67話

 

 地上の人間達からすれば、この一連の攻防は正に天変地異であった。

 大地が抉れ、空が割れたのだ。

 誰もが放心する中、氷室だけは、落下する瓦礫の中にある者を捉えていた。


「猫目ちゃん!あそこ!」

「にゃ――ッ」


 指をさされた方角に目を向けた猫目は、脚に魔力を収縮し、地面を砕き全力で駆けた。


 瓦礫に混じって、煙を上げながら落下する彼。


 猫目はここ大学で出会った、大体の人間が嫌いだ。しかし彼は違う。優しく、強く、尊敬できる人格者であった。絶対に、死なせてはならない。


「――っ、加藤さん‼︎無事にゃ⁉︎」


 間一髪ダイビングキャッチした猫目は、全身傷だらけになり髪から煙を上げる加藤を揺する。


 幸い命に達する外傷は見られない。あの攻撃を防ぎ切ったのだ。やはりこの人は凄い。


「返事するにゃ‼︎死んじゃダメにゃ‼︎し、心臓マッサージにゃ!」


 猫目は加藤を寝かせ、


「ニャ‼︎」ズドン

「ガっは⁉︎」


 一撃。目を見開く加藤が、咳き込み血を吐いた。


「良かったにゃ‼︎」


「ゲホっ、猫目さん。……気絶してたんですね。ありがとうございます。ゲホっ(と、トドメを刺されるところだった……)」


 心臓を押さえ、過去一の危機に息を吐く。

 そこに、


「ピィ‼︎」「ンゴォ‼︎」

「おぉよしよし」


 氷室と共に駆け寄ってきた二匹を、優しく撫でてやった。


「加藤さん、今のうちにゃ。奴が動けない内に、三人でここを出るにゃ。あたしなら二人くらい運べるにゃ」


 自分を救ってくれようとしている猫目に微笑む加藤だが、その笑みには隠し切れない申し訳なさが滲んでいた。


 何故なら、


「……すみません、猫目さん。恐らく奴は無傷です」


 その言葉に、二人が息を飲む。


「そ、そんな。あれは自爆攻撃ではなかったのですか?」


「っ今はどっちでもいいにゃ!この時間がもったいないにゃ!」


 無理矢理加藤を背負おうとする猫目を、二匹も手伝う。

 最早議論している暇などない。氷室を抱っこし、二匹が加藤の脚に掴まったのを確認した猫目は、思いっきり地面を蹴ろうとし、


 ……止めた。


「?猫目ちゃっ……」


 氷室も、彼女の見る方角を見て息を止める。


 そこには、少しだけ焦げた毛をはたきながら、ニヤニヤと笑みを浮かべ、此方へ歩いて来る白猿がいた。


「……どうして、あれだけの雷撃に巻き込まれて、何で無傷なの?」


「……」


 加藤には見当がついていた。


 雷槍が突き刺さる瞬間、白猿は全力の身体強化で守りを固めていた。

 そしてその一瞬で、身体に刻まれた『転移』の呪言を補修したのだ。


 そこからは見えなかったが、飛んだ先は恐らく、『白鯨』の中で自分が見送った瓦礫。

 あれは外れたのではなく、わざと外したのだろう。避難経路を確保する為に……。


 一体、どこまで賢いのだ。


 加藤は乾いた笑みを浮かべ、猫目をタップした。


「猫目さん、下ろしてください」


「で、でも」


「奴は今私にくびったけです。二人でなら逃げられるかもしれません」


「そんなこと――っ」


 その時、突然横の林をぶち抜いて嶺二が吹っ飛んできた。


 続いてゴリラと、ゴリラに掴まれる新。それを追って胡桃が飛び出してくる。


「イッてぇ」

「嶺二君、無事っ?」


 三人と一匹は白猿と猫目の間に割り込み、互いに睨み合った。


 しかし、


「……」

「ゴ⁉︎ゴアァ」


 遊びに夢中だったのか、後ろに王がいる事に気づいたゴリラは、急いで膝を立て敬礼する。


 続いて運よく『白鯨』を逃れたゴリラ達も集まり、王の前で膝を立てる。総数五匹。


 殺される。そうビクつくゴリラであったが、


―――――――これを守っていたのだな

「ゴ、ゴア」


――――ならば許す


「ォ、ォオオ」


 今の白猿はすこぶる機嫌がいい。

 不敬すらも見逃してもらえた。


 白猿は首根っこを掴まれた新を覗き込む。

 自身を見失ったその瞳に光は無く、抵抗する素振りも見せない。


 白猿は喜ぶ。やっと我々の同胞になることを受け入れてくれたのか。と。


 人間の協力者がいるだけで、この世界で出来る事の幅は大きく広がる。今すぐ今後の方針を立てたい、とワクワクする白猿であったが、


 それを許さない輩が、少なくとも二人、この場に残っていた。


「新君を返せッ‼︎」


 魔力で髪の毛を揺らめかせ、怒気を滾らせる胡桃が、鬼の形相で白猿を睨みつける。


「……姫野、アイツはまずい。勝ち目ねーぞ」


「うるさい。じゃあ春谷君は見てればいい。私一人で助ける」


「……」


 完全に怒りに呑まれた胡桃は、嶺二の言葉に耳を傾けようとしない。

 嶺二は仕方なく、ひん曲がったバットを構えた。


 白猿は鬱陶しそうに手を振る。


――――お前達は―――――残ってる人間を――――片付けろ――お前が―――――あの女と男を殺れ


「「「「ホッ」」」」「ホッ」


 これも一興、と白猿はその場に座り、猫目を睨み付けながら、加藤との戦闘で消耗した魔力を回復する。


 命令を受けた四匹は、逃げようとしていた人間達を囲む。

 一匹が新を手放し、胡桃と嶺二の前に進み出た。


「お前にっ、用はない‼︎」


 胡桃が地面を踏みしめると同時に、ゴリラの真下から土棘が飛び出す。飛び跳ねて躱したゴリラに合わせ、嶺二が風の塊を放った。


「ゴァ」


 しかしやはり実力差があり過ぎる。ゴリラは風塊を殴り壊し、棘の先端に着地。五つの火球を放った。


「うらァっ!」


 嶺二が一つをバットで相殺。残り四つが胡桃へ向かう。

 氷室が慌てて助けに入ろうとし、ゴリラがニヤついた、


 瞬間、


 胡桃の前から、全ての火球が消えた。否、『包まれた』。


「ゴ、ァ⁉︎」

「春谷君!合わせてッ‼︎」


 ゴリラが驚愕するも、それよりも早く胡桃は走り出している。全力の身体強化で、一気に敵へ肉薄する。


「無茶、言うぜ‼︎」


 嶺二がバットを振り上げ、地面へ叩きつける。同時にゴリラの真下から突風が吹き上げ、その身体を宙へと誘った。


 それに合わせ胡桃も跳躍。バタつくゴリラと、彼女の目が合う。


 胡桃の『抱擁』は、生物、無生物問わず別空間へと収納する。その効果範囲は、精々二m。

 故に、中身を当てるには対象に接近しなければならない。


「ゴルァ‼︎」

「グぅっ」


 ゴリラが空中で身体を捻り叩き付けた炎が、眼前の胡桃の左腕と左顔に直撃。機能を停止させる。


 しかし大切なものを取り返さんとする彼女の闘志は、その程度では消えなかった。


「ァアアッ‼︎」


 彼女が腕を振り下ろすと同時に、収納されていた火球が開放される。


「ガッはっ⁉︎」


 突如背中に走る四連撃、ゴリラは地面に向かって加速する。


 自身も落下する中、胡桃は振り下ろした手を再び突き上げた。


「ンンッッ‼︎」

「――ッぅゴブっ……ガ?」


 ゴリラは地面に衝突する寸前で停止した身体に、疑問を持つ。

 ……そして見る。自身の腹に突き刺さった、一本のぶっとい土棘を。


「ぐっ」


「姫野!」


 遅れて落下する胡桃に、嶺二が駆け寄る。


「私は、大丈夫っ。新、君を、助けなきゃっ」


「っその傷じゃ無理「嫌だ‼︎もう、大切な人を失いたくないッ‼︎」っ」


 彼女は学友を目の前で殺され、両親とも未だ連絡がついていなかった。

 きっともう……、そう彼女は確信していたが、心のどこかでは希望を求めていた。


 そんな時に手を差し伸べてくれたのが、新だったのだ。

 同じ学校から生き延びた二人は、同じ時間を過ごすにつれ、互いに惹かれあい、互いで心の傷を埋めるようになった。


 彼女にとって新は、白馬の王子様であり、恋人であり、感情の蓋なのだ。


 だから、


「私がっ、新君をっ、助けるッ」


 その目に彼を映して、ただ突き進む。


 そんな彼女の姿を見て、加藤が口を開いた。


「……姫野さん。貴女では奴に敵いませんよ。死にます。いいんですか?」


 これは身体を動かせない彼からの、精一杯の心配であり、最後忠告だ。


 加藤が最も大切にしているのは、その者の意志。何故なら、世界が変わったあの日から、自分がそれに忠実に生きてきたからだ。


 加藤は優しい人間だが、その内には純粋な冷酷さが介在している。この内面性は、死線を生き残った者に共通しており、常に世界を一歩引いて見ているのだ。


 自分は自分。他人は他人。それ故に、自分が動けなく、意思が執行できない今、加藤が最後に出来るのは彼女の意思確認だけである。


「……」


 無言は肯定の証。加藤は目を瞑った。


「っ、加藤さん」


 猫目の腕を解き、助けに行こうとする氷室を加藤と猫目が止める。


 その時、


 白猿が溜息を吐き、立ち上がった。




「……(ドサ)」




 加藤以外に、その動きを追えた者はいなかった。


 突如消えた白猿。

 地面に膝をつく嶺二。

 猫目と氷室が音のした方に顔を向け、


「――ッ」「――っヒ(ぃ……)」


 猫目が咄嗟に氷室の口を押さえた。



 ……膝をつく嶺二には、頭部が無かった。



 引き千切られた断面から盛大に血を吹く嶺二の隣で、白猿は彼の首を投げ捨てる。

 次いで新に手を伸ばす胡桃へ向き直り、


「『――、……――』」


 慈悲も無く呪言を放った。


「……ぐふっ、……」


 自身の腹に空いた穴を見つめ、胡桃が血を吐く。


 しかし彼女は、それでも尚新に手を伸ばし、抱き締めた。


「……新君」

「……」


 そして虚な目をする新に、語りかける。



「……新君は間違えたのかも知れない。大勢の人を、死なせちゃったのかも知れない」


「……くぅっ」


「でも、それなら尚更、こんな所で自分を捨てるなんて、許されないよ」


 胡桃の瞳が、新を射抜く。


「償おう。新君が皆の為に戦える人だって、私は知ってるから」


「っ」


「大勢が新君を責めると思う。これから沢山辛い事があると思う。……でも、それでもっ、私は、新君に助けられた。新君がいたから、生きて来れたっ。……それだけじゃ、頑張れないかな?」


「っ胡桃……」


 苦笑する彼女に、新の目が光を宿す。


「それじゃぁ、これで頑張ってね」

「ん⁉︎……」


 新の唇に、熱く柔らかい唇が重ねられた。

 今まで何度も感じたその感触。ほんのり香る桃のリップクリーム。それが何故だか今回は、鉄の味がして、しょっぱくて、


 ……酷く悲しげな味がした。


「それじゃあ、」


「っえ?」


 いきなり彼女に突き飛ばされた新は、驚いた顔で後ろに倒れる。


「私も、近くで見てるかッ……ら」



『抱擁』



「……え、あ、く、胡桃ィイイイッッ‼︎」


 彼女の胸から伸びる、真っ赤に染まった、腕。


 白猿によって心臓を貫かれた彼女は、優しい笑みを浮かべながら、絶命していた。


「おいッ、嘘だろッ、待て、待ってくれ‼︎胡桃‼︎クソっ、何だよこれ⁉︎」


 彼女に走り寄ろうとするも、一向に前に進めない現象に、新は戸惑う。しかし、足元に転がる菓子の袋が目に入り、気付いた。


「……まさか」


 周りを見ると、雑貨や食料が沢山散らばっている。間違いない。ここは、彼女の能力の中である。


 本来なら、少し抵抗すれば生物は外に出てしまう。

 しかし今回は違った。胡桃は最後の力を全て出し切り、文字通り死ぬ気で『抱擁』を発動したのだ。


 その結果この空間は、彼女の望んだ場所、特区の外に行くまで解除されない、愛しき罪人を閉じ込める為の絶対防御の牢獄と化した。


 この中で暴れれば、再び外に出て彼女の元に行けるかも知れない。しかし、新はそれをしなかった。


 徐々に場所を移動し始める空間の中で、新は膝をつき、ボロボロと涙を零す。


 胡桃が死んでも守りたかった自分という存在。そんな彼女の意思を、無下にしてはいけない。

 バカを重ねてきた自分でも、それくらいは考える事ができた。


「ぜっだい、に、むがえにっ、くるがらっ!ごべん、ごめん、胡桃ぃ」


 彼の嗚咽は、外界には届かない。自らを責めるように、新は泣き続けた。




 ――「……ハァァ」


 白猿は、いきなり消えた同胞に心底落胆した。


 結局、彼は人間である事をとったのだ。下らない仲間意識に殺られ、真の仲間を見捨てたのだ。


 最早、救う必要などない。


 白猿はしゃがみ、地面に文字を書き始める。


『解除』、『看破』、……『干渉』、『望遠』、『熱感知』


 そして、


「『――範囲拡大』」


 呪言を踏み付けた。


 全方位に波紋の様に広がる、探知系呪言の数々。


「……」

「――っ」


 目を開けた白猿と、新の目が交差した。


 此方に向かって歩き出す白猿に、新は驚愕する。


 途中白猿は隠れる亜門隊に気付き、横目で見るが、障害にはなり得ない、と捨て置き目を逸らした。


「……見えて、いるのか?」


 目の前まで来た白猿が、新に向かって手を伸ばした。


「っ」


 しかしその手は空を掴み、すり抜ける。

 外部からの物理的干渉を受け付けない。『抱擁』の特性である。


 白猿は少し考え、溜息を吐く。何故こんなのに、魔力を使わなければならないのか。


「『―――同胞を裏切り――――姿を隠す愚か者に――――相応しき罰を』」



(……あぁ)



 ブレる空間を前に、新は悟った。


 彼女の抱擁が、雑な暴力に呑まれ、崩されるのを。



「……ごめん、胡桃」




 愛の力が絶望を打ち破るのは、物語の定石ではなかったか。


 最後に正義が勝つのは、物語の定石ではなかったか。


 ……いや、自分が正義であるなんて、一体いつ、誰が決めた?


 人を沢山殺した自分は、悪ではないか。


 恋人を見殺しにした自分は、悪ではないか。


 悪が負けるのは、当然じゃないか。


 そんな事を、クルクルと回る景色の中で、新はぼんやりと考える。



 結局彼は最後まで、正義だの悪だのという下らない価値観に囚われ、この世界を直視できなかった。


 だから死んだ。

 だから殺された。


 愛が勝つのはフィクションまで。

 正義が勝つのはフィクションまで。

 善人が評価されるのは、フィクションまで。





 この世界は、現実である。





 倒れ伏す胡桃の胸に、コロコロと新がぶつかる。


 最後まで彼を信じた女と、最後まで善性を信じた男。


 女に抱かれる様に眠る、男の頭部。


 彼の瞳に映るのは、光も闇もない、底無しの無であった。

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