57話
朧のcell『静かなる隣人』の能力は三つ。
姿を消す『メランジェ』
魔力を消す『エステス』
存在を消す『ペルフェクシオン』
『メランジェ』と『エステス』を同時に発動することはできず、両方の能力を併せ持つ『ペルフェクシオン』を発動すると、それに集中を要し大技を使用できなくなる。
何より『ペルフェクシオン』は魔力消費が甚大すぎて、成長した今で十分の継続がやっとなのだ。
故に彼の本音としては、先の一撃で方を付けたかった。
最早残された魔力には限りがあり、肉弾戦も分が悪い。
加えて最も殺すべき雷ゴリラを始末できず、手の届かない場所まで吹っ飛ばしてしまった。
重傷は負わせただろうが、妨害電波が張ってある以上死んではいない。
この状況、優勢に見えて最悪の可能性がある。
朧は屋上の高台に着地した白衣を睨みながら、『エステス』以外の全身の透過を解いた。
「おいっ、俺の後ろに回れ。今すぐ」
「お、おうっ」
有無を言わさぬ口調に急かされ、毒島達は朧の後方に走って下がる。
それを確認した朧は、左手のナイフをクルリと回し、通常の持ち方に戻した。
そして右に持つマチェットにも『エステス』を発動。
途端、マチェットが纏っていた魔力と雷光が消える。
――脱力する朧。
――凝視する白衣。
二人以外で、彼等の初動を捉えられた者はいなかった。
「
刹那、白衣はその場から跳躍し、朧は二刀を平行に振り抜く。
コンマ遅れて起こる、景色の断裂。
白衣の立っていた足場、屋上庭園の木々、機械類、コンクリート、其れ等全てが問答無用で焼き切れた。
朧は空中に逃げた白衣に向かって、不可視の刃を振り上げる。
しかし、
「ヲッフ」
「チッ」
風圧を足場に加速し、白衣は軌道から身体を外した。
朧は白衣の跳躍先を予測し、二刀を振り回し空を切りつけまくる。
反対に白衣は朧の持つ武器の刃先から軌道を予測し、風圧を足場に立体的な動きで縦横無尽に逃げ回る。
一秒ごと広がる破壊の痕跡。
床が弾け飛び、コンクリートが抉れ、バラバラと落下していく綺麗な断面の瓦礫。
屋上の範囲も幾分か狭くなってきた、その時、
朧が薄く笑った。
「ヲっ、ッ⁉︎」
白衣は今までと同じように、不可視の刃を完全に躱し切ったと疑わなかった。
そうして目に映ったのが、切り飛ばされた自らの左腕である。
白衣は己の油断を悟った。
この刃は魔力で出来ている。なれば、その軌道も変幻自在に変えられるはず。
今まで直線の刃しか出してこなかったのは、そういう攻撃だと脳裏に植え付けるため。
自分は、まんまと罠に掛かったのだ。
「ヲッフォッカッ」
変則的な動きに変わった雷刀を、風の探知を駆使して躱し続ける。
しかし先とは違い、綺麗だった白衣に徐々に血が滲み始めた。
朧が白衣の動きを捉え始め、傾き出した戦況に、後ろの野次馬達のボルテージが上がっていく。
「いけるぜ!これはいけるぜ‼︎」
「そこだ‼︎殺れ‼︎殺せ‼︎」
「違う!そっちだ‼︎どこ切ってんだよ⁉︎」
「ウルセェ黙ってろお前ら‼︎」
苛立ちに声を荒げる朧だが、彼も自らの勝利を近くに感じていた。
あと少し、あと少しで、まさという化物に一歩近づける。
あと少しでっ、
……その時、白衣の纏う雰囲気が変わった。
白衣は思った。
これを生かしたまま捕らえるのは、無理だ。
これは自分に傷をつける程度には、強い生物だ。
あぁ、勿体無い。勿体無い。
……生きたままの中身が、見たかったのに。
「――っ」
朧だけが変化に気づいた。
白衣を中心にして、周囲の魔素が集約していく。
目の前の光景はいつかまさに教えてもらった、身体強化の極致、そのものであった。
一度だけ白衣を中心に暴風が吹き荒れ、すぐに収まる。
『身体強化・輪廻』と、魔法の練度はイコールで結べる。
Cellは通じず、身体能力は向こうが上、魔法練度には天と地の差がある。
最早勝ち目など……。
木の葉が渦を巻き、瓦礫が砕け天に昇る。
そこに立っていたのは、暴風を極限まで収束させた鎧を纏う、殺意を滾らせた一匹の化物であった。
「……クソが」
今までは遊びでしか無かったのだ。
此方にとっては死に物狂いの戦闘でも、奴にとってはモルモットと戯れる事と何ら違いはなかったのだ。
「――クソがッ、っ」
雷薙を左右から直撃させるも、バヂィッ‼︎、と音を鳴らし虚しく弾かれる。
打つ手なし。
朧の頭の中を、その五文字が圧迫する。
(っどうする?逃げるか?どうやって?コイツらを犠牲にして……クソっ、クソっクソッ!)
今の自分の中に残る、他人の為に自己犠牲を厭わない、昔の自分。
人を見捨てようとすると必ず鎌首をもたげる、捨て去りたい過去。
朧はそんな自分を嫌悪し、押し潰そうと腕を振るう。
そんな時、不意に毒島が叫んだ。
「朧ッ‼︎」
「――っ⁉︎グ、ゥ」
「ヲルアッ」
間一髪、超加速した白衣の右ストレートを腕を十字にして防ぐ。
メキメキ、と嫌な音を立て、ナイフが手から落ち身体が吹っ飛んだ。
「――ッ」
空中で強引に腰を捻り、残る一本で雷薙を振り抜く。
しかし追撃する白衣は風圧を駆使し、三度の軌道変更と加速で朧の吹っ飛ぶ先へと回り込んだ。
そして両腕に生じる、骨が砕け散りそうな程の衝撃。
「ガッはっ――」
「おっ、ぐ」「つぅ」「ぶねぇ」
再びぶっ飛んだ朧を、丁度直線上にいた六人が身を挺して受け止めた。
そして息を呑む。
「お前、腕」
「……平気だ、どいてろ。ケホっ」
立ち上がり、自分達を押しやるその腕は、白衣の纏う剛風により服と肉がズタズタに裂けていた。
「バカ野郎!もういいっ、お前だけで逃げろ!」
「あ?」
「あいつは強すぎる。お前じゃ勝てねぇだろっ」
「……ウゼェな、雑魚は黙ってろ」
わざと冷たい目を向ける朧に、毒島は舌打ちする。
「朧、お前だけなら逃げられるだろ。逃げられなくても、生き残れる可能性はあるはずだ」
「……」
「……お前、カオナシの現在地知ってるだろ。そこに直線で向かえば、合流できる可能性はある」
「っ」
朧は毒島の推測が正しいことに、少なからず驚いた。
そうなのだ。
今自分が生き延びるには、まさとの合流が必須になる。
そして自分は、まさが戦っている場所を知っている。
何かあった時の為に、ペルフェクシオンを一回発動できるだけの魔力も残している。
奴には自分のcellが殆ど効かない。速さでも負けている。
だが、もしかしたら、奇跡が起こるかもしれない。
そしてそこに、お荷物である彼等を連れて行く事は出来ない。
毒島は理解しているのだ。理解した上で、置いていけと提案しているのだ。
そんな彼に、朧は無性に腹が立った。
「っテメ――ッ⁉︎」
「ぐぉっ、何すん…………朧‼︎」
いきなり朧に蹴り飛ばされた毒島は、後ろの五人を巻き込み転がる。
怒鳴ろうと彼を睨むとそこには、腕と脚にメスが突き刺さった朧が立っていた。
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