47話

 


 将軍は飽きていた。


 敵方の脅威となり得る人間は、最早瀕死の重症で戦える状態ではない。

 その上乱入までされ、これでは折角の見せ物も続けられない。


 ……もういい。


 最後は一思いに蹂躙してやろう。


「ブゴォォオオッ‼︎」


 将軍の咆哮に呼応し、観客席で待機していた残りのゴリラ七十匹全てが、叫びながらグランドに降り立つ。


 己の為に命を捨てる従順な部下が続々と並ぶのを見て、将軍は嗜虐的な笑みを浮かべた。




「っゲホっ、ゴホッ、ぅ、はぁ、はぁ」

「っ隊長!」


 将軍が二匹を止めた頃、時を同じくして千軸は死の淵から帰還していた。


 二匹が攻撃してこないと判断した渡真利は、ゴリラになど目もくれず真っ先に彼に走り寄る。


 彼女は腰を落とし、潰れていない右腕で千軸の上半身を起こした。


「副隊長っ、腕を!」

「構わない!隊長、無事ですか?」


「……無事に見えます?ケホ、」


 苦笑する千軸には、先までの覇気は微塵も残っていない。

 目の焦点も合っておらず、今の彼の状態は、正に燃え滓であった。


 そこで将軍の咆哮が轟く。

 隊員が戦々恐々となりながらも二人を庇い戦闘態勢に入る中、渡真利は千軸の目を正面から見て呼びかける。


「……隊長、まだ終わっていません。立って下さい」


「……ぷ、ハハっ。鬼ですか?」


「それを一番知っているのは、隊長でしょう」


「……そうですね」


 千軸は目を瞑り、大きく息を吐いて咳き込む。


「……すみません。俺にはもう、戦う力残ってないんですよ。足も動かないし、前もぼやけて見えない。息を吸うのも、やっとだ。ケホ、」


 諦念を吐き弱々しく笑う千軸。


 しかし、



「黙りなさい」

「っ」



 渡真利はそんな彼の額に額を押し付け、無理矢理前を向かせた。


「立てないのなら私が足になります。見えないのなら私が目になります。

 私は副隊長です。貴方を支える義務がある」


「……でも」


「でもじゃありません。私の尊敬する隊長は、どんな時も諦めず、私達を導き、遥か先を歩くヒーローなんです。

 普段は頼りなくてダラダラしてるのに、任務の時はカッコイイ、そんな貴方なんです。

 こんな所で諦めて死ぬなんて、私が副隊長である限り絶対に許しません」


 千軸の霞んだ瞳が、渡真利の力強負い瞳を捉える。


「……それに、貴方はまだ生きています。

 貴方の憧れた彼女は、こういう時、諦めて死を待つような方なんですか?」


「っ」


 千軸は震える手で、己の胸に刻まれた彼女を握りしめる。


「……ずるいですね。こういう時だけルルを出すなんて」


「隊長を扱うにはこれが一番手っ取り早いので」


「ははっ、言うねぇ。……(パンッ)」


 千軸が己の頬を張り、渡真利に肩を借りて立ち上がろうと力んだ、その時、


「ブルガァァアッッ‼︎」

「「「「「「「「ゴァアッ‼︎」」」」」」」」


 圧倒的で暴力的な波となって、ゴリラの大軍が地を蹴った。


「た、隊長!」


 足のすくんだ隊員達が、助けを求めるように千軸を見る。そんな隊員の肩を叩き、千軸と渡真利は前に進み出た。


「いい。お前らは下がってろ」


「っ……い、いえ!隣に居させて下さい!」


「私も!」


「俺もお願いします!」


 これが最後になるかもしれない。覚悟を決めた彼等は、せめて隊長と共に散ることを望んだ。


「許可する」


「「「はッ!」」」


 遠方に迫るゴリラの輪郭を認めながら、千軸は問いかける。


「……渡真利」


「はい」


「この一撃は、cellの暴走を度外視で放つ。巻き込まれるかもしれないぞ」


「構いません」


 ……千軸は思う。


 今日何度も世界を構築して少し分かった。

 多分俺の暴走は、元の世界に戻れずにたった一人、自分の創った世界で死んでいく事を意味する。


 そこは常に誰かに観測されながらも、誰も観測することのできない孤独な世界。


 もしかしたら、死ぬまで脅威を振り撒く災害になってしまうかもしれない。


「渡真利、俺は永遠に孤独になるかもしれない」


「なりません」


「……何故だ?」




「貴方が何処に行こうと、私は貴方について行きます。

 貴方がどれだけ傷だらけになろうと、私が貴方を支えます。

 ……貴方が何処に居ようと、私が貴方の傍にいます。」




 渡真利らしくない言葉に横を見る。少しだけ頬が紅潮しているように見えたのは、気のせいだろうか。


「……ふふっ、主人公になった気分だ」


 千軸は眼前に手を掲げる。


 ゴリラとの距離はあと二歩程度。


 極限の集中力の中、彼は目を瞑った。



 もう、何も恐れる必要はない。

 境界を捨てろ。固定観念を捨てろ。限界を捨てろ。

 己の全てを捨てて、この一撃に賭けろ。


 千軸を中心に、あらゆる自然物から魔素が集結する。



(属性混合。

 範囲指定。

 領域拡大。

 指定する世界は、炎と土)


 千軸の右頬から首下にかけて、一瞬で乾涸ひからびた様な亀裂が入る。

 渡真利の支える右半身がジクジクと熱を持ち始めるが、彼女は構わず支える手に力を込めた。


 ゴリラの振り被る拳が、近づき、近づき、



 ――刹那、世界が変わった。



 前方数百mのみを覆い尽くす、限定世界。


 空は曇天に赤く染まり、空気は沸騰する程に熱く、罅割れた大地からは血色の溶岩が噴き出る。


 そこは正に、悪行を犯した死者の都。人々が恐れる煉獄の世界であった。


 千軸は瞼を上げ、鼻先に迫る拳を見つめながら、静かにうたう。





「『厭離穢土おんりえど灼魃殲徠しゃくばつせんらい』」





 大地が割れ、轟く大噴火が曇天を貫いた。


 叫ぶ暇すら与えない。逃げる事など許さない。

 悔いて、詫びて、苦しみ、絶望し、そして死んでゆけ。


 人々の怒りは、地を揺るがす咆哮となって畜生供を呑み込んだ。

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