湖面に映る私



「フゥ……フゥ……フゥ……」


 顎から滴った汗が、足元の血溜まりに波紋を描く。


 数匹の龍と一緒に、天井の一部が崩落して湿った音を立てる。

 巨大なクレーターが幾つもできた床は、夥しい量の龍の死体と血に覆われている。

 咽せ返る様な鉄の臭いが充満する空間は、最早原型をとどめていない。


「……ッグゥ……ル、ゥル……」


「フゥ……フゥ……フゥ……」


 最後まで立っていた黒龍が地に伏し、アーサーは戦斧を地面に突き刺した。

 彼女は壊れて使い物にならなくなった胸当てを投げ捨て、膝に手を突いて息を整える。

 その全身は所々服が破れ血が滲んでいるだけで、他に目立った外傷はなし。


 処刑場に放り込まれて僅か一〇分、龍種一五八匹を鏖殺。


「フゥゥ、」


 返り血で汚れた髪を掻き上げ、額の流血を拭いたアーサー。


「ッ? っ!」


 戦斧を担ごうとした彼女の視線の先に、いきなり見知った鎧が現れる。


「っランスロット卿!」


「っアーサー⁉︎ よかった無事だったのね!」


 自分と同じく飛ばされてきたのだろうランスロットを見て、強張っていたアーサーの顔にも笑みが浮かぶ。


「これ、全部あなたが?」


「そうだ」


「相変わらずねぇ。怪我はない?」


「ない」


 大盾に長剣をしまったランスロットが、周囲に広がる惨状を見て苦笑する。


「卿も戦闘中だったか?」


「ええ。それでいきなり」


「好都合だ。私と卿が揃えば敵はない。私が先を行く、ついてこい」


「何を?」


「壁を砕いて進む」


 戦斧を引きずり前を行くアーサーの脳筋ぶりに、ランスロットも微笑み追従する。


 ……こんな時でもブレない背中。


 先導者足らんとする覚悟。


 本当は心配で怖い筈なのに、英雄足れと願った国民のために、鉄の仮面を貼り付け、圧倒的な力を振るう少女。



「アーサー」


「ん?」


 ランスロットには……エルザにはそんな彼女が、




「ごめんなさい」




 痛々しく思えてならなかった。



「――ッッ⁉︎」


 振り返った刹那、眼前に迫る長剣。

 アーサーは咄嗟にガントレットを構え受け止めるも、戦斧ごと弾き飛ばされ体が宙に浮く。


 瞬間大盾を構えたエルザが地面を踏み抜く。


「『Arondight』」

「――っな⁉︎」


 発光した盾の模様を見てしまったアーサーが硬直。


 直撃した大盾が彼女の体をブッ飛ばし、壁面に叩きつけ土煙を上げた。


「ッゲホっ、ケホっ、っ何、で……ランスロット、卿⁉︎」


 驚愕、困惑、疑問が入り混じる見開かれた瞳に、エルザは悲しげに微笑む。


「ごめんなさい、アーサー」


「違うっ! 理由、をっ、⁉︎」


 現状に理解が追いつかないアーサーは、動かない体を押して彼女に問う。

 しかしエルザの横に転移してきた騎士を目に、またしても言葉を失った。


「……ガラ、ハッド卿?」


 それは嘗て死んだ筈の、自分より前に活躍していた円卓の騎士。


 続々と転移してくる骸骨騎士は皆ブリテンの国章をつけ、最も信頼していた彼女にはいきなり斬りつけられた。

 有り得ない、意味の分からない状況に、アーサーの呼吸は荒くなり、ポタポタと冷や汗が地面に染みを作る。


 放心するアーサーを見つめていたガラハッドが、チラリと横の彼女に目を向ける。


「エルザ、私がやろうか?」


「言ったはずよアラクネ。彼女は殺さない」


「……そうだった」


 一歩引いたガラハッドと思しき騎士を、顔を上げたアーサーが睨みつける。


「……アラクネ、だと?」


「? そうだ。私がアラクネだ、よろしく」


「っ⁉︎」


 カサカサと鎧の隙間から這い出したアラクネが、ぺこりと頭を下げる。


「貴殿らと同じ様に、我々も自らの力に誇りを持ってい」


「ッ貴様が、ランスロット卿をォオ‼︎」


「む」


 バチバチとエルザの精神拘束を引きちぎるアーサーが、しかし次の瞬間四肢に光の聖釘を打たれ壁に縫い付けられ、更に糸でグルグル巻きにされる。


「おとなしくしていろアーサー殿。貴殿だけは助けるというのが、エルザの願いだ」


「他の、皆はッ」


「同胞達が生かすとも思えん。死んだのではないか?」


「っ、貴様らの目的は!」


「貴殿の国の滅亡だ」


「……な、……は?」


 口をワナワナと震わせるアーサーの目が、訴えかける様にエルザへと向く。嘘であれ、冗談であってくれ、と。


 そんな彼女に近寄り、エルザは優しくアーサーの頬を撫でる。


「……」


 見慣れた、しかしいつもとは少し違う彼女の表情。

 ……アーサーは理解してしまった。

 ランスロット卿は操られてなどいない。この顔に浮かぶ悲痛と覚悟が入り混じった優しげな笑みこそ、彼女の正気を証明する何よりの証拠であった。

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