瞬く星々に勝る一粒



 ――帰宅した4人は、部屋でテレビゲームをしながら寛いでいた。


「宝玉出た」


「うちも出た」


「お、僕も出た」


「……何で俺だけ」


 目当ての素材が出ず周回が確定する東条が、ガックシと落ち込む中、


「……。ごめ、ちょっと電話。3人でやってて」


「んー」「はぁい」「うぃ〜」


 ポケットで震えるスマホを見た灰音が立ち上がり、バルコニーに出る。


 生温かい潮風と、細波の音色が彼女の頬を撫で、柔らかな灰色の髪を揺らす。

 灰音は画面をタップし、スマホを耳に当てた。


「もしもーし、久しぶりっ」


『クフフっ、随分楽しそうじゃないの?』


「そりゃねぇ、僕今すっごい幸せだもん」


 電話の奥から響いてくる悪そうな笑い声に、灰音はベンチに腰掛けニシシ、と笑う。スピーカーの奥で会話相手、藜が苦笑したのが分かった。


『まったくよぉ、あんな騒ぎ起こしといて、気楽なもんだぜ?』


「あはは、それはごめんなさい」


『まぁ、見てて最高に面白かったから良いけどよ。凄いぞ〜?今事務所に1日100枚くらい殺害予告届いてるぞ?』


「え、大丈夫?」


『クフフっ、俺らは殺害予告なんて貰い慣れてるからなぁ。この紙再利用して、お前の写真集でも売ってやろうかって話も出てるぞ?』


「あははっ、性格悪すぎるよボスさん」


 灰音は一息吐き、足をブラブラする。


「でも僕の写真集作っても、もう売れないでしょ?」


『確かにな〜。……落ち込んでるのか?』


「まさか」


 灰音は笑い、夜天を仰ぐ。


「……アイドルになる以上、秘密は隠すべきだ。洗脳して得た人気だとしても、ファンにした皆を裏切っちゃったのは悪いと思うよ。うん。悪いと思う。

 ……でもね、そもそも僕は、皆の為に、とか、皆に笑顔になって欲しくて、とか、ましてや皆の彼女になりたいなんて、微塵も思ってないんだよ。心底どうでも良いんだよ。……そんなもの、あの日の赤い空の下に全部置いてきた」


『ククっ。……ああ、そうだな』


 灰音はあの日の沖縄、車の中で自分を引きずり込んだ悪魔の囁きを思い出し、微笑む。


「僕がアイドルになったのは、彼がその姿を見たいと言ってくれたからだ。ボスさんが背中を押してくれたからだ。アイドルになれば、彼への憎悪を消せたからだ。

 ……今思えば、ボスさんが僕をアイドルにしたかったのって桐将君のためでしょ?」


『さぁなぁ?』


「ま、いいよ。利害は一致してたわけだしね」


『……』


「僕は彼の為に、彼に笑顔になって欲しくて、……桐将君だけの女として、アイドルになったんだ。はなからその他に興味はないし、用は済んだからもういいかな」


『ククっ、酷っどいなぁ。ファンが聞いたら自殺しちまうぞ?』


「フフっ、僕も我ながら酷いと思うよ。でも実際、僕の心はこの状況に何も感じていないんだ。罪悪感も、後悔も、何も。

 寧ろ彼と一緒になれて、彼とまた過ごせて、余計な肩の荷が降りたって嬉しさすらある。

 ……とっくに人の、何か大切な部分が無くなってるんだろうね?僕は。……でも今は、それが心地良い」


『アイツの隣立つには、それくらいしないと釣り合わねぇよ』


「フフっ」『クフフっ』


 見上げる夜空に光る星から目を逸らし、灰音は暗い海を眺める。


「用意は?もう出来てる?」


『ああ。言われた通り、明日の朝に放送枠をねじ込んだ。準備は出来てるよ。日本がお前に注目する』


「ありがとね、ボスさん」


『……なぁ灰音……いや、ハイネよぉ?』


「ん?」


 スピーカーの奥で、紫煙が燻る。


『……お前のcellなら、まだアイドルを続けられるだろ?また心を上書きすれば、より強固な洗脳が出来る』


「まぁ、可能だね」


『……本当に辞めるのか?』


「……珍しいね。ボスさんがそこまで言うのは。そんなに僕良かった?」


『……ああ、お前のステージは俺も楽しみにしていた。良かったぜ?』


「……調子狂うなぁもう。……ふふっ、ありがと」


 ……思い返せばボスさんは、自分のステージアップの時はいつも見に来てくれていた。絶対に多忙な筈なのに。

 灰音は少し照れながら苦笑する。


「……でも、もう良いかな。僕も桐将君も満足した。今騒いでる人達を僕の力で黙らせたら、それで最後」


『……そうか。分かった』


「うん。今まで本当にありがと、ボスさん」


『クフフっ、今生の別れみたいな挨拶はやめてくれ。アイドルを辞めるだけで、他の仕事は続けるんだろ?』


「うん、モデルは続けたいと思ってるけど、ボスさんにはお世話になったから、海外の事務所にでも入ろうかなって」


『は⁉︎おいおい俺が大事な金づ……タレントをホイホイ他所に渡すわけないだろ!まだうちにいてくれよ?』


「……今金蔓って」


『何だ?電波が、あーあー』


 灰音は適当な藜にクスクスと笑い、溜息を吐く。


「……うん、分かった。まだお世話になるね」


『クフフっ、ああ、これからもよろしく頼むよ』


「じゃ、バイバイ」


『あいよ〜』


 通話終了を押した灰音はバルコニーの柵に肘を乗せて、細波の音に心を寄せ、潮風に吐息を逃す。


 そんな彼女の横に立つ人影。


「……よ、」


 同じく肘を乗せ、東条は暗い海を眺める。


「どうしたの?もう戻るけどつもりだったけど」


「いやまぁ、……2人になりたかったから?」


「えへへっ、何だよいきなりぃ?」


 悪戯っぽく笑う灰音に、東条もクスリと笑う。


「なぁ灰音、アイドル楽しかったか?」


「めっちゃ!桐将君はどうだった?僕の歌って踊る姿は?」


「めっっちゃ良かったぜ。興奮した」


「アハハっ、流石僕の選んだ人。最悪な感想だ!」



 ……穏やかな闇の中、波の音が2人の笑い声を拐ってゆく。



「……なぁ、灰音」



「んー?――ッ⁉︎」



 彼女の細い腰を抱き寄せた東条は、その柔らかい髪に触れ、……甘く……熱く……恋しく……愛おしい唇を奪う。



 2人だけ時間から切り離され、数秒の時が永遠の幸福に蕩ける。



 照れ臭そうに唇を離した東条。


 そんな彼の目に映ったのは、


「……へ?」



 ポロポロと涙を零す灰音の姿だった。



「え、ちょ、嫌だったか⁉︎ごめんっ」


「ちがっ違うっ、あれっ?ごめんっ、何これっ?ごめんちょっと、待ってっ」


 謝る東条に灰音は急いで涙を拭くが、溢れてくる涙が止まることはなく、彼女は諦めたように苦笑する。


「フフっ、ぁあ恥ずかしっ。うわぁ」


「あの、嫌だっらその、」


「嫌なわけないだろ?怒るよ?」


 目を細める灰音だが、零れる涙の所為ですぐにその表情も崩れてしまう。


「……桐将君さ、知らなかったでしょ?」


「え?何を?」


「桐将君から僕にキスしてくれたの、初めてなんだよ?」


「……え?嘘?マジで?」


「マジさ」


 灰音は1つ深呼吸し、夜空を見上げ涙を止める。


「……あの日僕は君を洗脳した。君の恋心は、本来は別の場所にある筈だったんだ。でも僕はそれが耐えられなかった。だから君の心を強引に捻じ曲げた。

 それは後悔していない、僕はそういう女だ」


「……」


「……でも、だからなんだろうね。君の方から僕に手を出してくれたことは、今まで1度も無かったんだよ。僕がアプローチをかけないと、君は動いてくれなかった。仕方ないとは思ってたよ、僕の所為だしね。


 …………でもぶっちゃけ、少し寂しかったのは事実さ。……最低だろ?」


 苦笑する灰音に、東条も微笑む。


「ああ、お前は最低な女だ」


「酷いなぁ、そこは慰めてくれよ?」


 東条は彼女を抱き寄せ、もう1度キスをする。


「……満足か?」


「……まだかなぁ」


 キスをして、強く、強く彼女を抱きしめる。


「……満足か?」


「……桐将君」


「……ん?」






「…………僕、やっぱり君のことが大好きだ」






 重ねられた唇。


 灰音の瞳から落ちた一雫は、闇に輝くどの星々よりも美しかった。




          §




「……ふぅ、」


 月明かりの差す自室、藜は軽く笑い、スマホを置く。


 机の上に飾られた、1つの写真。



「…………どうだ、楽しかったろ?……父さんは楽しかったぜ」



 彼の娘達が満面の笑みを浮かべる写真を撫で、藜も微笑む。


「ボス、」


「……。入れ」


「失礼します。真狐さんが来てほしいと」


「へいへい、案内して」


「承知しました」




 ……彼の出ていった静かな部屋の中。


 娘達の写真の隣。





 ……飾られた灰音と藜組幹部達の写真を、月明かりが優しく照らしていた。




          §




 ――翌朝、3人が見守る中、灰音は怒涛のアンチコメントが流れる画面に向かってマイクを持ち、笑顔を作る。


「うん、ごめんね皆。皆が怒る気持ちは分かるよ。

 ……でもごめん、僕も1人の女、恋心には勝てなかったよ!

 あはは、恋って凄いね。その人の為ならどんなことも出来ちゃうし、どんな壁も乗り越えられるんだ。


 ……僕は君達が思っているような、完璧な女じゃないんだ。

 1人で戦うのは怖いし、悲しいと泣いちゃうし、命を助けられて、甘い言葉をかけられたらすぐ惚れちゃうような、そんなただの女なんだよ。


 騙していてごめん。

 裏切ってごめん。

 それと、僕なんかを心の拠り所にしてくれて有難う。

 自分勝手過ぎて酷いと思うけど、正直楽しかった!ニヒヒ。


 まぁ僕こんな人間だし、これ以上話しても火に油注ぐだけだから、最後のお願い!

 色々あったけど



『こんな僕達を許して欲しい!それと僕を許してくれたその心は何も変じゃない!君達の優しさだよ!自分を信じて、これからも自分の道を歩いて行ってね!』



 じゃ!またね!」




 自分勝手にも程がある謝罪会見を一方的に切った灰音は、マイクを捨て大粒の汗を流す。


「ッゲホっ!ゲホッ!ゥグ」


「灰音、大丈夫か?」


「ぅん、ちょっと本気出したから、……ふぅぅ」


 口の端から垂れる血を拭い、灰音は笑う。


「……あんさんのそれ、どういう原理なん?」


「僕のcellは、遠ければ遠い程効力が落ちるの。このマイクのおかげで電波を通して、洗脳の種は一撃で植え付けられるようになったけど、完全な洗脳には反復が必要。今回はそんな余裕無かったから、1度に送れるありったけを注ぎ込んだ」


 灰音は水を呷り、プハー、と喉を潤す。


「今テレビを見てた人は、全員僕と桐将君を許して、僕の能力に対する僅かな疑問を、自分の優しさだと錯覚した筈。誰も僕の言葉に違和感を覚えない」


「……おっそろし」


「褒めてくれてありがと!」


 軽く笑う紗命に、灰音も笑う。


「てことで桐将君!」

「ぅお、何だ?」


 東条に抱きついた灰音が、楽しそうに破顔する。


「キスして!」


「は?やだよ」


「何で⁉︎」


 ハワイの青空の下、アイドルとは程遠い、1人の女のきったない泣き声が響くのだった。

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