり、三角貿易と呼ばれる。
1つ目、聖教会圏からは、武器防具、魔道具、衣類、酒類、その他完成財が輸出される。
2つ目、暗黒大陸からは、安価な労働力の奴隷が運ばれる。
3つ目、アルカディア大陸からは、奴隷たちによって得た、プランテーションからの原料である。
これらの三角貿易の収支を計算すると、粗利益率は驚異の50%超えなのである。
利益を享受する聖教会圏諸国が、独立戦争を必死で勝利しようとするのは、理解に容易いことだろう。
また、聖教会の教えで、魔族や獣人たちを人として扱っていないことも、世論の反対がないのかもしれない。
この地に降り立った『魔王』カーミラは、孤立無援の中何が出来るのだろうか?
プランテーションでは、奴隷たちのブルースが今日も響き渡る。
「神よ、時々どうしても泣かずにはいられない。
神よ、時々どうしても泣かずにはいられない。
…………
…………
母さんは栄光の国へ行ってしまった。
神よ、俺ももうじきですね。
父さんも行ってしまった。
姉さんも待ちきれずに。
日々、神への信頼は厚くなる。
…………
…………
神よ、時々どうしても泣かずにはいられない。」
―ブラインド・ウィリー・ジョンソン Lord, I just can't keep from cryingより―
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